2014.09.29 Mon
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.以下にご紹介するのは、今年7月に韓国で公刊された『慰安婦をめぐる記憶の政治学』(イソニ翻訳 現実文化、『ナショナリズムとジェンダー』が韓国で翻訳され公刊)を紹介する、『京郷新聞』の記事です(7月18日付)。
なお、ハングルでの表示と上野さんご自身が日本語で提供したインタビュー記事には細かな違いがありますが、本記事は、日本語による上野さんのお応えを尊重して編集されています。
1991年終戦記念日 の前日であった8月14日、金学順さんは挺身隊問題対策協議会事務室で従軍慰安婦の実体について初めて証言した。1990年6月、日本政府の関係者が「日本軍は従軍慰安婦問題に関与していない」と発表したことに対する怒りの表現であったのである。実名を名乗ってなされた証言 は国内でも初めてだった。1991年12月、金さんは東京地方裁判所に提訴した。日本の女性社会学者である上野千鶴子はドイツに滞在していながら、この報道を聞いたという。同じ敗戦国でありながら、ドイツと日本の戦後処理のあまりの違いについて、その理由を考え続けていた彼女は「ボディブローをくらわされたような痛みを感じた」と言う。その後、従軍慰安婦問題は彼女において一生の課題となった。
この本は1998年、日本で発刊された『ナショナリズムとジェンダー』を大幅に改正し増補した2012年版の韓国語版である。1部は日本軍慰安部問題が提起された核心である国民国家と記憶の問題を扱っており、改定増補版で小幅に改定された。2部と3部は追加されており、3部は日本の知識人たちと起きた論争に対する答弁を集めたものである。
著者は「国家が冒した戦争犯罪をめぐって、女性にはどのような責任があるだろうか」という疑問に対する答えを根強く模索し続けた。彼女は日本政府が戦争初期から”後方”にいる女性の協力が不可欠であると判断し、女性の組織化を進め、戦時期の女性は戦争に参加することによって女性の権利の伸張を図ろうとしたため、戦争の責任から逃れることはできないと主張する 。
しかしながら著者は反省的女性史の流れに対しても批判を行い、国民史を越えるためのジェンダー概念によってナショナリズムの危険性を強調する。
著者は日本のある社会科教師が慰安婦問題を討論に取り上げた際、クラスにいた在日韓国人の女子生徒にむけて、クラスの全員に「お前たち、ここで彼女に対し謝れ」と要求したという一話を例としてあげた。それを当の在日韓国人の女生徒が「そういう問題じゃないと思うけど」と、困惑したという。個人と国民国家を同一視することによる陥穽が垣間見えるエピソードである。
勿論、著者の基本的論旨は「日本政府が責任を取るべきだ」ということで、日本の態度を〈三重の犯罪〉と、表現する。「第一、戦時強姦という犯罪、第二、戦後半世紀にわたるその罪の忘却。それに加えて現在、保守派の人々よって被害女性の告発を否認されていることを第3の犯罪と呼んでもいい」という。著者は、1995年に設立した「女性のためのアジア平和国民基金」についても辛らつに 批判する。国民基金の公的性格が曖昧だったため、責任の主体が明確ではないということ。国民基金が国家レベルの賠償をしないための口実として利用される恐れがあること 、〈国民全体の責任〉という言葉から再び〈1億人総慚悔〉という無責任な体制が再生産されることを理由として述べる。
著者は被害者の要求である公的謝罪、国家による賠償に応じるべきであり、そのため〈戦後補償特別法〉を制定する必要があると主張する。しかし、単に政府の責任だけを問うのではない。代議民主主義体制のもとで「〈国民=投票者〉として政策決定者に委託してしまえば終わるのではなく、政府が間違っているときに反対する行動を起こすことが〈市民の義務〉」であると、強調する。
慰安婦問題に初めて出会った1991年 、東京大学の助教授だった著者は2011年に同大学の名誉教授になった。認定NPO法人 ウィメンズ・アクション・ネットワーク を設立し、慰安婦問題を重要なテーマの一つとして扱っている。著者をメールでインタビューした。(インタビュー翻訳:チョン・ハーミン)
上野さんへのインタビューは、10月 5日にアップします。