はじめに
私はこれまで、アフリカやアジア、日本における女性支援を軸に活動してまいりました。そのすべてに共通する使命は、「女性を笑顔にすること」です。本記事では、主に、西アフリカのニジェール共和国(以下ニジェール)の産科フィスチュラの女性たちと過ごした日々について記載したいと思います。
ニジェールについて
私は2009年から2011年までJICA海外協力隊員としてサハラ最南端にあるニジェールで生活をしました。首都から900kmに位置するZinder(ザンデール)という地方都市の農業局に派遣されました。何も遮るものがない土地で40度以上の灼熱の中、慣れないマニュアルバイクに乗り、砂漠に後輪をとられながら村々を巡回し、村の女性たちと共に現地の方の生活を改善していく活動をしていました。
ニジェールは極めて厳しい生活環境にある国の一つとされています。その国の豊かさを表す人間開発指数(HDI)ランキングは193か国中189位です(UNDP, 2023-2024 )。国土の約80%が砂漠地帯で、主な産業は農業と牧畜ですが、気候変動やインフラの不足がこれらの活動を大きく制限しています。また、人口の大部分は農村部に集中しており、貧困や教育機会の欠如が深刻です。
女性の置かれた状況はとても厳しいといえます。ジェンダーギャップ指数は146か国中138位(World Economic Forum、2024 )です。児童婚率が非常に高く、女性の約76%が18歳前に結婚しているというデータがあります(UNICEF, 2019 )。合計特殊出生率は6.7(世界銀行, 2022 )と世界で最も高い国の一つです。妊産婦死亡率は10万人当たり509人で、これは世界平均の約4倍に相当します(WHO 2017 )。産産前健診の受診率は約37.3 % (UNICEF, 2021 )に過ぎず、地方部ではさらに低い傾向にあります。
産科フィスチュラとの出会い
私は、当初農業局に配属され、村をバイクで巡回して活動する中で、徐々に現地の女性たちとの信頼関係を築いていました。その中で、「出産後の女性が村の中の小屋に隠されている」というような話を耳にしました。女性たちから聞いた話を、配属先農業局と同じ敷地内にあった保健局の担当者にしたところ、村の女性たちが言っているのは「産科フィスチュラ」という症状になった女性の話であることがわかりました。
産科フィスチュラ(産科瘻孔、Obstetric Fistula)とは
産科フィスチュラは長時間の分娩が適切に管理されないことで起こります。長時間の分娩中、胎児の頭が母体の産道を圧迫し、血流が遮断されて周囲組織が壊死します。これにより尿や便が常に漏れ出すようになり、感染症や皮膚炎を引き起こします。患者は慢性的な尿漏れや便漏れに悩まされるため、清潔を保つことが困難になり、しばしば家族や地域社会から孤立します。また、多くの場合、胎児は死産となるため、母親にとって肉体的・精神的な大きな負担となります。10代の若年妊婦や、医療施設へのアクセスが困難な地域で発生しやすく、経済的に厳しい状況や識字率の低さ、児童婚などの社会的要因も背景にあると言われています。現在、毎年5万人以上が新たに産科瘻孔を発症していると推定されており、その多くがサハラ以南のアフリカや南アジア地域で発生しています。適切なタイミングで適切な治療をすれば90%以上のケースは治るといわれています(UNFPA , 現地での聞き取りによる)。
産科フィスチュラ患者さんとの日々
私は、産科フィスチュラの女性の支援の活動を立ち上げることにしました。UNFPAから支援を受けたNGO団体が産科フィスチュラ患者さんを治療する病院を運営しているとの情報を得たので、直接足を運び、活動を一緒にしたい旨、伝えました。そこから私の産科フィスチュラ患者さんと過ごす日々が始まりました。毎朝病院に行き、患者さん達と一緒に過ごし、夕方になったら帰り、翌朝また病院に行き、という生活でした。最初の方は、医療従事者ではない私ができることがわからず、とにかく患者さんたちと一緒に過ごし、彼女たちの話を聞き、信頼関係を築くことを重視してやっていました。
病院では、産科フィスチュラ患者さんが治療のための手術を待ち、手術を受け、手術後の経過観察を経て退院する、という流れでした。少なくとも患者さんは、数か月間は滞在することになっていたと思います。最初は「アンナサーラ―(現地の言葉で外国人の意味)が来た」と言われていた私も、毎日通ううちに次第に「マリカが来た」と名前で呼ばれるようになりました。そして、またしばらく経つと患者さんたちから「マリカも一緒にお昼ご飯食べよう」と誘ってもらえるようになり、一つの大きなお皿に入れたマカロニをみんなで囲んで手で食べる輪に加わらせてもらえるようになりました。
私はニジェールに行ってから現地語であるハウサ語を習い日常会話レベルのハウサ語を習得しました。村の女性たちも、病院にいる女性たちも公用語であるフランス語は喋れないので、現地語で会話する必要があったからです。病院では、遠い地域から来ている患者さんもいたので、ハウサ語が通じない場合がありました。そんな時は患者さんの中で、ハウサ語⇔ザルマ語や、ハウサ語⇔フラニ語の通訳役をかって出てくれる人がいて、大変助かりました。
(ちなみに、ハウサ語習得のための訓練は色んな意味で厳しかったことを記載させてください。唯一存在していた英語で書かれたハウサ語会話教科書を使い、ニジェール人の先生に「カレーの作り方をハウサ語で説明して」とフランス語で指示される感じで進められました。言語の情報が多すぎて毎回頭の中が砂嵐のようになっていました。)
