2011.02.08 Tue
これまでも、サイトにてお伝えしてきたように、1月30日東大にて、『新編 日本のフェミニズム』全12巻完結記念公開シンポジウムが開催されました。
以下に、シンポジウムの前半、第三部までのレポートをお伝えします。後半は、岡野八代さんのレポートで、5日後にアップします。続々と記事を掲載していきますので、どうぞお楽しみに!
のっけから岩波書店の編集者、十時由紀子さんの「必要な方に席を譲って頂き、健康な方は、できるだけ階段にお座りください」という挨拶から始まるほど、会場にはひとがぎっしりとひしめいていた。会場にパソコンを持ち込んでその場で書くという試みを割り振られたので、原稿自体はリアルタイムで書いている(笑)。アップされるのには、少し時間がかかってはいるが、いちおうは同時筆記の試みである。臨場感(?)をお楽しみください。
第一部、「日本のフェミニズムを手渡すために」は、編者を代表して井上輝子さんのお話。フェミニズムという言葉がどのような射程をもってきたのか、さらに旧版が出版されたあと、どのような理論的進展や実践的課題があり、新版が編まれたのかが語られた。最後に、自分を女性であるとアイデンティティをもつひと、そしてまた女として扱われるひとたちがいるひとたちがいるかぎありフェミニズムは必要である、若いひとにバトンを渡したいと締めくくられたのが印象的だった。さらには上野千鶴子さんによるアンソロジーを編むという行為自体がはらむ政治性についての「アンソロジーの政治」が続く。何を選択し、何を選択しないのか、「日本のフェミニズム」という名付けをどのように考えるのか、そういった行為自体が権力の行使であり、政治的な行為である。
旧版では勁草書房の『フェミニズム・コレクション』に収録された文章は採らなかったが、絶版になったため今回の新版には収録したこと。また全国のリブの資料を集めた『資料 日本ウーマン・リブ史』が重要な基礎となったこと。市川房枝編の『日本婦人問題資料集成』の「政治」にはリブがまったく選択されておらず、丸岡秀子編の9巻「思潮」にだけ収録されているという意味では、思想としては許容されていても運動としては認められていないのではないかということ。などなど、この新版を編むにあたって、参考とした他のアンソロジーなどに言及されたのが興味深かった。
第二部、「『日本のフェミニズム』を若い世代が読む」では、まず40代代表として岡野八代さん。男性研究者しか周囲にいない環境で政治思想史を専攻し、フェミニストと出会いたくてアーレントとフェミニズムの論文を書いたという岡野さんは、リベラリズムとフェミニズムの問題系に、女性の身体や暴力をどのように位置づけていけばいいのかという格闘を続けている。「21世紀初頭にフェミニズム理論が明確な方向性を見出しにくい状況にある」という江原さんの文章を引き賛同しながらも、突破口を探し続けることを誓った。
林真理子の文章から上野千鶴子を知ったという30代の熱田敬子さんは、旧版の『日本のフェミニズム』に出会い、自分の言葉を探せるようになったという。徹底的に自分の問題を問い直すことによって、学問と運動という二分法を超え、フェミニズムに向きあいたいという熱田さんは、『日本のフェミニズム』のもつ可能性について、熱い思いを語った。
もうすでに「偏見」をもつこともなくリブやフェミニズムに出会えたという20代の草野由貴さんは、これらの思想実践に励まされながらも、『日本のフェミニズム』のなかに潜んでいる「ヘテロ・ノーマティヴ」な側面について指摘した。「セクシュアル・マイノリティ」といっても一枚岩ではなく、その複雑さを壊すことなく取り出すにはどうすればいいのかという重要な問題提起である。またブログ、マンガ、写真集や映像などさまざまなメディアや表現形式の可能性についても言及された。第三部、「15年後にアンソロジー改訂版をつくるとしたら?――3つの編集方針をめぐって」ではまず北村文さんの「日本語圏を超えて――言語ナショナリズム批判」から始まった。北村さんは、旧版においては「日本のフェミニズム」を欧米の借り物ではないと高らかに謳いあげていることに対して、新版では「日本におけるまたは日本に関わる多様な女性や男性の経験を、自分のことばで語ったメッセージ」といった表現へと移行していることを指摘し、「日本の」が何をさすのかに対しての議論や配慮が積み重ねられてきたのだということを指摘した。そして英語圏の日本女性に対するステレオタイプを再生産する「日本女性研究」ではなく、ポストコロニアリズムやポスト構造主義、ポストモダニズムを思想的背景とした「日本のジェンダー研究」を紹介し、「日本語による」「日本のフェミニズム」が乗り越えられる可能性を示した。
齋藤圭介さんは「当事者性と性別二元論制」で、フェミニズムの「当事者」が誰かということがわからなくなってきたにもかかわらず、第一世代の女性フェミニストばかりが編者として名を連ねていることを、「自己定義をしてくれた」としながらも問題化し、「男性を排除する力学」が存在していると主張した。また男性学をフェミニズムの1冊に押し込める一方で、セクシュアル・マイノリティの存在を取り込む「セクマイの包摂の力学」も存在していると指摘した。
妙木忍さんは「メディアの多様化(印刷メディア至上主義批判)」において、新版でもまた印刷メディアのみを取りあげていることの是非を問いかけた。妙木さんの専門である主婦論争にかんしても、メディアはすでに電子メディアに移行していたことを指摘し、電子メディアを無視することはできないこと、また電子メディアがもっている可能性を分節化しつつ検討し、15年後は電子メディアの作品を取りあげるのか、また発表媒体もひょっとしたら電子メディアに移行するのかもしれないことも問いかけた。
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