エッセイ

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内堀奈保子 恩師に敬意を表して

2012.08.19 Sun

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.先生との出会いは大学二年後期の授業でした。

その授業はToni Morrison のPlaying in the Dark: Whiteness and the Literary Imagination (Harvard University Press) を読み、文学批評の基礎を学ぶものでした。

その頃のわたしは生意気にも文学は学校で教えてもらうものではないと思っていました。

しかし、緊迫感漂う授業に圧倒されながら先生の指導の下で丁寧にモリソンの思考を辿っていく中で、英語の精読の仕方だけでなく、作品を読むことがどれほど創造的で知的な営為であるかを教えていただきました。

今考えてみれば、その時期はちょうど先生が『愛について――アイデンティティと欲望の政治学』(岩波書店)やジュディス・バトラーの翻訳『ジェンダー・トラブル――フェミニズムとアイデンティティの攪乱』(青土社)等を立て続けにご執筆されていた頃にあたります。

授業で先生にお会いするたびに、最前線の研究者がもつ独特の気迫と思索の跡を、先生の発する言葉と佇まいを通して強烈に感じていたことを今でも鮮明に覚えています。

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当時の講義メモの端には「普遍的で透明な研究などありえない」「<語りえぬもの>を作り出しているものが何であるかにまで敏感になり、その先にある<まだ見ぬ地平>へと認識の翼を広げていくこと」といった当時のわたしの心に突き刺さったのであろう先生の言葉が残っています。

漫然と読書を楽しむだけだった当時のわたしにとって、先生の授業は衝撃的でした

あの授業から十幾年。予想していなかった突然の訃報に悲しみさえ感じられませんでした。

言葉は理解しても元気な姿しかしらないためか落とし所のない焦燥感にただ駆られる日々でした。かねてから療養中と知ってはいたものの、翌春には復帰されると思っており、時々仲間と会うと、理論的で思慮深い先生が学生の名前をよく間違えたり、「頭に血が回らなくなって論文が書けなくなるから米は食べるな!」とユーモアとも本気ともつかずに言ったりしていたことを懐かしがっては、朗報がないか聞き合っていました。

ご逝去に際し、先生に直接お別れや感謝を伝えられなかったことがとても悲しく残念でした。

喪とメランコリーをよくご存知の先生が残していかれたこの茫漠として緩慢な喪失感をわたしはきっと忘れられないでしょうし、むしろ喜んで引き受けていこうと思います。

先生の後を続けることなどできませんし、むしろ違うことをしたいと思うような不肖の弟子ですが、先生の教えを忘れることなく精進していきます。

ありがとうございました。








カテゴリー:竹村和子さんへの想い / シリーズ

タグ: / フェミニズム / 竹村和子 / 追悼