2014.10.06 Mon
まず最初に、司会者からセミナー開催の経緯についてお話しがありました。 参考文献である『敗戦直後を切り拓いた働く女性たち―「勤労婦人聯盟」と「きらく会」の絆』について、フォーラム運営メンバーで学習会を実施した際、「生理休暇」について年代の意識差があることに気付きました。年配の方々は「生理休暇は、私たちが勝ち取った重要なものであり、当然、取得すべきもの」と考えているのに対し、40代以下では「生理休暇って取っていいのだろうか、実際には取りにくい」と感じていたのです。そのような分断があることの気づきから今回の連続学習会は企画されました。
学習会の冒頭、講師の伍賀さんは「勤婦連の活動は、企業をまたぐ横のつながりという貴重な活動であり、(一般的には企業別労組であるため)どの労組の歴史にも載っていないからこそ、残していく必要性がある」と考えたこと、そしてこの歴史を執筆するにあたり、プロローグとして終戦直前の印象的なエピソードを取り上げたことをお話しされ、講演が始まりました。
プロローグで取り上げられたのは、戦争中、男性が兵士として駆り出されたあと市バスの運転手として働いた桂あや子さんです。桂さんは、大阪で最も早くできた大阪交通労働組合(交労=後の大交)の結成大会において早くも「有給の生理休暇とバス営業所へのトイレ設置」を提案。1945年11月15日のことでした(46年に生理休暇承認実施)。 桂さんは組合活動の中でもとりわけ印象的なこととして、「男子バス車掌募集」に待ったをかけ、組合の婦人部員が一人ひとりを紹介する運動により必要人員数を女性で確保したことをあげておられます。「女の職場は女で守らなあかん」を実践したことを誇りに感じていたとのことでした。 桂さんのエピソードから、戦争によって男性が兵士として命を奪われたのと同じように、女性は産業戦士として強制労働をして銃後を守り、戦後は男性の復員で職場を追われるという、生身の人間の進退が強制される「戦争の非人間性」を伍賀さんは強調されていました。
大阪勤婦連の結成は1946年6月23日。戦後間もなくの結成であること、企業の枠を超えて結成されたことに加え、働く女性だけでなく、いつか働く人もいるからと家庭婦人=婦人団体も含めての「女性の共同戦線」として結成されたことがとりわけ特徴的です。このような婦人の共同戦線は、(現在把握できている限りは)京都と大阪だけという、ユニークな活動でした。 労組の婦人部の必要性を感じていたメンバーは、各労組に足を運び女性に直接会って活動を広げていきます。それはどこにも教科書のない未知の課題への挑戦であり、職場全員を対象とする大衆的婦人部という今までにない活動でした。 様々な活動を牽引してきた勤婦連が、学習活動を重視しており、「自己主張が出来るように」との弁論大会や「仕事への積極性や企画力を養う研修」としての研究会など、女性の研鑽活動にも力を入れていたことは興味深いことです。 当時は女性が男性と対等にモノを言うことに大変な勇気のいる時代。自分の頭で考え自分の言葉で語ることができるよう、女同士の共通の課題により手を取り合い連帯していった勤婦連の果たした役割は大きいと言えるでしょう。 勤婦連は、関西民主婦人協議会の結成(1948.8.15)とともに自然解消したと言われています。その後、主要なメンバーは大阪総評婦人部活動へと結集することとなりますが、せっかく結集したボトムアップの組織をわざわざバラして合流したことは非常に残念なことでした。 当時の婦人部活動の共通課題は「生理休暇」「男女同一労働同一賃金」「均等待遇」であり、今もなお、課題として残っています。
1947年の労基法制定は、労働時間を規定するなど意義深いものでしたが、経済界が望んでできたものではなかったが故に、制定後からすぐに形骸化、改悪が始まっていきます。 このような流れの中、女性たちは1957年に「母体保護運動強化月間」を設定し、その中で遵法闘争(法律をしっかり守って権利を取得する)を行ってきました。1962年からはILOの102号や103号条約をふまえ、社会保障の視点で母体を考えることから「母性保護運動強化月間」と名前を変え、運動を展開します。 一方、企業側は「女子の戦力化」を打ち出し、「女子過保護論」や「平等か保護か」の二者択一キャンペーンが張られました。また、「労働基準法研究会」(労相の私的諮問機関)では、1974年11月に「生理時の症状はただちに就労困難にむすびつかない」と医学的根拠を否定。女子保護廃止の必要性を結論づけ、男女平等法の制度化に言及しました。 「女子過保護論」が展開されるなか、竹中恵美子先生は1974年論文「保護と平等―労基法(母性保護)をめぐって」において、母性を私的機能として家庭内に封じ込める問題点を指摘。1984年論文では「出産/哺乳は母性保護、生殖機能保護と育児については両性保護をめざすべき」と論じておられます。また大阪総評婦人協は2万人調査により現場から「労働基準法研究会」報告への反証を試みました。
しかしながら、女子保護廃止は均等法とセットとして巧妙に進められ、平等の意味をめぐって「機会の平等」か「結果の平等」かの議論へと移っていきます。「男女平等問題専門家会議」(労相の私的諮問機関)は1982年5月「めざすべき平等は機会の平等であり、結果の平等を志向するものではない」との結論を報告しています。 その後、第19次労基法改正により女子保護規定は緩和され「生理休暇」という文言も消えることとなりました*。また、均等法改正においても1997年6月「男女共通時間規制にすべき」という理由で「女性の時間外・休日・深夜業規制」が廃止されたにも関わらず、1999年4月の改正では「男女共通時間規制」は規定されないままとなっています。
