『日本から考えるラテンアメリカとフェミニズム』出版企画第1弾
「ラテンアメリカのフェミニズムを歌から考える」

  2025年4月25日(金)19時~21時
  於 「本の長屋」(高円寺)
  話者 水口良樹/伊藤嘉章
  主催 中南米マガジン/書肆アサンブレア

 本イベントは、4月8日に発刊された『日本から考えるラテンアメリカとフェミニズム』の記念イベントの第一弾として開催されたものである。編者の一人である水口良樹が、資料協力者でもある同じeLPopというラテン音楽Webマガジンのメンバーである伊藤嘉章とともに、ラテンアメリカとフェミニズム、音楽のそれぞれについてよく知らないという人にとっても入口となるようなイベントとなることを意識しながら対談させていただいた。また、フェミニズムイベントでありながら、当イベントは話者ふたりだけでなく主催の中南米マガジン及び書肆アサンブレアも男性ということで、男性がここでも女性の場を侵害しているということにならないように、まず話者二人それぞれがどのようにフェミニズムと出会い、それぞれの中で重要なムーブメントとして考えるに至ったのか、そしてこれまでもDJトークイベントなどでこの二人が継続的にラテンアメリカのフェミニズム歌謡を紹介してきたということから、このような人選になったことへの理解を求め、同時に何かあれば会場からのつっこみや指摘をお願いするとお話しするところから始まった。


<導入>
 そもそもラテンアメリカは、本書でも指摘されたとおりマチスモのイメージが強く、フェミニズムの歌がある、ということは「知る人ぞ知る」という状況であったことから、2019年のチリで起こった「社会の暴発」と呼ばれる民衆蜂起から生まれたラステシスによるフェミニズムパフォーマンスの世界的な広がりをBBCの日本語字幕付ビデオを見るところから非常に強い運動があるということをまずは見ていただいた。

 4人の女性パフォーマーグループがバルパライソで企画したパフォーマンスは、性暴力は個人の問題ではなく、それを許容する社会、免罪する警察や司法、そして国家自体の問題であると看破し、性暴力の責任を女性に押しつけず権力を持ったものが性暴力を許容し許してきた共犯者であることへの怒りを激しく表現したことで、パフォーマンスは首都サンティアゴへ、そしてラテンアメリカ各国、欧米、そしてインドやトルコ、東京渋谷でもパフォーマンスが行われるほど広がっていった。その全世界的な女性の連帯から、この問題が一国一地域の問題ではなく、全世界の女性が体験し、怒っている問題であるということがはっきりとする。同時にチリで「社会の暴発」の中で広がっていったこのパフォーマンスに対して、蜂起に参加していた男性たちからは大きな拒絶反応も起こっており、男性自身がその差別を許容する社会環境に加担していることの無自覚性も顕わになっている。そしてそれは、チリだけでなく、当然日本でも根深い問題として、この女性差別という問題を女性の問題ではなく男性による問題として考えていく必要があることを示している。

 また、チリの「社会の暴発」と女性たちの蜂起の前線での活動については、パトリシオ・グスマンによる『私の想う国』でも取り上げられているので興味がある人は視聴していただければと思う。

①ラステシスLASTESIS チリ

「あなたの道行くレイプ犯」"Un violador en tu camino" 2019(BBC)

https://www.youtube.com/watch?v=B3LBrWNuilQ



<ケア・シングルマザー・移民>
 同時に、このような怒りは、フェミニズムが運動として立ち上がってきた当初からの問題軸が解決されず、付け加わる形で重層化している問題があるとし、次にケアの問題、有償/無償家事労働、シングルマザーにみる男性の「不在」、富裕層女性に奉仕する貧困層女性という階級の問題(インターセクショナリティ)、そしてコアワークを移民(女性)が担うことといったさまざまな問題を提起するチカーノ(メキシコ系アメリカ人)トリオのエル・ハル・クロイによる「彼女」を紹介した。
「彼女は自身を犠牲にしている。子供たちをとても大事に思い子供たちのために生きている。毎日電車で高級住宅街の西地区に向かう。8時から6時まで掃除し料理を作り他人の子供の世話をする。すべて必要に迫られてのこと。長い一日が終わると子供たちがじっと待っている家に帰り食事の支度をする。そして宿題を手伝う。父親はいない。いつか彼女は国に戻り、自分を恋しく思う家族を訪ねたいと思う。彼女は決して思いを失わない。この歌は彼女のことを忘れないために。」(伊藤による訳)

