エッセイ

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友情をクィアする キース・ヴィンセント ③

2013.09.07 Sat

「友情をクィアする――グローバル・コンテクストにおける竹村和子のフェミニズムとクィア理論」は、キース・ヴィンセント(ボストン大学)さんの

2013年4月20日、エモリー大学『セックス・ジェンダー・社会――日本のフェミニズム再考』での講話を翻訳したものです。以下、長文ですので、3回に分けてお届けします。また、英文原文については、こちらからどうぞ。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.自分の英文学者としてのプロフェッショナル・アイデンティティを再評価させることになったと語っているこれら三つの要因を書き連ねてから、竹村さんは、日本における英文学史のなかで、このことを最も慎重に考えた人物で、英国に対する「等価の教え」(doctrine of equivalence)への盲目的崇拝の外にとどまり、それとは異なる関係を見つけようともがいた唯一の人物を思い起こしています。竹村さんにとって(またミヨシにとっても)、この人物とは夏目漱石ですが、彼は、よく知られているように、20世紀初めの二年間英国で学んだ人物であり、また、そこをこれっぽっちも好きにならなかった人物でした。

ミヨシが述べているように、「漱石は話せる人もおらず、絶望的に孤独だった。文学研究にどんな意味があるかとか、自分にとってもっと重要なことは何かとか、日本人にとって英文学を研究するとはどんな意味がありうるのか、といったことをじっくり熟考するような状況ではなかった。彼はひどい神経衰弱になるまで、ほとんど完全に孤独のうちに、書籍を読んだり、書いたり、収集したりしていた。」[1]漱石は、竹村さんのように自身の立ち位置について執拗に問い続けましたが、「漱石が遭遇したその重要な問題は、[彼の後を継ぐ人たちに]積極的には議論されず、むしろ恣意的に避けられるままで、英文学という制度化は続いていったのです。」[2]

竹村さんは、今日の私の話しのなかに忍び込ませていることを皆さんが気づきだしているといいなと思っているのですが、「友達」と「淋しさ」を対比させ、多くのことを述べています。一方で、日本にはイギリスやアメリカ文学の制度があり、その目指すところは二つの国民国家、すなわち二つの帝国を「友達」の関係にすることです。良い子にして、勤勉に勉強し、一言一句OEDを引くことで、日本の英文学研究者は母なる(父なる?)テクストにより近づき、できる限りイギリスやアメリカとの距離を縮めようとし、一種の擬似コスモポリタニズムに浸ろうとします。しかし、竹村さんにとって、このことは文学との実際の遭遇とは何の関係もなく(それに彼女の本のタイトル、とても翻訳しづらいのですが、『文学力の挑戦』を思い出したいと思います)、むしろ、コミュニティや、それに付随した、擬似家族的で、通常は異性愛規範的であるジェンダー関係を前提とせずに、問題化してくれるものなのです。夏目漱石が有名な講演「私の個人主義」のなかで、まさにこの問題について、集団思考に異を唱える形で彼が語っているところを彼女は引用しています。

もっと解りやすく云えば、党派心がなくって理非がある主義なのです。個人主義者とは、朋党を結び団体を作って、権力や金力のために盲動しないという事なのです。それだからその裏面には人に知られない淋しさも潜んでいるのです。すでに党派でない以上、我は我の行くべき道を勝手に行くだけで、そうしてこれと同時に、他人の行くべき道を妨げないのだから、ある時ある場合には人間がばらばらにならなければなりません。そこが淋しいのです[3]

竹村さんは、大変うまい一手で、「党派心」というものへの漱石の批判と「個人主義者」が持つ避けがたい「淋しさ」という彼の認識とを、人間主義に向かう「旧来の」比較文学とアイデンティティ・ポリティクスに向かう「新しい」カルチュラル/エスニック・スタディーズの両極に対するガヤトリ・スピヴァクの最近の批評につなげています。竹村さんによれば、そのどちらも、彼女が漱石の不気味な残響と説明するもののなかに含まれており、「未検討のままの集合体のポリティクス」に関わっていると述べています。[4]

もちろん、漱石は必ずしもフェミニストではありませんでした。また、小説の中で極めて忠実に描き、批判をしていた男同士のホモソーシャルな世界から完全に外側に立てていたわけでもありませんでした。「私の個人主義」の同じ講演の中で、英国における女性参政権運動の理念には、彼は完全に反感を示しています。(彼女らの素行の悪さは「非‐イギリス的」だという論調は、彼がどれほどイギリスを嫌っているかを思い出すと、ちょっと違って聞こえるのですが。)しかし、竹村さんが述べているように、彼は英文学の制度に対して、それを創設するのに尽力しつつも批判的なスタンスを持ち続けることができていました。

