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3月のシネエッセイ 世界遺産ハロン湾巡りの船上で、ポスト・コロニアルな夜が更ける、映画『インドシナ』  川口恵子

2010.04.28 Wed

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3月に初めてベトナムに旅をした。映画に描かれたベトナムの幻影を追い続けて十年、自分の中でひとつの区切りをつけたいという思いがあったからだ。何とか出版にこぎつけた拙著『ジェンダーの比較映画史―「国家の物語」から「ディアスポラの物語」』(彩流社)でとりあげた、仏領インドシナ生まれの作家マルグリット・デュラスの少女時代の場所を訪ねる旅でもあった。
 
旅の途上、何度か、奇妙に映画的な体験をした。というより、長らく映画的イメージにとりつかれてきた自分の中で、映画と現実が溶け合うようなモーメントがいくつかあったといったほうがいいだろうか。
その一つが、世界遺産ハロン湾での船上での夜の出来事だった。 
 ハノイから車で約三時間、海の桂林ともいわれる風光明媚なハロン湾には、大小さまざまな奇岩がそびえたち、波ひとつ立たない穏やかな水面をいくつものジャンク船がゆきかう。映画『インドシナ』のハイライト・シーンの舞台となった場所でもある。

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カトリーヌ・ドヌーヴ演じるインドシナ生まれの南部ゴム農園主の養女になったベトナム人娘が、恋におちたフランス人将校と小舟にのって流されてゆく場面だ。何日も太陽に照らされ乾ききったベトナム人娘の唇に、将校が口移しで最後の水をのませるー

そんな光景から、暑い日差しを予想していたが、底寒さの残る3月のハノイの延長のような気候の下では、空も水も奇岩の色も水墨画のように色を失っていた。
 
濃淡の美しい水彩画のような光景の中を、私の乗ったエメロード号(日本語のガイドブックではエメラルド号と記されるが現地ではフランス語風にこう発音される)が進む。百年前の蒸気客船を復刻した豪華なジャンク船だ。洞窟体験や水上生活者たちの住む村を訪れたあと、船は、夕刻より停泊し、一夜をハロン湾内で過ごすこととなった。

ちょうど、『インドシナ』に描かれた、島と島にはさまれた大きな特徴ある奇岩が、前方に見える位置だ。若い二人の恋人の未来に少しだけ展望が見えてきた瞬間の映像でもある。
 
喧騒のハノイを離れ、静寂に包まれるハロン湾に浮かぶエメロード号のデッキでは、その夜、かすかな水の気配と濃厚な闇の中『インドシナ』が上映されることになっていた。毎晩の趣向らしい。
夕食の席で隣り合わせたフランス人船長に尋ねた。
「いつも『インドシナ』を上映するんですか?」
「ああ、いつもだ」
何かを聞くたびにちょっといわくありげに答える船長はそう答えた。
「長すぎて俺はいつも最後まで見たことがないがね」
「ドヌーヴは好きじゃない。冷たく見える」
 
かつてベトナム戦争末期の南ベトナムで、メコン川を渡る貨物船で軍事物資を運ぶ任務に志願し、戦後もしばらくフランスに戻れず、モスクワ経由でフランスに戻ったと語る船長には、ワインの勢いも手伝って、勝手なことを言わせてもらった。「『カサブランカ』みたいですね」
訳知りの大人顔の船長は、米俳優トミー・リー・ジョーンズによく似た目としわの刻まれたほおをゆがめて、笑った。いろんなものを見てきた人の笑い顔だ。目が泣いている。
 
「南北ベトナムが統一されたあと、脱出するベトナム人を助けた、最初の船長さ」
「何年頃ですか?」
年号を聞くと、何かを思いだすように真面目な顔になる。
「1978年だ」
 