②エル・ハル・クロイEl Haru Kuroi チカーノ
「彼女」"Ella" (Chicana) 2015
https://www.youtube.com/watch?v=3UbkD_3pVFs

<民謡・婚姻・DV>
 女性を結婚へとつなぎ止める家父長制自体に闘いは長く、チリ・フォルクローレの母と呼ばれたビオレタ・パラは、1950年代よりチリ各地の民謡を収集する旅の中で、僻地に生きる人びとの置かれた悲惨な境遇をも知っていくことになる(自身も貧民として生まれている)。ヨーロッパ公演のさ中に国に残した娘を病気で失い、離婚し貧しさのどん底にいた頃に書かれたこの曲は、母親を共犯者とした結婚を当然とする家父長社会、甘言の裏にある支配への圧力、女性を所有物とみなし人前で讃え裏で暴力を振るうという結婚生活などいらないと、伝統的な舞曲クエカのリズムに乗せて歌っている。1950年代にDVを可視化して歌う先進性は際だって早かったといえるだろう。それは彼女が最後まで社会の周縁部から歌い続けたこととも関係があるのかもしれない(最後はピストル自殺している)。

③ビオレッタ・パラVioleta Parra チリ
「何のために結婚するのだろう」"Para Qué Me Casaría" 1957
https://www.youtube.com/watch?v=LDC9DEvvqDU

<女性の連帯と運動>
 また60年代は、社会運動とは組織化を意味し、その中での連帯でもあった。ペルーのアンデス地域でも徐々に女性の組織が立ち上がっていく中、ペルー・フォルクローレの女王と呼ばれたパストリータ・ワラシーナ(「ワラスの羊飼い」という意味のアーティスト・ネーム)は、生きることが苦しく飲み屋で泥酔する女性を演じつつ、女性たちをいじめる奴は私、女性運動組織のパストリータ・ワラシーナが許さない、とくだを巻くシーンを必ず入れる。原詞は男がアンデス先住民として生きる人生をつらいと嘆く曲を、女性に置き換えることでさらにその辛さを強調しつつ、歌詞にないシチュエーションを語りで付加しながら歌い継いだ。また、ビデオでは曲間の酔っ払いの迫真の演技も見物である。

④パストリータ・ワラシーナPastorita Huaracina ペルー
「酔っ払い」"El Borracho" 1960s
https://www.youtube.com/watch?v=u7aN0mg1R7Y

<ニウナメノス運動>
 ラテンアメリカのフェミニズム運動が脱地域化し、大きな波となったきっかけは、2015年の14歳の少女が交際相手に殺されたことをきっかけにしたSNSでハッシュタグで一気に広まった#ニウナメノス運動(もう一人も欠けさせない)であった。#MeToo運動よりも早くに起こったこの運動はラテンアメリカ各地に大きな影響を与え、チリ、ペルー、ボリビア、パラグアイ、ウルグアイ、エルサルバドル、グァテマラ、メキシコ、スペインなどでも「ニウナメノス・マーチ」や「女性ストライキ」などが行われた。またこの標語「ニ・ウナ・メノス」は、2011年にメキシコのアメリカ国境近くの町フアレス市で殺された詩人スサナ・チャベスの詩から採られたものである。アルゼンチンの運動がメキシコのフェミサイドの犠牲となった詩人の詩からスローガンを作り、それがさらにラテンアメリカ各地に広がっていくというこのラテンアメリカの連帯の循環が非常に切実な切迫感とともに連帯を実現したことを想起させる。
 またこの曲を歌ったレベカ・ラネはグァテマラのラッパー、社会学者でありアナキスト、詩人でもあるフェミニストの「アーティヴィスト(活動するアーティスト)」で、若い頃から先住民運動や労働者の闘いに焦点を当て、社会的な抗議活動に関わってきた人だ。男性が中心となるラップ世界で、女性ラッパーとして頭角を現した一人でもある。この曲でも女性に対する暴力との闘いを彼女の歌詞の一語一語に聴くことができる。またこの曲は彼女が同国の女性蔑視、暴力の実態を提示し強く抗議した内容でグァテマラ発の呼びかけとなった。

