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安保法制は集団的「他衛」権

2015.06.08 Mon

<マスコミ報道が報じなかったりポイントを外したりする重大ニュースをときどき解説します>

集団的自衛権で日本が守れるの?

 6月7日の「サンデーモーニング」を見ていた。集団的自衛権の議論で、女性カメラマンの安田菜津記さんが、安保法制の動きを批判しつつ次のようなことを述べられた。「私の周囲に、他国から攻められてきたときのことを考えると(集団的自衛権にかかわる安保法制も)否定しきれない、という人がいる」(概要)。

うーん、これは困った。集団的自衛権が、「他国が日本を攻めてきたとき」の問題だと考えている人がいるようなのだ。つまり、今回の安保法制が、「日本を集団的に(つまり米国に)自衛してもらう」ものだというわけだ。これはとんだ勘違いだ。

 日米安保条約は何のためにある?

 もし今、仮に中国が日本を攻撃すれば、日本は個別的自衛権の名のもとに反撃するだろうし、米国も日米安全保障条約に基づいて日本防衛に入るはずだ。もっとも、日本側に非があれば(たとえば先に手を出す、明らかな挑発行為を行うなど)、米国は(議会の否認などで)対応しないかもしれない。(また、現在「紛争中」の先閣列島での衝突には、米国の態度はいまだ曖昧なところがあるし、これも議会の承認が前提だ)。しかし、少なくとも先に中国が不当な攻撃をしかけてきたなら、直ちに国連の安全保障理事会で、いわゆる集団的安全保障問題(つまり国連による集団的制裁の問題)になるはずだ(そもそも、集団的自衛権は、国連の集団的安全保証体制での対応が開始されるまでの臨時的措置ということに国連憲章ではなっているはずだ)。常任理事国である中国の拒否権で国連決議があげられない場合でも、経済封鎖などの懲罰は可能だ(そんなリスクを今の中国が負うはずがない)。日本側から仕掛ける場合以外は、中国との関係で日本が「攻められる」ことを心配することはほとんどないのだ(もっとも、同盟国である米国が中国と戦争を始めたら、今回の安保法制が成立すれば、日本は米国の戦争に参加する可能性がでてくる)。

 「他衛」のための集団的自衛権

 集団的自衛権は、基本的に自国を「自衛」するものではない。同盟国を「衛る」ためのもの、つまり「他衛」を意味するものなのだ(先日の国会の憲法審査会でも、自民公明次世代推薦の長谷部さんも、はっきり「他衛」のためのもので、憲法違反だと発言しているが、この「他衛」という言葉があまり報道されていないのも気にかかるところだ)。

しかも、戦後の歴史の中で、この集団的自衛権は、同盟国の防衛というよりも、他国への軍事的干渉の口実として使われてきたことの方が多いような「権利」なのだ。たとえば、旧ソ連が1956年に行った(ワルシャワ条約機構に基づく)「ハンガリー革命」弾圧のための派兵、同じく68年のチェコスロバキアへの軍事介入が代表例だ。1979年のアフガニスタンへのソ連の「侵攻」も、(ソ連の傀儡の)アフガニスタン政府の「要請」による集団的自衛権に依拠する行動だった。

日本の「同盟国」米国も、これまでベトナム戦争(東南アジア集団防衛条約による)、ニカラグア革命への反革命軍(コントラ)支援のための軍事介入をしてきた。最近では、9・11の後のアフガニスタンへの軍事介入も、集団的自衛権行使の実例だ。このときNATO加盟国は、集団的自衛権の名の下に米国と一緒に軍事行動に入ったのは記憶に新しいところだろう。

つまり、ストレートに集団的自衛権を認めるということは、このアフガニスタンへの軍事介入のときのNATO各国と同様の軍事行動に日本も加われるようにする、ということなのだ。付け加えれば、集団的自衛権の対象は「同盟国等」と「等」までついている。オーストラリアが含意されているということだが、もっと拡大解釈すれば、日本も、かつてのソ連やアメリカのように、口実さえあれば「侵略戦争」も可能になるはずだ。

 なぜ、今、集団的自衛権?

