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サイエンスカフェ「スポーツのジェンダー構造を読む」に参加して 関めぐみ

2011.07.26 Tue

7月20日に「身心一体科学で120歳まで元気に生き生きとサイエンスカフェ」の第3回「スポーツのジェンダー構造を読む」が行われました。
講師として飯田貴子先生(日本学術会議連携会員、帝塚山学院大学教授)、コメンテーターとして上野千鶴子先生(社会学者、日本学術会議会員、ウィメンズアクションネットワーク理事長)、ファシリテータとして跡見順子先生(身体生命科学者、日本学術会議連携会員、東京大学名誉教授)が参加するとのことで、大学院生の私としては非常に楽しみにしておりました。
個人として気軽に参加し、終了後上野先生に挨拶に伺ったところ「レポート書いてね」と言われ…以下、報告させていただきます。

まず、飯田先生の講義「スポーツのジェンダー構造を読む」は、「スポーツとジェンダー研究」の概要を1時間ほどで、研究者以外の方にもわかりやすく紹介するという贅沢な内容でした。  ジェンダーの用語解説から始まり、19世紀のイギリスで成立した近代スポーツの意味について。特に、その成立当初から「性の二重規範(ダブルスタンダード)」を内包していることを問題点として挙げられていました。

スポーツは男性文化として、男性の身体上に構築され、発展してきており、近代資本主義社会の形成を担うエリート集団の教育イデオロギーであること。一方女性のスポーツは、上流階級の女性の間で、女らしさを損なわない、美的なスポーツとして生まれ、発展してきたことを解説されました。  「オリンピックにみるジェンダー」として、近代オリンピックへの女性の参入状況を説明されました。男性文化としてのスポーツへの挑戦をすることで、女性が二流の選手として立ち現れ、結果として女性を二流/亜流/下位の人間としてしまう。近代スポーツはこうして「一流/二流」と「男性/女性」を構築してきました。  「メディアにみるスポーツとジェンダー」として、テレビスポーツ中継の放送時間の比較やアテネオリンピック期間中のスポーツ報道の違いをグラフで示されました。そして、女性アスリートをジェンダー化し、競技能力を矮小化する表現方法としてさまざまな具体例を紹介されました。

例えば、今話題の「なでしこジャパン」。男子の「サムライ」ジャパンに対し、なぜ「くノ一」ではなく「なでしこ」という可憐なお花の名前が使われるのか。日本サッカー協会の公式ホームページで「なでしこVSアメリカ」という表現がされており、日本代表のはずなのに「日本VSアメリカ」と表記されないことなどに先生は憤慨しておられました。また、女子ビーチバレーボール選手のビキニパンツの側面の幅が7㎝以下にルールで定められていることなども、視聴率を稼ぎたい、商業化したスポーツの表れであるといいます。

この問題の原因の一つには、女性ジャーナリストの不在が挙げられます。飯田先生が2008年に研究されたところ、日本新聞協会に加盟している41社のうち記者の数は、男性617名に対し女性61名で、9.0%。また、その記者の書いた記事を載せるか載せないかを決定するデスクの数は、男性128名に対し女性2名で、たったの1.5%だったそうです。  「子どもの体力におよぼすジェンダーの影響」として、女子の体力の低さには社会的文化的要因があること、「性の多様性を無視・性別二元論を推進」として、性別確認検査の問題なども指摘されました。最後に基本的人権としての「スポーツ権」が誰もに保障されていることを確認して、講義は終了しました。

次に、上野先生からのコメントとして、主に4点挙げられました。
「①スポーツのジェンダー化」として、元々暴力的なところから発生していることや、「勝負」と「ナショナリズム」があわさっていることについて。「男性はなぜ家事労働をしないのか」に対する理由に「TVを見ている」というのがあり、それが主にスポーツ観戦だという。そこでは女が二流であることが可視化されているため、ジェンダー化されてしまうという感想を述べられました。

「②ジェンダー境界の接近」として、競争的で強い女性が増えていることについて。(男性でも、眉毛を細くし、あぶらとり紙を使うというエピソードも飯田先生から挙がりました。)

「③ジェンダー境界の攪乱(かくらん)」として、トランスジェンダーについて。②と③が進み、ジェンダー境界を無くす方向に向かい、労働問題における「男女雇用機会均等法」のようなものができればいいと思っているのか。性差を個人差にしていいのか。結局労働問題と同じくネオリベ的競争に巻き込まれるだけで、女性には不利ではないのか、という質問がでました。

「④障がいとスポーツ」として、女性と同じくスポーツの世界から排除されている「障がい」について。「より速く、より高く、より強く」というオリンピックのモットーではなく、何を価値とし、何を美しいとしていくのか。障がい者自身が活動する劇団「態変(たいへん)」の試みについても触れられました。

また、最新の「學士會会報」が「スポーツ」を特集していたが、論を寄せている4人とも男性で、スポーツアカデミズムの中にジェンダーの視点が全くないこと。セクハラが問題化しにくいスポーツの世界や、女児のヤセ願望にみる「食の問題」についても言及されました。 ジェンダーの境界をなくしていきたのか、という質問に対し、飯田先生は「多様性」を認めていく方向を目指すと言います。そこで、ジムナストラーダ(Gymnaestrada)に参加したときの体験をお話しいただきました。みんなが勝ち負けにこだわらず、参加するだけで金メダルをもらえるような大会だそうです。 また、客席から馬術やセーリングの一部はオリンピック競技でも男女混合で行われており、そういう競技を増やしていくという方向もあるのではないかとの意見もありました。  その他の議論として、学校体育での武道必修化について、また、「体育やスポーツについての意志決定機関に女性がどのくらいいるのか」と、主催者の文科省に問い詰める場面もありました。

予定していた時間を少し超えての、意義深いサイエンスカフェの場でした。関わった皆さま、参加者として非常に楽しめました。ありがとうございました。

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タグ:スポーツ / ジェンダー / 関めぐみ