*「生理日の就業が著しく困難な女性が休暇を請求したときは、その者を就業させてはならない」68条⇒「生理休暇」ではなく、「休暇」を請求した時はと改定

最後に伍賀さんは、母性保護は女性が人間として生きていくための基本的な権利であり、それは女性のみならず男性にも拡大して適用していくべきであること、また、冒頭司会者から「世代間」の意識差の話があったが、環境も変わっていることもある。敗戦直後、道なき道を作ってきた先輩たちが、後に続く人たちのために道を切り拓いた勤婦連の活動を学ぶこと、また技術革新や時代によって形態は変わるが、人間らしい労働と生活(ディーセントワーク)をめざすという精神は変わらないということを次世代の人と共有し、今何が求められているのかを、次回学習会で深めたい、との言葉で締めくくられました。
伍賀さんのお話しのあと、竹中恵美子先生からアメリカの事例について、以下の補足的なコメントがありました。 「1981年に私がアメリカに行ったとき、一番知りたいと思ったのは、アメリカでは、1972年に、「公民権法第7篇」を大幅に改正した「雇用機会平等法」が成立しますが、その時、従来あった一連の女性に対する保護法は、「女性個人の能力や好みを考慮に入れないものであり、したがって性に基づく差別である」として、従来あった女性のみの保護規定(出産休暇まで)を、廃止してしまったことです。その点で、母性を社会的権利として、法によって保障しようとする国連やヨーロッパ諸国とは異質です。 しかし、その代わりに女性の地位を高めるためには、教育、人的資本の形成が大切であるとして、大学へのパート学生の受け入れやコミュニィティー・カレッジの普及などに努めています。個人主義を重視するアメリカ的な特徴といえますが、いまだにアメリカは、「女性差別撤廃条約」を批准しないままとなっています。」
今回の学習会と質疑から感じたのは、1つは、生理休暇やその他の母性保護に関わる運動をしてきた日本と、そのような制度が全くないアメリカは一見随分と進め方が違うように思えるものの、ともに女性の教育が重要であると考えていたという点では共通していることです。 ですが、(これも日本とアメリカでは事情が違うのかもしれませんが)少なくとも今の日本においては「教育における男女差」というのは随分と縮まっていると言われています。とすると、ここでいう「教育」とは何なのかを考えたとき、私の中では「経験」もしくは「経験により学ぶこと」や「女性自身の意識改革」のようなものではないかと思えます。 「経験」に関して言えば、働くうえで「女性に責任ある仕事を任せることを躊躇する」というような無意識のバイアスがあり、女性に経験の機会が与えられないというのはよく言われることです。今回、歴史を振り返ってみて、勤婦連の方々がとりわけそれを重要と考えて力を入れてきたのは、背景として、戦時中、男性の仕事だと思われてきた仕事に女性が従事するなかで「女性にできない仕事はない」ということを身をもって実感していたからこそではないかと、そのように感じました。
そしてもう1つ。学習会以前には、生理休暇をはじめとする「母性保護」という言葉に何となく違和感を感じていたのですが、その違和感は、「母」という文字が産むことを前提としているように感じられること、またそれを「保護」するという言葉だったのではないかと思います。 しかし、学習会の中で、もう少し詳細を切り分けて考える必要があること、つまり、出産や哺乳は母性保護として、生殖機能や育児については「両性」保護が必要であるということを伺って、自分の中でのもやもやとしたものが少しはっきりした気がしています。 今まで自分の中では「母性=女性」として「女性(人)を保護する」というような意味に捉えていて、そのことが「保護というのは何かしら対等ではない(保護する人/される人)」と感じていたのだと思いますが、ここでいう保護は、「機能」や「役割」に関する「保護」を求めるということなのではないかと。逆に言えば、自分の中にこそ「女性は子供を産むものだ」という意識があったのではないかと改めて感じました。 ただ、やはり「両性保護」となっても、「子どもを産み育てること」を前提とした話のように思え、産まない人産みたくない人にとって、その「機能」は保護される必要はないのか、という点が自分の中で理解が進みません。それがリプロダクティブヘルス・ライツに関わってくるところだと思いますので、そのあたりについては、次回の「現代編」の中でさらに深く考えていければと思っています。
今回の学習会アンケートにおいて、次回(現代編)で講師の北田先生に聞きたいこととして、
(1)「女性の健康の包括的支援法」について法案の問題点をどのように考えていらっしゃるのか。
(2)リプロダクティブ・ライツのない法案が通っていくことについて。
(3)生理休暇をとらないことが本当に女性のからだや健康に影響するのか。(子どもを産まない場合にも)
などの質問がすでに出されております。 現代の課題も意識をしながら、「女性のからだと仕事」について考え、今回の歴史で学んだことも踏まえて、いかに今後につなげていくかを考えられればと思っています。
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