⑤レベカ・ラネRebeca Lane グァテマラ
「ニ・ウナ・メノス」"Ni una menos" 2018
https://www.youtube.com/watch?v=VbQ_yOlzWTs

 アルゼンチン発の#NiUnaMenos(2015年)を受けた曲には例えばフェミガングスタ(後にFEMIに改名)による「私は行く」という曲がある。レベカ・レネとおなじ2018年と2015年から3年後とタイムラグがあるのは、やはり新しい運動が立ち上がった時に、即座にそれに対応したものを作ること自体もそう簡単でなく、形として結実するにはそれなりに時間がかかるのであろう。この曲は、激しい告発と同時に、ラテンアメリカをフェミニストの地とし女性とトランスジェンダーは抑圧を乗り越えていけるのだと歌い上げている。日本ではデモは単なる威信行動とみられるが、ラテンアメリカにおいては、アート表現の場であり、学びの場であり、共食の場であり、出会いの場でもある。生きることを考え、つながっていくための場として、ニウナメノス運動はラテンアメリカの女性を国を超えてつなげていくきっかけとなった。

⑥フェミガングスタft. オフェリア・フェルナンデスFemigangsta ft. Ofelia Fernández アルゼンチン
「私は行く」"Voy" 2018
https://www.youtube.com/watch?v=Ie8QV8bwHFY

<フェミサイドと性暴力>
 水口がフェミニズムと歌をきちんと向かい合う大きな転機となり、伊藤が今回もっとも紹介したいと考えた曲がプエルトリコのオピニオンリーダーの一人でもあるイレ(本名イレアナ・カブラ)だ。プエルトリコを代表する社会派のラップユニット"カジェ・トレセ(Calle 13)”のレシデンテとビシタンテの妹であり、サポートメンバーとして活動を開始し、ソロデビューした後も、女性をテーマに数多くの名曲を発表している。なかでもこの「おまえは恐れる」は、女性を支配、操作し、意に添わぬと暴力で押さえつける男性に対し、その行動原理は女性への恐れにあるのではないか、なぜそんなに女性を恐れるのかと問いかける歌詞であり、PVでは路上で拘束され性暴力を受けた女性が、一人残された状態で拘束を解き、脱がされた服を着て立ち去るまでという衝撃のシーンで、その暴力性を静かに問いなおしている。また曲調が激しいものではない、語りかけるようなものであることが、この曲が問いなおそうとしているもののメッセージがより直接伝わる構造にもなっており凄みを増している。