そんなやりとりがしばらく続いた後で、船長は食堂を引き上げる前に、思いがけないことを言った。

「俺のアルバムを一晩貸す。朝になったら返してくれ。明日になったら俺のことは忘れていい」

夕食を終え、大事な預かりもののアルバムをキャビンに残し、私はデッキに急いだ。既に『インドシナ』上映は始まっていた。10数名ほどの客が見ている。デッキには心地よい風が吹いていた。圧巻はやはり、ハロン湾の光景が浮かび上がった時だった。現実のハロン湾の船の上で、想像上の物語の中の写された風景を見ることの倒錯感――

1992年の公開時に試写室で見た時よりは色あせた風景の中で、植民地帝国フランスの栄光を体現する誇り高いカトリーヌ・ドヌーヴ演じるインドシナ生まれの白人ゴム農園主の娘が、変わりゆくインドシナ情勢の歴史の流れの中で、年下の将校との愛の物語を、養女にしたベトナム人娘との葛藤の物語を、美しく生きていた。ラスト、片方のハイヒールのかかとが折れ、傾くドヌーヴの身体は、帝国が「東洋のフランス」を永遠に失ったことを物語っているようだった。

映画上映が終わる頃、キャビンに置いてきた、船長から託されたアルバムが急速に気になってきた。どんなプライベート・ヒストリーがそこには秘められているのか。なぜ私に渡してくれたのか。朝になったら忘れてくれ、なんて、アルバムを渡しておいてずいぶん二律背反的じゃないか。

「私たちはほんとうにポスト・コロニアルな時代に生きているのですね」

そう言って、隣り合わせた船長に、私は食事の終わる頃、食堂に集っているフランス人観光客の声高な話し声を聞きながら、ふと言ったのだった。ポスト・コロニアルなんて言葉が通じるかどうかわからなかったけれど、そういうしかないような気持ちにその時襲われた。思いがけないことに、船長もあっさり同意した。私と同じ方向を見ていたようだった。

豪華な船室、ハノイで食べた町の食堂とは異なる類の美しいフォーの並んだビュッフェ・スタイルの食事、old retired peopleといった風の押し出しの強いアメリカ人観光客の一行と、にぎやかなフランス人観光客の群れー
デッキでは、先ほどまでベトナム人女性による恒例の料理パフォーマンスが行われていた。チャン・ツィイーとよく似た目をした可愛い女性が、トマトを器用に切って、スワンを象っていた。午後に船のそばにやってきた水上生活者の物売りの女の子の目も彼女によく似ていた。「彼女、上手でしたね、トマトのスワン」「いや、大したことないのさ。誰でもできる」
元フランス人海軍出身者の船長は、あまり北のことはよく言わない。
「北より南がいいね。人がフレンドリーだ」
そんな本音トークのあとで、「どこが一番好き」と船長に問いかけてみた。
親指を下に向け、エメロード船を指差し、船長はまた少し黙った。船の底にはハロン湾の静かな海がある。

ハロン湾に停泊した船の上は、どこでもない場所のように、その夜、私には思えた。ちょうどスクリーンに映し出された映画『インドシナ』の物語が終わったあとの青いスクリーンのように、深い青に包まれたハロン湾の夜がそうした更けていったのだ。

ジャック・ル・フール船長。Jacques Le Fur, Captain, Emeraude Classic Cruises.
六年の任期の、彼にとって、今年が最後の航海の年となる。
 
「若者よ、海軍は君を待っている」という宣伝文句のついたポスターの貼られた表紙に始まる彼のアルバムには、1968年に海軍学校を出た頃の20歳を少し過ぎたばかりのまだ甘い顔立ちのジャックが写っていた。

11年後の1979年、サイゴン市街のはずれにあるショロン(中国人街)で写された写真には、裸の上半身にミリタリー・ズボンをはき、煙草をくわえた彼がうつむき加減に歩いている姿が映っていた。昔の日本家屋のような古びた木造二階建ての家の並ぶ路地には、電線が垂れ下がり、足下には犬がいる。

La Maison(家)と写真を貼った紙の余白に、手書きの文字が見えた。








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