2013.05.27 Mon
M-WANの新しいシリーズ「おんなの仕事づくり」が始まりました。
このシリーズでは、自分で仕事をおこした女性とその仕事をご紹介します。
女性の雇用機会が著しく少ない中で、自分で仕事をつくってきた女性たち。食べもの、ファッション、アクセサリ、手づくりグッズ、花、翻訳、デザイン、コンサルタント、実にさまざまな分野で、さまざまな地域で活躍している女性たちがいます。どんな仕事を、どうやって始めたのか、そしてどうやって続けていったのか・・・読み物として、起業と経営の参考としてお楽しみ下さい!
先ず、第一回はニューヨークで糸と布の卸とショップを営む植木多香子さん(HABUテキスタイル)です。
30年振りにNYに行ってきました。行き先は、West 29th Street。植木多香子さんが経営する糸と布のショップ「HABUテキスタイル」を訪ねるのが目的です。
HABUは、上野千鶴子さんがM-WANで紹介されている京都のリピンの一部に2012年秋から出店されています。その直後にripinのオーナーの柴田由美子さんが亡くなられたのですが、生前の柴田さんに託された植木さんはripinを引き継ぎ、NYと京都を行き来しながら経営にあたっておられます。
空港からタクシーに乗ると、30年前もそうでしたがタクシーの運転手さんは英語がほとんど通じません。私よりも英語のできない人たちがNYで働くなんて、どれほど過酷なことでしょう。 「ここに来れば何かがある」と信じ込んだ人たちが世界から集まってくる、昔も今もそれがNYなのでしょうか。
さて、そのNYで、植木さんは糸と布の卸とショップを1999年から営んでいます。HABUの糸は欧米の手織りの水準を高めたと言われており、織物をする人たちのあいだでは憧れの的です。NYでそれだけの地歩を築いて来た人でありながら、ご本人はいたって自然体で実に軽やかです。
そんな植木多香子さんとそのお店「HABU(八布)テキスタイル」をご紹介します。
お店は、NYの布問屋街のビルの8階にあります。ショップのドアを開けると、問屋街特有の外の猥雑さがウソのような別世界です。所狭しと並べなられた糸が、きれいで、かわいくて、いっぱいあって・・・、ここは今まで見た糸のショップとはなにか違います。なんというか、色々あるのに、とっても落ち着くのです。目移りしながらあれこれ見ていると、お客さんが入ってきました。一人静かにじっくりと糸を見始めるその様子は、まるで図書館で好きな本を探す人のようです。
ホームページ(http://habutextiles.com/home)を見ると、最近の東京などにありがちな洗練された自然系のショップを想像されるかもしれません。が、実際のお店はそれとは違います。整然と調和がとれているだけではなく、カラフルな色合いのモノたちはアクセントとして目立っているのに他のモノたちに溶け込んでいる。いろいろあるのに静かな感じ。でも静まりかえった静かさではなく風の音が聞こえるような静けさ、とでもいうのでしょうか。整然としているのに無機的な感じがしないのです。
それは、モノたちが一つのデザインコンセプトに閉じ込められていないからで、それぞれのモノが生き生きしながらみごとに調和しています。冷たい静けさと違うのは、糸たちがコミュニケーションしているささやきがもれ聞こえているのかもしれません。
実際、植木さんが糸を並べると、途端に糸が生き生きとして見えるから不思議です。トレーに盛られた糸は食べ物のように美味しそうで、思わず手に取りたくなります。植木さんは、もともと織りをしてきた方です。糸のこと、布のことが、自分の体の一部のように分かるのでしょう。お店は、そんな彼女が織りなす空間。本当に心地よいのです。
店の名前「八布」の由来は、ホームページにこんな風に書いてありました。
「織を始めてしばらくしてから一番惹かれたのが沖縄の布でした。苧麻や芭蕉。とてつもなく手のかかる糸を一本づつ繋いで出来る布は不思議なエネルギーを持っていました。そんな布を織りたいと思って現在にあります。 1999年に八布を設立した時、米国で呼びやすい覚えられやすい名前を考えていました。その時に思い浮かんだのが「波布」。そう。沖縄の蛇の名前です。この当て字はどこから来たのか。布のように身体が動くからでしょうか? で、ちょっと拝借しました。「波」を末広がりであれとの思いから「八」に変えて。」
HABUの生い立ちを植木さんに語っていただきました。
「うむむ。どこから初めたらよいでしょうね?私、実はまったく染織関係の学習はいたしておりませんで、全てそちらは手と目と足で学んだ独学です。大学は実は版画が専攻でした。主に石版です。しかし版画の「摺る」という行為は織の反復する仕事と極似しております。後、紙が布に変わったと考えていただければ。要するに私は素材に近い工芸が好きなんでしょうね。
16歳で母のテルちゃんと喧嘩してストライキして日本を出たんですが、大学を卒業したら一応帰ろうとは思っておりました。がなんとも運良く就職させていただくことになり、それがなんと高島屋ニューヨークのアートギャラリーだったのです。そこで5年ほど日本企業というものを修行いたしました。(私には企業で働くことは不可能である事を証明してくれた5年間です。)
その後小さなユダヤ系の布問屋に就職。そちらではニューヨーク問屋を牛耳っているとてつもなく失礼で奇妙キテレツなユダヤ人達との罵倒、喧嘩の毎日。で、押されているだけは駄目。「こ、こんな事言ってもしてもいいの!?」という押しの強さで押し返さないと「敬意」を示してもらえない事情に気がつき……日本人的な「言わなくてもわかってくれるはずだわ」という奥ゆかしさを(まだ)保っていた私はカルチャーショックを受けたのを覚えております。で、奥ゆかしさをかなぐり捨て、今や「どこさ~?」という私……それもとてもショックです。ああ、後戻りはできないのかしら……。
で28歳のころ、手織を本気でしたいと思って仕事は辞め、1年ほど籠って、30前くらいで八布を立ち上げたのです。最初の2、3年は実は本気で布地を100ヤードとか手織りしておりました。それも14デニールの生糸とかで織っていました。老眼が入ってきているこのごろその糸はマジ見えませン……それはそれでお客さんもつき始めて、なかなか面白くなってきたころに、糸を扱ってほしいという要望。「じゃっ、ちょっとだけよ」といっていたのが、性格的に「ちょっと」が出来ないので「もっと」になってあららら……の今です。こんな大事になるたあ、まったく思ってなかったです。ビジネスプラン「ぜろ」です。それは大勢の方からのお助けと、何となくこっちの方がいいかなあ、という動物的(?)な勘で良い匂いの方へ向かっていってある今日です。手織も自分でいつかまた始めたいのですが、結局私は素材に囲まれているだけでも幸せなようです。」(植木多香子)
植木さんは、現在、HABUの京都店としてリピンの経営にも当たり、そこで柴田さんの洋服も引き続き取り扱っています。
このM-WAN「私のオススメ」で、間もなくHABU&ripinの夏ものをアップしますので、そちらもご覧下さい。
http://wan.or.jp/market/?cat=3
(中塚圭子 記)
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