病院では50名近い患者さんと過ごしましたが、その中で字が書ける女性は一人でした。彼女は患者さんの中で唯一フランス語も話せました。患者さんたちは、よく雑誌や本を持って私の所に来て、「マリカ、これ何て書いてあるの?」と聞いてきました。雑誌や本を読んであげると熱心に聞いてくれました。さらに彼女たちの名前の書き方を教えてあげると非常に喜んで何度も練習していました。練習に練習を重ね、ついに自分の名前が書けるようになった時の彼女たちの誇らしげな顔といったら!!あの表情は今でも忘れられません。
アミナさんの話
患者さんの中でも、みんなのムードメーカー的存在で私にも冗談を言ってくるAmina(アミナ)さん(仮名)という方がいました。彼女は当時20代前半で、17歳の時に結婚をしていました。アミナさんは私にパートナーの写真を見せ、「私の旦那さん。かっこいいでしょ」と言って自慢をしてきました。嬉しそうな彼女の顔を見て、私はとても嬉しかったです。数週間後、朝いつものように病院に行くと、アミナさんが泣いていました。理由を聞いたら、パートナーに一方的に離婚されてしまったとのことでした。アミナさんが産科フィスチュラになったからというのが彼と彼の両親の言い分だそうです。パートナーのことを嬉しそうな顔で話していたアミナさんのことを思うと、私も涙が止まりませんでした。なんて理不尽な出来事!!!なんて理不尽な世界!!!私が産科フィスチュラ患者さんの支援を生涯かけてやっていこうと心に決めた瞬間でした。
地方都市の農業局から首都の保健省に配属先を変更してもらい、JICA海外協力隊の後半の1年間は「産科フィスチュラ対策隊員」という新設の職種として活動させてもらいました。国立病院の医療チームの一員として、私は主に患者さんの寄り添いを行う活動をしました。産科フィスチュラに対するアプローチは「予防」「治療」「社会復帰」の三つとなりますが、そのうちの「治療」以外、「予防」と「社会復帰」に関する様々な取組を実践しました。最も印象に残っているのは「社会復帰」のための職業訓練の企画です。社会的に孤立することが多い患者さん達が自立するための手助けとなるよう、医療チームとも話し合い、様々な職業訓練の企画を立て、講習会を開きました。
ある時は、鮮やかなろうけつ染めの布(バティック)の切れ端を集めてきて、JICA海外協力隊の手芸隊員さんに頼んでパッチワークの肩掛けポシェットを作る講習会を開きました。30名程の患者さんが参加し、最後は全員が色とりどりのポシェットを完成させました。あの時の彼女たちの笑顔は本当に心に深く刻まれています。
ニジェールから帰国後の活動
ニジェールから帰国後は、産科フィスチュラになる女性を減らすためにはどうしたらよいか考え、女性の地位の底上げ、ジェンダー平等に向けての包括的な取組が重要だとの思いから、意図的に現場ではなく、JICA本部や国際機関で働きました。現場から少し離れた場所で時としてデスクに向って仕事をする日々でしたが、その際、いつもニジェールの現場で見た、自分で作ったポシェットを持って笑う彼女たちのあの笑顔が根底にありました。あの笑顔を作っていくんだ!という思いで仕事をしてきました。また、パートナーに産科フィスチュラになったことが原因で離婚されたアミナさんの涙のことを一時も忘れたことはありません。もうアミナさんみたいな女性はうまない!そんな思いが私の根底にありましたし、これからもずっとそれが私のベースです。
これからの活動
私は現在、「女性たちの可能性を可視化する」ことをテーマに、フリーランスとして多方面での活動を続けています。来年3月の国際女性デーには、山梨で「女性のエンパワメント展:Empower、縁パワー、円パワー(仮題)」を開催予定です。そこでは、画家として認められにくいニジェールの女性アーティストの作品や、ニジェールのろうあの子どもたちの絵の展示、さらにアフリカの小物グッズの販売を通じて、多様な女性の活躍を紹介する予定です。その中で、ニジェールの女性の社会起業家Ms. Hadjaratou Mounkeila Abdoulaye (ハジャラさん)の紹介もする予定です。ハジャラさんはニジェールの首都から600kmの地方都市Maradi(マラディ)でニジェール人女性のための起業スクールを運営する他、現地の女性のリーダーとして市民団体を牽引する方です。彼女の活動が拡がり、ニジェールの女性が力をつけていくことで、結果として産科フィスチュラになる女性を減らすことができ、産科フィスチュラになってしまっても適切な治療が受けられる、治療後も社会に受け入れられる、そういった社会を実現することができると思っています。
また、「女性のエンパワメント展:Empower、縁パワー、円パワー(仮題)」をとおして、地域の女性たちが互いに学び、成長し、つながる場となることを目指しています。さらに、この活動を通じて、私たち一人ひとりがどのように女性たちの笑顔に貢献できるのかを考える機会を提供したいと思います。
終わりに
私は、「女性を笑顔にする」という使命のもとで活動を続けてきました。それは、私一人ではなく、多くの女性たちの勇気と力に支えられているからこそ可能だったのです。この場を借りて、これまで出会った女性、そしてWANの皆様に感謝を伝えたいと思います。誰もがその可能性を存分に発揮できる社会を築くことを目指し、多くの女性たちと連帯し、手を携えて行動をしていきたいと思います!
2024.12.04 Wed
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