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これにはちょっと変な(クィア)ところがあります。竹村さんはそのことを明確に認識していました。彼女は『ある学問のルネサンス?』というエッセイのタイトルが、少しハイブリッドなものだと説明しています。半分(『学問』の方)はスピヴァクの『ある学問の死』から引いています。その本でスピヴァクは、リベラル・ヒューマニズムやナイーブなアイデンティティ・ポリティクスに陥ることになってしまう「未検討のままの集合体のポリティクス」に頼らなくてすむような、新しい比較文学を議論しています。こうした未検討のままの集合体を疑問に思うことが、フェミニストやポストコロニアルのポリティクスと響きあう新しい形の民主主義に到達するためには極めて重要であると述べています。彼女はこれを行うために、デリダの友情についての議論を援用し、「民主主義――判で押したように友愛のポリティクスのひとつと主張されているもの、あるいはおそらくこれこそが友愛のポリティクスにほかならないと主張されているもの――は、ロゴス中心的=兄弟中心的な集合体の概念を前提とせずに機能しうるものなのか。姉妹については、ごくまれに、それも名誉兄弟としてのみ参加が許されるような、そのような集合体の概念を前提とせずに」と問うています。[5]

竹村さんのタイトルのもう半分(『ルネサンス』という言葉)は、F・O・マシーセンの1942年の著書『アメリカン・ルネサンス』という、アメリカにおけるアメリカ文学研究の分野を打ち立て、メルヴィル、ホーソーン、ソロー、エマソン、ホイットマンらの仕事を「キャノン」としたテクストから引いています。ヘンリー・アベラブが説得力ある論文のなかで説明しているように、ある種のクィアさを、このキャノン化の作品選択にも、このアメリカ研究を創設する作業全体を通しても見て取ることができますが、アメリカ研究の制度そのものはといえば、創設以来ずっとこのクィアさを否定することに躍起になってきたのでした。アベラブの『ディープ・ゴシック』という、和子さんが読んだかどうかわかりませんが、きっととても気に入っただろうと思う本から引用します。

マシーセンの明確なテーマは、19世紀アメリカにおける民主主義の文化様式である。ただ提示されているだけで、不明確なことは、その本が問いかけることなく形成している問い、すなわち、旧来の共和国の特権的な主体で、平等なはずで、兄弟のはずであったそうした白人男性同士を結びつけていた、あの民主主義のエロティックな意味、エロティックな原動力、絆とか愛情とかいうものは、いったい何だったのかという問いである。もし私たちがあのエロティックな原動力が何かを知っていたなら、私たちは現在の民主主義を改善し、深化させ、拡張し、前進させ、再構成さえしてくれることに関係した何かを知ることになるだろうか。ホイットマンはずっと以前に、旧来の民主主義を「ともにしがみつき、進出を果たす少年たち」のこととして描写していた。あのしがみつくとは何のことだったのか。その旧来の民主主義とは、マシーセンが分かっていたような白人男性のホモセクシュアリティと区別可能なものだったのだろうか。そしてもし可能だったならば、どのようにしてか。[6]

「クィア研究」は、アベラブが続けて述べているように、したがって、常に「無意識」の一部としてアメリカ研究の開始と同時にそこにあったのです。マシーセン自身は、自身の左翼的なポリティクスとホモセクシュアリティのために嫌がらせを受け、絶望と孤独のためにホテルの窓から飛び降り、1950年に自殺することになります。日本の英国研究についての漱石の懐疑主義の場合と同様に、アメリカ研究のこのクィアヘの無意識は、その制度が育つにつれて無視され、抑圧されてきました。しかし、アベラブが書いているように、アメリカ研究の未来は、「大部分においてその無意識が戻るのを許されるかどうかにかかっています」。[7]同じような文脈で、和子さんは自身の論文の中で、漱石は、間違いなく、日本の英文学研究と現代日本文学両方の「創始者」であり、マシーセンと同様、彼の日本の民主主義の考え方のなかに、男同士のエロティシズムの在り処についての似たような問いが投げかけられていたと気づいています。彼が卒論でウォルト・ホイットマンの「男同士の愛」における理想について書いていたことは思い出すに値することでしょう。[8]

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.一方では、ほとんどいつも兄弟の絆として想定されてきた民主主義において、姉妹や女たちの場所をどう見つけるのかという、スピヴァクの『ある学問の死』の問いがあります。他方で、民主主義がもつ男同士のホモエロティックな結びつきについてマシーセンや漱石が不問に付してきた問いがあります。和子さんのハイブリッドなタイトルも、「ある学問のルネサンス?」という問いかけです。彼女はこれをスピヴァクにメールで説明したら、「日本の英文学にルネサンスはありえない。私が述べている比較文学の類ではない」とすぐに反論の返事が来たと述べています。和子さんは次のような返事を書きました。

いや、そういう意味で――つまり比較文学だけの土壌で――わたしは話そうとしているのではない。わたしがマシーセンを出したのは、そもそも初めから、わたしが望む英文学という装置は生まれていないので、それを「再生」することはできない。だけれども、再生ということを使って、別のことを言いたい。それは「友情」に関係することだ。[9]