⑦イレiLe プエルトリコ
「おまえは恐れる」"Temes" 2019
https://www.youtube.com/watch?v=LCQpUnKe97w

<性暴力と性の解放>
 ペルーでは80年の民主化以降、長らく規制されていた欧米のロックがメディア解禁となり、一気にロック文化がペルーに戻ってきた(70年代初頭まではラテンアメリカでもロックを牽引する国のひとつだった)。マリア・テタ(本名:パトリシア・ロンカル)というロック歌手は、そんな80年代の後半から末にかけて短期間活動した、いわゆるアンダーグラウンドロックの特異点だった。男性のバンドとオーディエンスに占拠されたパンクロック中心のアンダーグラウンドロック界にデビューしたマリア・テタ(テタとはスペイン語で「おっぱい」を意味する)は、エロティックな性的イメージが女性を表象/消費する男性によって独占されていることに対し、女性がエロティシズムを楽しむ権利と、それに対するタブーを打ち破ること、同時に性暴力の中で抑圧されることを告発する音楽、パフォーマンス、言動を繰り広げ、激しいバッシングと暴力を受けながら活動した。この曲は、貧困層出身でありながら富裕層のファッションに憧れ、その格好をしてお金持ちのパーティに行って性暴力に合った女性を歌っている。マリア・テタはフェミニズムに頼らずに女性解放を目指す必要を語っており、自身をアナキストだと表明していた。当時女性が言いたいことを言える場所を作りたかったと行っていた彼女も数年で活動を停止し、国外へと移住、長らく忘れられていたが、彼女の訃報が伝わったことで一気に再評価された、唯一無二のあまりに時代の先を行きすぎたアーティストだった。
 ラテンアメリカのフェミニズムを含む社会運動はアナキズムの影響を受けたものが多く、アルゼンチン、チリ、ボリビア、ペルー、グァテマラ、メキシコなど広い地域で関連ある運動が展開されている。他方カリブ海地域ではアナキズムの影響が低く、こうした違いがどのような歴史的経緯の中で生まれてきているのかを考えることは今後重要であると伊藤、水口の報告からも見えてきた。

⑧マリア・テタとエンプホン・ブルタルMaría T-Ta y el EMPUJON BRUTAL ペルー
    「だらしない人」 "La Pituchafa" 1987
https://www.youtube.com/watch?v=AgK-Kb_m1fA

<女性の自立>
 シャキーラとカロルGというコロンビアの新旧ビックスターが、それぞれの恋人の浮気をきっかけに、お前みたいな小物の男はビッグな私には釣り合わない、若い女と好きにすればいい、所詮あんたは私を扱えるようなタマじゃなかったと、相手からの未練あるアプローチもバラしながら歌い飛ばしている。タイトルの「TQG」は Te quedó grandeの頭文字で、「私はあなたには高嶺の花、不釣り合いだったね」という意味。実際それぞれ男性を頼る必要が全くない成功者である二人の女性が、自立すれば男性に依存しなくてもいいし、媚びる必要がないということをはっきりと明言し、男性の勝手な行動に耐えるのではなく、ぶった切って捨てるのは当たり前でしょという痛快さがラテンアメリカのみならず米国でもヒットした大きな理由ではないかと伊藤は分析した。

⑨カロルG & シャキーラKarol G &Shakira コロンビア
「TQG」 "TQG" 2023
https://www.youtube.com/watch?v=jZGpkLElSu8

<先住民女性の尊厳>
本書でも扱われたように、先住民には先住民の家父長制があり、先住民言語の中には性暴力などといった言葉は存在しない。そのため、女性自体が抑圧の中にあったとしても、それを先住民の言葉だけで正していくこと自体がときに困難であるし、女性が女性だけでそれを行うことが難しく、男性と一緒に(その影響下で)活動することを余儀なくされる事も多い。ボリビアの北ポトシ地方の伝説的な女性歌手であるルスミラ・カルピオによるケチュア語で歌われた「女性たちに敬意を」も、その意味では、99年の段階で女性だけではなく、男性と「一緒に」あることを前提にしつつ、それでもこうした声を上げ始めている点が重要だと考えられる。また、その約20年後、フェミニズム活動が一気に活性した後、ボリビアのヘビメタバンド、アルコオリカ・カ・クリストがルスミラ・カルピオと一緒にこの「女性たちに敬意を」をカバーしている。カルピオの鉄弦チャランゴ(ギター属の小型複弦楽器)の演奏をぶっとばす強烈なサウンドに思わずのけぞるインパクトがある。このように、ラテンアメリカにおいては、伝統音楽と近代的な音楽が断絶しておらず、連続の中で歌い直されていくところも非常に重要なポイントであり、歌が西洋的な所有権による強固な個人の所有物とまではされておらずアートも社会の共有財的な側面を持つものとして開かれているということも重要である。
 こうした先住民言語によるフェミニズム歌謡はボリビアだけでなく、グァテマラやペルー、エクアドルからも登場しており、伝統的手法から近年はケチュア語ラップなどのに至るまでさまざまなスタイルで歌われており、ルスミラ・カルピオ以降の変化は目を見張るものがある。付録のWeb版資料集でもぜひ探して聞いてみてほしい。

