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「知らない」って、面白い 松葉志穂
2012.10.19 Fri
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非常勤ながら図書館で働いていると、人からさも読書家のように見られることがある。当たっていることは当たっている、しかし私がそれこそ本がないと中毒症状を起こすような身体になったのは、ここ8年ばかりに過ぎない。大河ドラマ『新選組!』(2004)に夢中になり、新選組や幕末史を学びたい一心で様々な本を貪り読んでいるうちに、すっかり読書が身についてしまったというわけだ。
そんな大河ドラマに今年、何と8年ぶりにはまってしまった。『平清盛』である。
概して平安時代は王朝文学や源平合戦ばかり華々しく、政治や外交に関しては馴染みが薄い。また長年歴史好きを自認してきた身として恥ずかしい限りだが、私は平清盛がどういう生い立ちで具体的に何をした人のか、教科書以上の知識を持っていなかった。そんな無知のおかげで『平清盛』は毎回新たな発見と解釈と、おまけに萌えまで!?もたらしてくれる記念碑的な作品となった(藤本有紀・青木邦子『平清盛』<小説版>)。
平清盛といえば日宋貿易だが、その基盤を築き、軌道に乗せたのは祖父・正盛と父・忠盛であった。いわば親子3代に渡る伊勢平氏の大事業であり、交易によって得た「唐物」――舶来品は平氏の富と権威の象徴となる。ドラマに登場する多種多様な唐物――銅銭、青磁器、絹織物、書籍、文房具、薬品、香料、オウムや唐猫などの鳥獣類、清盛も大好物の唐菓子や茶――は画面に彩りを添えるだけでなく、ひとつひとつがキーワードとなって物語に起伏を与える。これらの唐物が政治に組み込まれることによって、まだ見ぬ異国に無邪気な憧憬を抱く青年だった清盛は、宋や高麗との交易による富国政策を掲げる政治家へと成長していく。
ところで清盛の後妻・時子は当初、まるで菅原孝標女のように『源氏物語』を愛読する夢見がちな少女として登場した。実は『源氏物語』でも唐物が富と権威の象徴として機能し、その背後に当時の東アジア世界をつなぐ交易圏が透かし見えるのだ。『源氏物語』は単に時子の性格を形作るだけでなく、『平清盛』の通奏低音をなしているといえよう。
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河添房江さんの『光源氏が愛した王朝ブランド品』は、唐物をキーワードに『源氏物語』を始めとする王朝文学世界を読み解き、それらの土壌とされる「国風文化」の再検討に迫る好著である。「国風文化」を漠然と純和風文化と思っていた私にとって、国風文化は鎖国のような文化環境で花開いたものではなく、唐の文物なしでは成り立たない、その意味では国際色豊かな文化だった――という一文はまさに目から鱗だった。
漢籍の豊富な蓄積が『源氏物語』に生かされていることは従来から指摘されてきたが、そういった精神文化にとどまらず、実際に平安貴族の身の回りには、大陸や朝鮮半島から輸入された具体的な「モノ」がたくさんあったのだ。唐物をどれだけ所有するか、誰に分配するかは政治力のバロメーターであり、また所有する人・分配される人の美意識や教養などの人柄をも象徴していた。
『源氏物語』でいえば、末摘花の時代遅れな黒貂の毛皮、明石の方の気品を表わす唐風の小袿など枚挙に遑がないが、とりわけ女三の宮と柏木の密通のきっかけとなった唐猫が印象的である。『平清盛』でも、後白河院の姉宮・統子内親王(上西門院)が美しい白猫を愛玩している。彼女の猫が唐猫かどうか定かではないが、ともあれ唐猫を高貴な女性の身代わり・ある種の象徴とするパターンは、『源氏物語』の影響を受けた『狭衣物語』『更級日記』にも引き継がれていく。
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『源氏物語』(正しくは大和和紀さんの『あさきゆめみし』)の影響で中世の女性史に関する本を読むようになったが、『平清盛』をきっかけに、今度は中世の交易史や「海民」にも興味が湧いた。 田中健夫さんの『倭寇――海の歴史』はそんな中でたまたま手にした1冊である。倭寇の本質は国籍や民族の別を超えた境界的な人間集団であることにあり、従って日本人・中国人・ヨーロッパ人密貿易者自身が「倭寇」である――という指摘を受けて、私の脳裏に真っ先に浮かんだのは『平清盛』に登場する兎丸だった。 兎丸はかつて「西海の海賊王」として瀬戸内海に名を馳せた人物で、海賊討伐のためにやってきた平氏軍に敗北するも、清盛に請われて家人となり、ついには日宋貿易の実権を任されるにいたった。その「海賊団」には宋人も含まれており、兎丸は元乗組員で厳島神社に巫女として仕える宋人の女性と結婚し、一子・小兎丸をもうけた。彼らは架空のキャラクターだが、この先平家が没落した後、果たしてどういう運命を辿ることになるのか―― 平家の家人とはいえ地縁も血縁もない別働隊、まさか源氏側に寝返りはしないだろうが、かといって壇ノ浦まで生死を共にはしないだろう。鎌倉政権下においても海外との交易は民間レベルで続いたから、兎丸の死後、小兎丸を頭領に立て、海賊時代から培ってきた抜群の航海術と広範な交易ネットワークを生かした海民集団へと舵を切り、やがては世界を股にかける大貿易商になる、あるいは彼らの子孫が14~16世紀の国際社会の動向を左右した「倭寇」として歴史書に名を残す・・・架空のキャラクターなだけに、空想は止め処もなく広がる。
平清盛がドラマの中でことあるごとに口にし、彼のスタンスともいえる「面白う生きたい」。漠然としたその言葉が意味するものは、従来の社会体制や規範への疑念であり、まだ知らないこと・見たことのない何かへの強い興味であろう。 歴史は――歴史に限らずあらゆる物事は――知れば知るほど知らないことが増えていく。1冊の本を読み終えるたびに自分の無知を思い知らされ、しょっちゅう落ち込んでばかりだが、落ち込めば落ち込むほど「知りたい」という欲求がメラメラと燃え上がってくるのだ。こうなったら自分の無知を心ゆくまで面白がってみたい――そう思って今日も新しい本を紐解くのである。(第4週目・第19回)
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