エッセイ

views

1212

【特集・装うことから考える・その2】キラキラよりギラギラ-「ファッション」は誰のため?  荒木菜穂

2009.12.17 Thu

 先日新聞で、ある著名人の女性が「ファッションとは自分のためでなく他人のためにするもの」というようなことを言っていた。それを見た私は「え?どっちもじゃないの?むしろ自分のためにお洒落できなかったら生きる楽しみ半減なんですけど??!」と驚いたり、なんかそれって「自己主張せず空気を読んで他人と同調して生きるのが大人(の女)」的な流れで不愉快ねー、とぷちフェミモードになって憤ったり。 でもふと、自分自身の服装に関して、誰のためなのか、とあらためて考えた時、そりゃ当然他人を意識して着ているなあと思う。でもそれは「ファッション」とかではなくって、奇抜にならないように、最低限汚く見えないように、とか考えて着ている「服」に過ぎない。それでも、私は人より太ってるので売ってる服が似合わなかったり、場合によっては入らなかったりで、女の標準なんてクソクラエ、と思う時が多いけど。

 そういえば以前友人と、「太った女子が服を選ぶ時はヤングミセスの売り場に行ったらいい」という話で盛り上がったことがある。「ゆとりのある」服が急激に多くなるらしい。あくまでイメージだけど、もし未婚の若い女性向けの洋服が20代半ばまでを意識して売られてて、ヤングミセスが20代後半以降ぐらいをターゲットにしてるとするなら、「女って、たった1、2年で急激にスリムじゃなくなってしまうんやねえ(笑)」なんて。結局、「若い娘」と「既婚者」は女として別物、という価値観がそこにある…ってのもまた、フェミっぽいつぶやき。

 まあ、「他人のため」の服装が自分の思い通りにいかないのは、そういう体型的なものも(文字通り)大きいけど、やっぱり、「見られる女」文化に自分が馴染んでないからなのかなぁとも思う。なので、最近はちょっとテンションが落ちてはいるけれど、誰にどう思われようと自分のしたいファッションをする日、てのはどうしても必要。

 きっかけは、中学の終わりぐらいの時。「他人の目を意識した」(当時は主に男子の目…か)お洒落が主流だったのに嫌気が差してた頃、ふとファッション雑誌の売り場に行くと、「女子力アップ」を目的としない女のファッション、ストリート系とか古着系なるジャンルがある。

 同じ頃、そういう雑誌によく登場してたイギリスの女の子二人組み「シャンプー」のインパクトも大きかった。音楽云々は別として、驚いたのは、そのうちの一人キャリーちゃんがふくよかだったこと。それまで、太ってる女の子のカッコいいファッションのイメージというものがそもそもなくって、「スリムじゃなくってもお洒落してもいいんだ」と目からウロコだった。モヘアのセーターにデニムのスカート、ネオンカラーのナイロンのジャンパーにカラフルなTシャツとか、よく真似してた。そう、真似るってのは、私は、自分の中では、ファッションを楽しむ基本だと思っている。模倣がどうとかこうとかの社会学云々の話はおいといて。

 その後大学に入ってからは、古着ブームや、もともと古い洋楽のロックが好きだったこともあって、いわゆるヒッピーみたいな格好で通学するのが好きだった(学生運動してた親にさえ、「当時の人みんながそんな格好してたわけじゃない!」てよく怒られたけど)。結局、ファッションって、自分が大好きな何か、自分がなりたい何かを「身に纏う」ってことなのかな、と思う。

 突発的なことで最近面白かったのは、一昨年、大阪府のジャンプ基金をいただいて作った『駄フェミ屋』という本の企画で、何人かの人と一緒に「フェミニストのコスプレ」をしたこと。「眼鏡」「スーツ」「大きなアクセサリー」「いつも怒ってる」「ブサイク」「男っぽい」「逆に過度に女っぽい」など、バックなんちゃらの中でやたら流布されるフェミニストの悪いイメージにたいして、開き直りのような、ネタのような意味合いで行なった企画だったけど、下手すりゃ「フェミニストを馬鹿にした」ことにもなっちゃうかもの、ある意味、ちょっとリスキー。

 でも結局、コスプレって、好きだから、よく見て、そして真似をする。いや、真似をするっていうか、単に模倣するんじゃなくって、「好きなもののイメージを自分の中で解釈して身に纏う」ってことなのかもしれない。だから、それは、私の中の「シャンプー」であり、「ヒッピー」であり、「フェミニスト」。大好きなものについて自分の頭で考える、大好きなものを自分で解釈して身に纏う。この快感って、もしかしたらフェミニズムを学ぶ作業にもつながるかもしれない、なんて(全然お勉強してないけど)。

 いずれにせよ、同じ「服」でもワタシ的には全く意味合いが違う。まあ、でも、「他人を意識した」ファッションを納得して楽しめるなら、それはそれでいいのではとも思う。ただ、その価値観押し付けないでね。

 欲望のままに自分のためにファッションを楽しむ女。ラディカル・フェミニズム的にいえば、すでにあるファッションの中から選び取られた、飾り立てられた女イメージの増殖は、それもまたヘテロ権力構造への知らず知らずの加担なのかもしれない。でも、そういう論理で女の欲望や主体性を否定すること自体は、ある種の「非フェミニズム」としての側面もあると私は思ってる。少なくとも他人を意識して「男中心社会」に気に入られるファッションを内面化した「大人の女」たちと、どっちがフェミかって言われたら・・・。

 ・・・どっちもフェミ。そしてどっちも非フェミ。ある意味。と私は思う。
「女」を上手に利用して男社会で上手くやっていく女たちだって、そこから男社会の持つ権力性を、その立ち位置から、なんとかしようと思っているのかもしれない。欲望、もしかしたらかつて男社会によって規定されてきた歴史があるかもしれない「欲望」に従って生きる女たちもまた、それが自身の被コントロールに結びつかないよう、もがいているかもしれない。「女らしさ」を排除した、全くオルタナティヴなファッションを楽しもうとするフェミだって同じ。

 「私たち」は、誰がフェミで誰がフェミじゃないって分断しすぎてきたんじゃないかな。お互い仲良く、馴れ合いってわけじゃなくって、認め合って、その上で批判し合える。「他人のため」ファッション大好きさんも、「自分のため」ファッション大好きさんも、一緒にもしくは別々に、フェミ的視点を持てたら楽しいかも。いずれにせよ一方通行の批判とか、対話ができてないってのって、フェミを見てて一番もどかしいことだったりするし。自分への反省も含めて。

カテゴリー:ちょっとしたニュース

タグ:ファッション / 荒木菜穂

ミニコミ図書館
寄付をする
女性ジャーナル
博士論文データベース
> WANサイトについて
WANについて
会員募集中
> 会員限定プレゼント
WAN基金
当サイトの対応ブラウザについて
年会費を払う
女性のアクションを動画にして配信しよう

アフェリエイトの窓

  • マチズモの人類史――家父長制から「新しい男性性」へ / 著者:イヴァン・ジャブロン...

  • 21世紀の結婚ビジネス: アメリカメディア文化と「妻業」 / 著者:スザンヌ レオナ...

  • 老後の家がありません-シングル女子は定年後どこに住む? (単行本) / 著者:元沢 ...

amazon
楽天