⑩ルスミラ・カルピオLuzmila Carpio ボリビア
「女性たちに敬意を」 "Warmikuna Yupaychasqapuni Kasunchik" 1999
https://www.youtube.com/watch?v=YhHH8BHdivM

⑪ アルコオリカ・ラ・クリスト&ルスミラ・カルピオAlcoholika La Christo & Luzmila Carpio ボリビア
「女性たちに敬意を」 "Warmikuna Yupaychasqapuni Kasunchik" 2018
https://www.youtube.com/watch?v=m9xbFvqUYzg

<貧困女性が直面する現実>
 今回の企画で水口が一番紹介したかった曲が、このチリのラッパー、フロール・デ・ラップによる彼女の半生を歌った「決してつぶされない」だ(色あせないと訳してもよいだろう)。CIAをバックとしたピノチェトの1973年の軍事クーデター以降、世界最初の新自由主義の実験場となったチリでは、都市の近代化と同時に格差は広がり、それが解消できぬまま2019年の国家規模の民衆蜂起「社会の暴発」へとつながっている。フロール・デ・ラップことアンヘラ・ルセロ・アレイテは、スラムで育ち、兄弟の起こした窃盗、DV、性暴力、ドラッグ、父親の焼身自殺の目撃、ストリートチルドレンなどを自身で体験もしくは身近に体験しながらまさにサバイバルしてなんとかラップを支えに生きてきたと語る。その壮絶な半生は、貧しさがどれほど子どもたちを追い詰め、さらに女性であることがその生きづらさをより増していく構造を生んでいるのかを残酷なまでに描き出す。そしてそんな彼女もシングルマザーとして生きざるを得ない、それでも「私は下から来て上を目指す」と振り絞るように叫ぶように歌う。その声の切実さに心を揺さぶられる。資本主義の矛盾が、多重に差別される女性にいかに重くのしかかるのか。新自由主義が世界で初めて導入されたチリから叫ぶように歌われることを私たちは新自由主義下を生きる人間として向かい合う必要があるだろう。彼女と同じ存在は、日本にもたくさん存在しているということを、私たちは透明化してはいけないのである。

⑫ フロール・デ・ラップFlor de Rap チリ
「決してつぶされない」"Inmarchitable" 2019
https://www.youtube.com/watch?v=dawCDu2lQTg

<女性の連帯と規範への異議申し立て>
 それではラテンアメリカでもっとも有名で歌われているフェミニズム歌謡とはなにかと考えると、それはこの「恐れのない歌」と言えるだろう。この曲は女性に対する暴力(性暴力/フェミサイド)への抗議であり、フェミニストの抗議活動における賛歌でもある。チリのフェミニスト歌手モン・ラフェルテがメキシコのビビール・キンターナに、女性が殺される現状をテーマにした作曲を持ちかけ、2020年メキシコシティの中央広場ソカロで行われた「女性の時代フェス」のコンサートで初演されて以来、ラテンアメリカ中で歌い継がれている。キンターナの歌詞ではメキシコの土地の名前、その事件の被害者名が歌われるが、それが伝わったそれぞれの地域で土着の音楽スタイル(リズムや楽器編成など)で、それぞれのフェミサイド事件の地名や犠牲者の名前に置き換えながら、その土地の記憶として歌い直されているという意味でも重要な曲でもある。本書付録のWeb版資料集には、その各国版の一部が聴けるリンク集がついている。

⑬ビビール・キンターナ/モン・ラフェルテ/エル・パロマールVivir Quintana, Mon Laferte, El Palomarメキシコ
「恐れのない歌」"Canción sin Miedo" 2020

