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2022年6月、作家で思想家の森崎和江が95歳で亡くなった。
植民地朝鮮で生まれ、日本という国の原罪、そして自分自身の原罪を生涯にわたって見つめ続けた人生であった。
ぐるぐると渦を描きながら深まっていく森崎の思索は、決して体系を目指してはいない。
その難解な歩みの前半に関する論考は数多くある。だが、森崎の全生涯にわたる 評伝 は初ではないか、と思う。
70冊に及ぶ森崎の著作と、思索の歩みを 3章の構成 で振り返っていく。
第1章 地の底へ
第2章 海の果てへ
第3章 いのちへの旅
(1) 野添憲治との対談
(2) 北へ
(3) いのちへ
この第3章では、森崎の思索の深さに、私は衝撃を受けた。
東北に暮らすルポライターの野添との対談を経て、九州で暮らしていた森崎は、北への旅を
十数年にわたって続けることになる。
そしてその旅の果てで、森崎は岩手 北上の【鬼剣舞】(おにけんばい)と出会う。
その歴史は古く、1300年前に修験道の山伏がはじまりという。
白面の鬼が毛を逆立て太刀をかざして空を切る。両足は幾度も幾度も、大地を激しく踏みしめる。この所作は「反閇(へんばい)」といい、大地の悪霊を踏みしずめるという意味を持つ。鬼剣舞の舞手はいう。
「ここの辺りでは、みんなを正しく導いてくれる人は、優しい人じゃなくて、強い人だった。だが、朝廷からすると《鬼》がいると思われた」
− 京都の朝廷からは、《鬼》といわれ、蝦夷 と蔑まれた 北上 の人びと・・
森崎はこう記している。
− 鬼剣舞は鬼ではない。それは舞踏の勇壮さが伝えるように、救済道の仏。おそらく北東北の地域に残る民俗芸能の多くには、非道な【 列島統合史 】へ対する、地元の地霊山霊の 憤怒 の声々が 鬼 へと象徴されていることだろう。
森崎は、大和政権の「国造り神話」による上書きを一枚一枚、はがしていくのだ。
そして北への旅は、やがていのちへの旅へと繋がっていく。
森崎は北への旅の中で、古来から伝わる各地の「産小屋」を訪ねていた。
− 海女を追って若狭に辿りついた時のことである。
森崎にはどうしても、「産小屋」が 産を不浄のものとした考えから設けられた とは思えなかった。ゆたかにいのちをもたらす海の女神を信仰しつつ、海を日常のくらしの場としてきた海女の心には、産 が不浄のものという考え方はうまれそうにない。
もっと自然な肯定的な捉え方をしていたのではないだろうか・・・
日本ではいつのころから、子産みを不浄視するようになったのだろうか。産の不浄視は「男の感性」ではないだろうか。
女は子をはらむ。
はらまれた子どもというものは、他者としてこの世にやってくる。身の内の他者である。
いのちは、他者としてやってくる −−−
というのを、経験的に、具体的に知っているのは、女なのだ。女は、他者との向き合い方を感覚的に知っている。
男は、知識としては知っているかもしれない。
けれど、その具体を知らないから、それと立ち向かうために、観念としては、《 権力 》とか《 支配 》という観念しか、作りだせなかった。
− 凄まじいことば である。
(著者 堀和恵)
◆書誌データ
書名 :評伝 森崎和江 ~女とはなにか を問い続けて~
著者 :堀和恵
頁数 :208頁
刊行日 :2025.1.28
出版社 :藤原書店
定価 :2200円(税込)
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