エッセイ

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京暮らしつれづれ・7 祇園ばやしが聞こえる頃  中西豊子

2010.06.25 Fri

 世界のあちこちで洪水が起こっているのが気になるこの頃です。つい先日、何気なく見たテレビ画面に、今までに見たこともないような大濁流が町や村を飲み込んでいく様が映し出されていました。濁流の一つはフランス、一つは中国ということで驚きました。地球の温暖化異変なのでしょうか。ちょうど梅雨どきになりました。あのような恐ろしい災害が起こらなければいいがと思います。

 梅雨の合間の晴れた日に、京都は早くも32度を超えました。京都の夏は暑いのです。それも蒸し暑い! これからは「暑おすなあ」という言葉があいさつ代わりになります。

 冷房のなかった時代、こんな京都の夏をしのぐため、家の中の模様替えで風通しを良くしたり、ご近所の家々が朝夕競争のように打ち水をしていましたっけ。それでも家の内も外も暑いのには変わりありません。三方を山に囲まれた盆地ですから、風が通りにくく、暑さが籠ってしまうのです。 そんな京都では、足の速いお魚(魚に足が生えて走っていく?いえいえ腐りやすいことを言います。)は禁物でした。そこで夏の食べ物で、思い浮かぶのはなんといっても鱧です。氷の上に乗せて冷やした鱧の落としは、白くて見るからに涼しげです。海のない京都まで遠路はるばる運ばれてくるお魚の中で、鱧は生命力が強く、長旅にもめげずに生きたまま着いたそうです。だからとりわけ重宝がられてきたのかもしれません。

 今も鱧料理は人気があります。小骨の多い鱧を「骨切り」の技で、高級魚に仕上げた先人の功績ですね。「骨切り」は今も料理人の腕の見せどころです。近頃ではすっかりお値段も高級になってしまって、食卓から遠のいてしまいましたが、鱧鮨、鱧の落とし、てんぷら、焼き物、酢の物、吸い物、どれも私は大好きです。祇園祭の頃が一番おいしいといわれ、祇園祭のごちそうに鱧は欠かせません。

 さてその祇園祭ですが、この大掛かりな祭りは、まる1ヶ月間に及びます。7月1日の吉符入りから始まって、山鉾の巡行順を決めるくじ取り式、稚児舞や、神輿洗いなどの行事が毎日続きます。13日には鉾建てが始まり、鉾が立ち上がると、祇園ばやしが奏でられ、いよいよ祭り気分が盛り上がってきます。16日の宵山には数十万人といわれる人出で賑わいます。

 この宵山には、四条通の長刀鉾、月鉾をはじめ、32基の山鉾に駒形提灯が灯り華やかです。ウキウキするような祇園ばやしが聞こえる鉾の周りは人で溢れかえり、気の弱い人は近付けないほどです。

 宵山には山鉾だけでなく、古くからある家々で、この時ばかりは道行く人に見て貰えるように家宝の屏風を飾っていますので、それを見物して歩くのも楽しみです。屏風祭りともいわれている由縁です。最近、ビルが増え年ごとに屏風を飾る家が減っている様です。

 烏丸通に屋台が出るようになったのはここ10年程のことですが、あまり祇園祭にはふさわしくないよう気がします。食べ物の空箱やパックが散らばってせっかくの祇園囃子や、駒形提灯の美しさが、壊されているような気がしてなりません。屋台はお祭り気分が盛りあがっていいということなのでしょうかねえ。

 それはさておき、何といっても、ハイライトは7月17日の山鉾巡行です。重量12トンもあるという大きな鉾に30人から40人もの人を乗せて、人力で引っぱっていくのですから壮観です。山鉾を飾る懸装(染織品)は、どれも素晴らしい美術品で見飽きません。壮大な動く美術館といった趣です。

 1100年以上も続くこの祇園祭は、町衆の祭りと言われ、町衆の寄付で賄われ運営保管も各鉾町で担ってきました。現在では、観光資源として市が大いに力を入れていますが、今も民間の寄付金と運営が力を発揮しているようです。

 私は鉾町の中で育ったものだから、このお祭りは本当に好きで、毎年見てもやっぱり心が躍ります。
しかし、今でもこの祭りは男性だけが仕切っているのをご存知でしょうか? 鉾に乗るのも動かすのもすべて男性です。お稚児さんの食事支度や身支度など、吉符入りから1カ月間男性がすべての世話をします。

 つまり「穢れ」の思想が今も大手を振っているわけです。神事だからと、女性を不浄視して遠ざけた慣習がそのまま続けられているというのは、時代錯誤だと思いますけどねえ。実際は女性たちの力がなければ、祭りはできませんが、表でええカッコしている男たち、その妻たちが、裏方を支えているという構図です。

 小学生のころ、鉾町の男子生徒は7月に入るとお囃子の稽古に行きました。女子は全くよせてもらえません。母に尋ねても、「神さんのことやから女はあかんの」と言うばかりです。鉾にも決して乗せてくれなかったのです。「女を乗せたら鉾が倒れる」というすさまじい迷信が、大手を振って歩いていました。

 戦後、女性にも宵山の日だけ開放して鉾に乗せるようになりました。さっそく上がりましたが、鉾の内部にも素晴らしい彫刻がぎっしりと施されていてその見事さに驚きました。「こういうのも女には見せなかったってわけだ!」ムムッ。

 だいぶ前になりますが、大峰山の女人禁制に勇猛果敢に挑まれた女性がいました。気にしながら、その後どうなさったのやら。20年ほど前から宗教とジェンダーの問題に迫った本が出始めました。源淳子さんたちの書かれた『性差別する仏教』(法蔵館)は今も印象に残っています。私たちに身近な宗教や民俗、風習などから刷り込まれていく女性差別の根の深さを、そして取り除いていくことの難しさを、相変わらず思い知らされています。

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カテゴリー:京暮らしつれづれ

タグ: / 京都 / 中西豊子

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