エッセイ

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【特集:在日・女性を生きる③】人種差別撤廃条約と在日の状況 李月順 

2010.06.11 Fri

 国連人種差別撤廃委員会による日本の実施状況の審査が2010年2月24日より行われ、その総括所見が3月17日に発表された。今回の審査(初回2001年)が二度目となるが、総括所見では、条約の履行が不十分であること、人種差別的な意見の流布の禁止、国家や公人による人種差別を認容又は扇動する発言の禁止などについて言及された。 ところで、人種差別撤廃条約に規定されている人種差別とは、「人種・皮膚の色・生系・民族的または種族的出身」に基づく差別をさす。従って、在日コリアンに対する民族差別は人種差別でもある。しかし、日本人の多くの認識として、人種差別とは、例えば、アメリカの黒人差別のことであって、日本/日本人とは関係のないこととして捉えられてきたのではないか。在日コリアンに対する差別を民族差別として認識していても、人種差別として認識してきたとはいえないのである。そのことが、在日コリアンに対するヘイトクライム(憎悪犯罪)を放置させてきたともいえよう。今回の審査では、そのことが明確に指摘されている。具体的な指摘として、ひとつに朝鮮学校に対する公的扶助、助成金、税の免除などで,差別的な取り扱いをしている問題、もう一つに高校教育無償化の対象から朝鮮学校を排除すべきであると提案している政治家の態度の問題についてである。

 朝鮮学校は、在日コリアン一世が中心として作った民族教育を行う学校である。朝鮮学校の目的は、母語・継承語としての朝鮮語をはじめ、朝鮮の歴史や文化など自己のルーツに関わる教育を通して、民族的アイデンティティを獲得・維持し、自立した個人として社会に貢献する資質を形成する教育にある。自民族の言語や継承を保障することは、教育への権利として国際人権規約や子どもの権利条約等で明記されている権利である。朝鮮学校に対する差別は、そこで学ぶ子どもへの差別でもある。しかし、権利を保障するどころか、高校教育無償化の対象から朝鮮学校を排除する法案が成立し、そして、京都の朝鮮学校への脅迫や暴力にみられる組織的集団的なヘイトクライムによって、安心して子どもたちが学校で学ぶことができない状況になっている。

 これまでにもあった1990年代からの朝鮮学校生に対する暴力事件の特徴は、加害者側の拡がり(年代、性別)にある。また、その被害者が初級学校(小学校に相当)の高学年よりも低学年にまで広がっており、男子よりも女子に多いことである。加害者は、名前(民族名)、言葉(朝鮮語)、チマ・チョゴリ制服といったことを暴力の対象ととらえている。在日コリアンであることがそのまま暴力の対象になっているのである。その結果、女子学生の安全をはかるということから、第二制服が導入され(1999年)、町中でチマ・チョゴリ制服を着た女子学生を見かけることはなくなった。朝鮮学校生に対する暴力事件は、①在日コリアンに対する日本の同化政策と拝外政策の延長にあること、②朝鮮学校に対する制度的差別が、加害者にヘイトクライムを正当化させていること、③女子学生に対する暴力は、民族差別だけでなく女性差別の現れであること、④植民地支配という歴史の清算に対する大人の責任放棄や政治の無作為の責任を在日コリアンの子どもに負わせていること、によって起こっているといえる。

 日本は人種差別撤廃条約を批准(1995年)・発効して後、在日コリアンに対する人種差別に真剣に取り組んできたとはいえない。あまつさえ、政治家や知事にみられる公人による差別発言が批判されることなく流布されているのである。また、在日コリアン女性は、日本社会でマイノリティとして、民族差別と女性差別という複合差別の中で生きてきた。2005年に関西の在日コリアン女性を対象にした実態調査(アプロ女性実態調査プロジェクト「在日朝鮮人女性実態調査」)からも,そのことが窺える。その調査によって、女性差別の問題の解決のみならず、民族差別をなくすことが、複合差別からの解放であると考えている在日コリアン女性の意識が明らかになった。人種差別撤廃条約を有効な人権の道具とするためにも、人種差別禁止法のような法律の制定が日本では急がれるだろう。

カテゴリー:ちょっとしたニュース

タグ:子育て・教育 / 李月順 / 人種差別撤廃条約