エッセイ

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トリノの「両立の大学都市」窶伯、究のあり方を見直す契機としての両立支援  伊田久美子

2010.02.26 Fri

                    
 1月にトリノ大学を訪問機会がありました。トリノ大学には93年に設立された女性学研究センターがあり、私の勤務する大阪府立大学女性学研究センターとこのたび学術交流協定を締結したところです。15世紀以来の古い歴史を誇る大学ですが、近年の世界的な変化に揺れているのは、日本の大学と同様です。しかしその中で、この間日本でも力を入れている研究者の仕事と家庭の両立支援政策は、トリノでは着実に進んでいるようです。

 すでに10年前から「両立の大学都市」計画が、トリノ大学、トリノ市に隣接し、トリノ大学の理系学部が展開するグルリアスコ市、トリノ工科大学等の協力体制とピエモンテ州やEU等の助成によって推進されてきましたが、この1月30日に、「両立の大学都市」はとうとう開幕式を迎えるに至りました。私はトリノ大学女性学研究センターや機会均等委員会の関係者のおかげで、幸運にもこの開幕式に参加し、施設を見学することができました。 
 広々とした敷地に保育所と学童クラブ、集会室、カフェなどが設置されており、すでに昨年秋から活動しています。この日は職員の方々もいて、園内を案内してもらいました。子どもたちの安全と成長のために繊細な配慮が行き届いた、しかもイタリアらしい美しい曲線づかいの建築と内装は、トリノ工科大学のグループによって企画、設計されたものだそうです。保育施設は大学の教職員や学生だけでなく、グルリアスコ市の地域の人々にも開放されており、保育に欠ける子どもの単なる受け皿ではなく、子どもの育成を支援する積極的な取り組みであることが大変印象的でした。

 開幕式に先立ち、午前中2時間半にわたる関係者のスピーチが続き、私たちもグルリアスコ市長に紹介していただきました。同伴してくれた機会均等委員会のカルメン・ベッローニさんが、始まる前に、「きっと退屈だよ」などと囁いていたのですが、実際は退屈どころか、いずれのスピーチも、ご挨拶の域を超え、たいへん熱のこもった、やる気に満ちたもので、開幕を迎える関係者の喜びが、ひしひしと伝わってきました。ベッローニさんも「退屈どころか、面白かったね」と感激していました。

 問題はおそらく、この理系学部が展開する地域にあまり人の気配がしないことです。こういう場所だからこそ、広々とした理想的な施設が展開できるのですが、利用者にとってはどうなのだろうかと心配になるくらい、不便な場所です。もっとも、この日は土曜日なので施設はお休みでしたが、訪問者の子どもたちが走り回り、会場の雰囲気を盛り上げていました。

 イタリアは日本同様性別役割の強い国です。国連開発計画(UNDP)が1995年に刊行した「ジェンダーと人間開発」に各国のペイドワークとアンペイドワークを合計した総労働時間の比較が出ているのですが、イタリアの女性の労働時間が異常に長かったことが注目を集めました。イタリアでは伝統的に非常に少なかった女性のペイドワークが近年増加してきましたが、アンペイドワークの負担が一向に減らないことから、女性の負担が急増しているのです。「両立支援」とは女性の問題であるといまだに思われていることが問題であり、男性こそが変化しなければならない、と多くのスピーチで述べられていました。日本とよく似たイタリアの状況ですが、「女性研究者支援」という日本での名称を思うと、イタリアの問題意識はまだ少しはマシかと思いました。

 2月21日付読売新聞によると、文部科学省の女性研究者支援事業の成果は掛け声倒れで成果があまり出ていないとのことですが、何が必要とされているかを十分に検討して、実効性のある対策を模索することが求められています。私自身、育児期には、20年前にはまだ珍しかった、先輩女性たちの努力の賜物である大学の保育施設に大いに助けられました。大学という場において、成人男性が標準的存在である現状を見直すにあたって、まず女性や子どもの登場を保証することは、単に女性研究者支援にとどまらず、研究というもののあり方そのものを見直す契機となるのではないでしょうか。

カテゴリー:ちょっとしたニュース

タグ:子育て・教育 / 伊田久美子 / イタリア