それでは、日本でフェミニストとして、クィア理論家として、英語圏文学について執筆することの意味は何なのでしょうか。アメリカやどこか他の場所から日本について書くことは何を意味しているのでしょうか。ご記憶だと思いますが、竹村さんはこの問いを真剣に考えさせることとなった三つのことに言及していました。一つ目は、東京の例のカンファレンスで「日本の中でアメリカのテクストを研究する意味は何か」と尋ねられたこと。二つ目は、アジアのカンファレンスで「アメリカやイギリス以外のところで他の研究者とアメリカやイギリスのテクストを研究する意味は何か」と自問するようになったこと。こうした問いはどちらも、自身の主体の立ち位置も、その人の想定上の研究対象も、どちらも不安定にすると言ってよいでしょう。その対象が「魅力的」な場合、それは本質的にそういうものなのでしょうか。あるいは、そのように魅力的にさせる外圧があるのでしょうか。あるいは両方なのでしょうか。

その答えは「両方」ですし、そうに違いないと思います。それに、このことは、なぜ竹村さんが述べた第三の要因がとても重要なのかの理由にあたることだと思います。これというのは、彼女が1990年代初頭からセクシュアリティの問題に焦点を当てるようになっていったということです。私が先にこのことに触れた際、この理由をはっきりさせていなかったかもしれません。しかし、最後に当たり、ここで明確に申し上げたいと思います。セクシュアリティを研究するということは、お互いからも、私たちが心的エネルギーを備給するさまざまな対象からも、私たちを近づけたり遠のけたりする原動力を研究するということ、つまり、「愛」とか「欲動」とかそう呼ばれるあらゆるものの持つ力を研究することなのです。「私たちが研究していることを<愛する>とはどんな意味なのか。あるいはそれを嫌うとは何を意味しているのか。このうちのどれくらいが個人的な嗜好で、どれくらいが自分たちのコントロールからはずれた構造上の圧力なのだろうか。私たちが枠の中で研究している学問の制度の歴史は、これをどのように可能にし、また、制限するのか。」

私が論じてきた竹村さんの著書のサブタイトルは、「ファミリー・欲望・テロリズム」です。ですので、フルタイトルは、「文学力の挑戦――ファミリー・欲望・テロリズム」です。最初に表紙のこれらの言葉を見たとき、私は並列的に、その書籍が論じているキーワードの単なる羅列として読んでいました。しかし、本の中身を読み進めるにつれて、これが単なる言葉の羅列ではないことに気づきました。そうではなくて、リビドーにおいても社会においても同じくらいの「接着材」、すなわち、恋愛関係にあるカップルから、家族や、日本における英文学研究のコミュニティや、国家や、最も極端な場合には、テロ組織にいたるあらゆる種類の集団を結びつける接着剤という、様々に異なる形式や強度の一種のスペクトラムを表象しているのです。その「接着剤」を真剣に受け取ること、つまり、家族、友情、エロティックな欲望との間の線がつねに動いていること、また、それがどのように動くのかを理解することは、セクシュアリティについて真剣に書くことを意味しているのです。そして、このことは、「英文学」を形成した世界の歴史の力学のなかで、竹村さんが自身の立ち位置についてのあのような問いに直面し、それらを通して考えることができたことに、なぜセクシュアリティが鍵となっていたのかの理由だと思うのです。このことが、彼女の研究をフェミニスト的であると同時にクィアたらしめているものなのです。そして、このことが、たとえ「日本について」ではなくても、それは日本研究のフェミニストやクィア研究者にとって読む価値がある理由なのです。

しかし、竹村さんの仕事で本当にスリリングなところであり、また、彼女と私が友達であった理由でもあるのは、こうした「立ち位置」という問題があっても、彼女の仕事がそこで止まらないことにあるのだと、私は文学者として触れずには終われません。その書籍のメインタイトルにあるように、それは、文学、つまり「文学力の挑戦」でもあるのです。これこそ、竹村さんが実際の文学テクストの精読という織物のなかに、何か他のもの、行間から予期せず、動き、「這い出て蠢く」ものの余地を見出す理由なのです。




[1]Miyoshi, “The Invention of English Literature in Japan.” 281.

[2]Miyoshi, “The Invention of English Literature in Japan.” 283.

[3]『文学力の挑戦』302頁から一部引用。英語翻訳は以下を参照のこと。Natsume Soseki, Theory of Literature and Other Critical Writings. Ed. Michael K. Bourdaghs, Atsuko Ueda, and Joseph A. Murphy. New York: Columbia University Press, 2009. 260.(夏目金之助「私の個人主義」『漱石全集 第16巻』岩波書店、1995年、608‐09頁。)

[4]Gayatri Spivak, Death of A Discipline. New York: Columbia University Press, 2003. 28.(ガヤトリ・C・スピヴァク『ある学問の死――惑星的思考と新しい比較文学』上村忠男、鈴木聡訳、みすず書房、2004年、45頁。)

[5]Spivak, 32.(『ある学問の死』51頁。)

[6]Henry Abelove, Deep Gossip. Minneapolis: University of Minnesota Press, 2005. 62-63.

[7]Abelove, 69.

[8]「文壇における平等主義の代表者ウォルト・ホイットマンの詩について」『漱石全集 第13巻』岩波書店、1993年、13‐20頁。

[9]『文学力の挑戦』321頁。








カテゴリー:竹村和子さんへの想い / シリーズ

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