 今回の日本における集団的自衛権の動きの背景には、現在、アメリカ合衆国が、単独で「世界の警察」の仕事を継続することが(経済的にも政治的にも)むずかしくなっていることがある。経済的困難とともに、「これ以上米国市民を戦争で殺すな」という国内の批判に対応が迫られているのだ。そこで、日本にも米国の軍事介入の手助けをしてもらおうというわけだ。米国市民の代わりに「血を流してもらおう」というわけだ。(歴史問題等で安倍首相に好感をもっていない米国政府が、両院議会演説も含めて安倍首相を歓迎したのも、「今後の米国の戦争に協力してくれる」のだから当然だろう)。

戦後の日本政府は、「米国も成立に深く関与した平和憲法を守って何が悪い」とばかり、憲法を盾に、「平和国家」という国際的な評価とともに軍事的な関与を制限してきた。そんな日本にとって、この集団的自衛権はどんな「利益」があるのだろう。日本に暮らす大部分の人にとっては、まったく迷惑なだけだ。でも、一部の人には大きな利益がある。

 日本にとっての集団的自衛権

 軍事的なリアリティを持たない安倍首相は、たぶん、「おじいちゃんの敵討ち」の気持ちと、サヨク嫌いの思い込みのなかで突っ走っているところもあると思う。でも、もう少し、長期的に集団的自衛権を準備していた人もいるはずだ。

まず考えられるのは、外務省のタカ派だ。外務省は、集団的自衛権による国際的な軍事関与により、国連の常任理事国入りを狙っているといわれる。日本語でいう「国連」とは、第二次大戦で日独と戦争した「連合国」のことだ。だから、現在の「国連=連合国」にはドイツと日本はいまだ「敵国」と位置づけられている。国連には長いこと米国に次ぐ資金供与をしてきたにもかかわらず、発言権が弱い日本にとって、「常任理事国」入りは長いこと「夢」だった。常任理事国として集団的安全保障体制の一角に加わるには、軍事的な参画をする能力を示す必要があると、こうした人たちは考えているのだろう。

 軍産複合体?

もうひとつは、軍需産業だろう。安倍首相のバックには日本最大の軍需産業である三菱重工が控えているといわれる。最近の「武器輸出三原則」の破棄と、「防衛装備移転三原則」の成立も、背後には日本の「武器商人」がいるのだろう。平和憲法のもとで、「もっともお金儲けにつながる」武器の製造と輸出を制限されてきた軍需産業にとって、現行憲法は邪魔でしょうがないはずだ。グローバル化のなかで兵器による金儲けが狙われているということだろう。

かつてアイゼンハワー大統領が嘆いたこと(1960年の退任演説で「この国には制御が困難な軍産複合体が生まれつつある」と発言)通り、その後のアメリカは、世界各地で「戦争」を次々と作り出した。戦争の勃発と拡大は、何よりも「お金」になるのだ。日本でも、これから同じことが起こりかねないのだと思う(もっとも日本の軍需産業の拡大は、かつて戦争をした経験のあるアメリカから日本の軍拡抑止政策を生み出す可能性は高いとは思うが)。

外務省のタカ派にしても、軍需産業にしても、日本で暮らす人々のことや戦争で苦しむ人たちのことなど考えてはいないように見える。こんな人たちの自由にさせるわけにはいかない。

 憲法違反は明らか

 今回の安保法制=集団的自衛権の発動法案は、どう見ても「憲法違反」だ。憲法第2章(9条)では、交戦権をはっきり否定しているのだから、他国を軍事的に支援する集団的自衛権は「無理筋」だ。安倍首相はあちこちで「法の支配」(日本は中国のような人治国家ではないと言いたいのだろう)を口にしている。しかし、今の日本社会にはどうみても「法の支配」は機能していない。むしろ恣意的な解釈の横行のなかで、人治状態にあるのは日本の方だとさえいえる。きちんと法文を読めば、どう読んでも日本国憲法で集団的自衛権は、無理なのだ。(ITL)

タグ:政治 / 集団的自衛権 / 報道 / 法律 / 日米安保条約