2012.09.02 Sun
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. わたしが竹村先生のゼミに出始めたのは1999年4月からでした。
以降、2005年3月に大学院の後期博士課程を修了するまでのおよそ6年間、竹村先生から博士論文作成の指導を受けました。
2003年5月、竹村先生は『研究する意味』(東京書籍)という書籍の中で、次のように述べています。
「お茶の水女子大学では、明確な目標をもって教えています。それは女の研究者を育てることです。現在の日本の大学では女の研究者は少なすぎます。(中略)「女の研究者が少ない現状は『奇異な』ことである」という認識を、多くの人にもっていただきたいと思っています。」(155-56頁)。
本随筆におきまして、竹村先生のお茶大でのご指導のようすについての文章を書きますが、これは2012年3月11日に開催された「竹村和子さんをしのぶ会」(お茶の水女子大学英語圏文化コース主催)で述べた弔辞をもとにしたものです。
わたしの博士論文は、カリブ系女性作家ジーン・リース(Jean Rhys)の5冊の小説を、ポストコロニアル・フェミニズムという理論的枠組みを用いて、分析したものでした。
リースの小説は自伝的要素が濃く、ヒロインの年齢が一番若い『暗闇の中の航海』(Voyage in the Dark 1934)作品が、論文の第一章でした。わたしが初めて竹村先生から英語論文作成の指導を受けたのもこの作品でした。
一回目の指導の様子、もう10年以上も前のことになりますが、よく覚えています。竹村先生はパソコンを前にした状態で、ご自分の横にわたしを座らせ、わたしの論文データーを画面に表示し、英語を一文一文直し始めたのです。そのときのお言葉は以下のようなものだったと記憶しています。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.「どうしてこの単語を選んだの?」
「この単語は少し前にも出てきているでしょう。英語は繰り返しを嫌う言語だから、同義語を使ったほうがいいわね。」
「シソーラスはロジェがいいわよ。後ろから引いていくやつ。」
「確かにさっきは、同じ単語は使うなといったけど、あなたは一段落で5つも6つも似たような意味だけど別の単語を使っている。これじゃ意味が分からなくなるし、そもそも類義語っていっても意味が違うのよ。こんなふうに書くなんて、あなたって本当に節操がないのね。」
先生は多少、気の短いところもおありでしたから、この最後の例のように、だんだんお言葉がきつくなることもたびたびでした。
しかし、けなしたあとは必ず褒めてくださいました。
『暗闇の中の航海』においては、ヒロインのアイデンティティのとらえどころのなさを指摘したく、傍証となる部分をテキストから数か所引用したのですが、その箇所を読んで先生は「このあたりはうまいわね。じゃあ一体このヒロインはどういう女なのだろうと、読ませるわよ。」と言われ、うれしくなって、次回もまた頑張ろうと思いました。
同時に、こう思いました。わたしの論文は、文学理論と作品分析が混ざったものだと自分では考えているのですが、竹村先生が反応を示されるのはいつもきまって作品分析の箇所でした。
わたしにとって竹村先生は批評理論が専門というイメージが強かったのですが、根本にあるのは文学であって、ほんとうに文学がお好きなのだなあ、と、思ったのです。
疲れると翌日のことを忘れて小説に没頭する、とおっしゃってもいました。2012年6月に出版された『文学力の挑戦――ファミリー・欲望・テロリズム』は先生初のアメリカ文学を中心とした文学論文集となっています。竹村先生が、最期のときを、文学作品や批評論文に向き合って過ごされたのならば、本当によかったと思います。
上記のご指導のようすは2001年から02年にかけてのころだったと記憶しています。
次第に学内外の先生のお仕事が急増しはじめ、論文指導がわたしと先生の1対1ではなく、修士の学生と一緒だったり、卒論の学生と一緒ということも出てきました。物理的に時間をとるのが難しくなったというのが一番の理由だと思いますが、もしかすると、竹村先生が、忙しい中、限られた時間のなかで効率よく「女の研究者を育てる」方法を模索され始めたころだったのかもしれません。
といいますのも、わたしをロールモデルとして年下の学生たちに提示しているのかなと思うことが多々あったからです。
授業で「シスターフッド」という表現をお使いになり、年上の院生が後輩たちにいろいろアドバイスをすることを推奨し始めたのもこのころだったと記憶しています。
また、学期最後のゼミのあとでは、「打ち上げ会」を開いてくださり、学生たちをねぎらってくださいました。クリスマスのころには、ご自宅にわたしたちをお呼びくださって、ご自慢の「クリスマスツリー」を見せてくださいました。
わたしは、学部からお茶大なのですが、学部・修士のころは先生を囲んで食事をする、ましてはお酒を飲む、という経験は皆無でした。
「シスターフッド」あるいは、使い方に慎重さが求められる用語ではありますが、「女同士の連帯」をお茶大英語圏コースに導入したのではないか、と考えます。英語圏コースのメンバーはOGも含めてたいへん仲がよく、結束力があります。竹村先生を中心として、わたしたち学生たちはまるで太陽を囲む惑星のように、まわっていたように思います。
冒頭で掲げた書籍『研究する意味』において、竹村先生は続けて以下のように述べられています。
「わたしが学生のころのお茶大は男の先生ばかりで、女の先生はほとんどいませんでしたが、現在では40%くらいにはなりました。そうすると、やはり雰囲気が違ってきます。わたしは理想的なロールモデルにはなれませんが、せめてできることは研究者を育てることです。研究を続けたい人は、ぜひ研究機関に就職して、経済的自立を果たしてほしいと願っています。「21世紀にもなって、何と古典的なことを言うか」と思われるかもしれませんが、経済的自立は、いまでももっとも重要な事柄のひとつと思っています」(156頁)。
わたしにとって竹村先生はロールモデルでした。
もちろん、眠らず、氷砂糖だけを口にいれて、論文を書く、という半ば都市伝説的な、竹村先生独特の研究スタイルは一瞬たりとも真似をすることはできないのですが、それでも、「先生のようになりたい」という漠然とした憧れの気持ちや、「先生のように批判的に英語をよんで書けるようになりたい。英語論文で理解できないところは、わかるように書かない筆者が悪い」といえるくらいのレベルに達したいという、「大それた」気持ちも持ち続けています。
竹村先生から指導を受けた学生たちはみなそうだと思います。わたしたちのロールモデルをこんなにも早く失ったのは、本当に残念でなりません。もっともっとお話ししたいこと、伺いことがたくさんありました。
しかし同時に、わたしは、竹村先生から指導を受けた者としての責任も感じています。わたしは先生から教わったことを、わたしの中だけにとどめずに、のちの世代に伝えていく義務を負っているのだと思います。幸いなことに、現在わたしは私立の女子大学の英語・英文系コースに所属し勤務しています。職場できちんと研究、教育、校務をおこない、そして女子学生たちが、英語・英文学関係の授業をつうじてしっかりと自立できるようにすることが、わたしが竹村先生から受けたご恩を返すことだと考えています。竹村先生、見守っていてくださいね。
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