国家を、空を、ストリートを震撼させる
裁判官と司法官僚は何を恐れているのか
今日、奴らは私たち女性から平静を奪い
恐怖を植え付け、翼を生やす

毎週、分刻みで
私たちの友人が連れ去られ、姉妹が殺され
彼女たちの体を壊され、行方不明となる
彼女らの名前を忘れないでください、大統領

レフォルマ通りで行進するすべての同志のために
ソノラで戦うすべての女性のために
チアパスのために戦う女性兵士たちのために
ティファナで捜索するすべての母親たちのために
私たちは恐れることなく歌い、正義を求める
失踪者一人一人のために叫ぶ
「生きていたい」という声が大きく響きわたる
フェミサイドをぶっつぶせ

私はすべてに火をつけ、すべてを壊す
ある日、誰かがあなたの目を潰したとしても
もう何も怖くない、何もかも十分だ
もし彼らが私たちの誰かに触れるなら、
私たち全員が反応する

私はクラウディア、私はエステル、私はテレサ
私はイングリー、私はファビオラ、私はバレリア
私は、あなたが力ずくでのしかかった少女です
私は死んだ人のために今泣いている母親です
そして私は、あなたに代償を払わせる者です
(正義を!正義を!)

https://www.youtube.com/watch?v=-UgyLRjz3Oc

<女性の自立と多様の中での連帯>
 この出版記念イベントの最後を飾る曲は、伊藤、水口ともにこの曲でと一致した。それは、両親が73年のクーデターで亡命した先のフランスで生まれ、チリで活躍する女性ラッパー、アナ・ティジュによる「反家父長制」だ。しかし「反家父長制」は、必ずしも排除や闘争ばかりの歌でもない。それはエンパワメントの歌であり、女性が母や妻や娘と行った誰かの代名詞で呼ばれるケアのための存在ではなく、自分自身が主人公の人生をおくる権利を持った主体なのだと語る。それも従順ではない、社会を騒がせ、常識とされる抑圧をはねのけ、手を取り合い、新しい価値を創造する存在として、この反家父長制から自由になっていく必要があるのだと歌っている。また、PVの中では男性やクィア(性的マイノリティ)も連帯する仲間として描かれているところも大きな特徴であり、家父長制を女性だけの問題ではなく、社会みんなの問題として捉えていることが伝わってくる。ラテンアメリカにおいてフェミニズム歌謡が一気に増えるのが2018年以降だとすると、彼女のこの曲は時代を一歩先取りし、その上で強烈なメッセージと愛が伝わる名曲となっている。

⑭アナ・ティジュAna Tijoux チリ
「反家父長制」"Antipatriarca" 2015
https://www.youtube.com/watch?v=RoKoj8bFg2E

 今回の企画では、時間の関係上クィアや非スペイン語圏のカリブ・ラテンアメリカの曲を紹介することまでは出来なかった。それでも、それぞれの曲がどれほどの長い歴史とそれぞれのポジションから生みだされ、歌われてきたのかが伝われば嬉しく思う。
 同時に、付録Web資料集に160曲以上が収録されたラテンアメリカのフェミニズム歌謡のボリュームに対して、日本におけるこうしたテーマの不在が際立つ状況をどのように変えていくのかを考えていくことは非常に重要ではないかとも考える。日本でも、フェミニズム歌謡を歌っている歌手はいる。フェミサイドというタームを曲のタイトルに入れている曲もある(例えばシンガーソングライターのババカヲルコさんは当イベント会場がある高円寺で活動している)。連帯の歌、告発の歌、シスターフッドの歌、ゼロから作るのが難しければ日本語訳をつけるという手もある。ぜひ日本の運動の中からも、たくさんの歌が響いてきて欲しいと思う。
(水口良樹)

※書籍『日本から考えるラテンアメリカとフェミニズム』の詳細はこちら

日本から考える ラテンアメリカとフェミニズム

著者:中南米マガジン

中南米マガジン( 2025/04/07 )