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高林実結樹の認知症予防活動

2013.07.13 Sat

第2話  スリーAとの出会い―スリーAとは

私がボランティア活動を10年ほど続けたころ、遠方からのSOSに対して、物理的、時間的に動けない辛い場合が出てきました。丁度その頃、潜水艦と釣り船が衝突するという海難事故がありました。

ニュースでは、現場の小さな船による救援はあったが潜水艦からの助けはなかったとのことでした。そこで私はハタと気が付いたのです。ボランティア活動とは小さな船。国中の家族の苦しみに対応できるのは国家規模の大きな支援施策だということです。

 認知症介護家族が、なぜボランティアの支援を求めるのか? ボランティアしか無かったからです。それで私は老人福祉法を熟読し、老人福祉法の対象が「寝たきり老人等」と規定されていて、「痴呆老人」は福祉の対象外であることをはじめて知りました。親孝行な子ども達に介護疲れからの尊属殺人をさせている原因はこれだ!法律の遅れだ!と思いました。

何故、法律上、痴呆は福祉の対象でないのか?

何故、医師も看護師も福祉施設の職員も認知症についての知識・理解が乏しいのか?

それは日本の国が高齢化社会でなかったから、患者数が極端に少なく、医科大学で研究する必要度が低かったのです。昭和58年に京都大学医学部学生の勉強会に招かれた時に、そのことがはっきり判りました。

 当時は脳の病気だから脳病院=精神病院がひっそりと扱っておられた。だから初期のショートステイは精神病院しか無かったという歴史の流れに気づきました。

それならば、法律の文言に「痴呆ならびに寝たきり老人等」と6文字加筆してもらって、痴呆在宅介護も福祉の対象にして貰うべきだ。法律作成者に加筆願いをしようと思いたちました。

 時の厚生労働大臣に手紙を3通送りました。ナシの礫で、一度も返事はありません。たちまち手詰まりです。 その時に偶然手にした雑誌に厚生労働省の企画法令係長の肩書きで一文掲載されているのを読みました。老人福祉に関する註があって「寝たきり老人等」と書いてあるのです。まさに天から降りてきた蜘蛛の糸のようで、居ても立ってもおれなくなりました。

 私は大臣あての手紙の控えと法律書を鞄に入れて、高速夜行バスに単身乗りました。早朝に厚労省の入口で、雑誌の写真で見た目ざす相手を掴まえようとしたのです。弥次喜多道中のような趣きもありましたが、アポイントもとらずに飛び出したのが成功して、目指す係長に面談がかない、「これは法律でなく、通達ですから加筆は可能です」と聞いて、「よろしく」と最敬礼をして帰宅しました。

追いかけるように厚労省から郵便が届き、「要援護老人」という表現では如何ですか?と問われて喜んだものです。

 その同じ雑誌にもう一つ、瞠目した記事がありました。それこそがスリーA方式認知症予防教室との出会いでした。認知症の重度化予防を目的とした、軽度認知症からの引き戻しを目的とする「スリーA(かるく、たまを使って、きらめない)教室」の報告文を読んだのです。腰が抜けそうなショックを受けました。

認知症を発病した人たちの9人の合宿教室で、どんなによくなるか、変化の実態、データも数字で発表されていました。母が求めていたのは是だったのだ、認知症からの引き戻しが可能なスリーA教室が静岡にあるのだ、この教室は日本中に必要だ、まずは京都に! 奮い立つ思いでした。

それは母の死後10年が過ぎた1993年(平成5年)のことでした。

予防教室を先ずは京都に作りたい! その思いだけで筆者の増田末知子(まちこ)先生に電話をかけたのです。一度の呼び出し音で受話器をとられたのがご本人でした。私の言い分を聞いての質問は三つでした。看護師の資格は? 教室で大勢にものごとを教える経験は? 部下を束ねる統率力は? 三つとも「ありません」と答えたので、即座に落第しました。

認知症予防教室を運営するにはその三つが必須条件でした。出鼻をくじかれた私は増田先生の講演を聴いて勉強をしようと、静岡へ、福知山へ、大阪へ、滋賀へ、京都、宇治(2度)と、追っかけのように講演を聞いて回りました。

講演の中で、必ず脳の活性化ゲームの体験を入れられます。ゲームはレクリエーションに見えて実は頭のリハビリなのでした。それを私が理解できるように講演の中にゲーム体験を入れて「これは記憶力の継続訓練になるのです」と説明をされます。こういう講演は初めて聴く・視る・体にしみこむ、しびれるような感動でした。ぼけ=物忘れ、それをよくする、家庭生活をできるように引き戻す、ハハーン脳の活性化とはこのゲームの進め方にあるのだな!

母には間に合わなかった…。でもこれから増えるであろう後続の人々のために、予防教室を絶対に京都にほしい。だが私にはその力が無い…。

落胆しても気持ちは明るくなりました。介護家族は皆が皆、希望をもてず出口のないトンネルの暗闇を手探りで歩いているような状態でした。希望がここにあると指差したい。一人でも多くの人にスリーA教室を伝えたい。そのように決心をしました。

(続く)

タグ:老後 / 認知症 / 高林実結樹