2011.08.26 Fri
あっという間に一ヶ月が経ちました。ここのところ、ずっと、パソコンのお勉強はしていません。5月の試験が済んでから、(まだまだこれからの道のりが遠いのに)、生来の怠け者の私は、す~っかり遊びほうけておりました。
で、お約束の締切に遅れてしまいましたが、取り急ぎ、ドロナワでやりましたことを報告いたします。
実は、私には、すっかり使わなくなったのに、何となく捨てられなかったパソコンがもう一つありました。これは、ノートパソコンで、モニターがA4サイズの大きめのものです。なぜ、捨てられなかったかと言えば、やっぱり、中のデータが気になっていたのが理由の一つです。
実は、このノートPCは、もう10年ほども前になりますが、メルボルンで開かれた学会に出るために海外対応のパソコンとして購入した、忘れられないものです。
生まれて初めて、誰も知り合いのいない外国へ一人で行くことになったのですが、(学会でも日本人は私だけ)、なぜかあんまり不安などはなく、会議の主催者が宿泊施設のリストを挙げていたので、その中からシティホテルを予約し、飛行機や何やかやをいろいろネットで調べながら準備をし、最後にPCが必要と思ったので、これを買ったのでした。
なにしろ勝手がわからないので、送られて来るメールだけが頼りですから、直前までメールをチェックする必要を感じてのことでした。幸い、このPCは、とても機嫌良く働いてくれましたので、会議の主催者からの連絡もばっちり受けていましたし、日本とのメールのやり取りも、何のストレスもなく行えました。
PCは賢かったのですが、私は抜けていました。メルボルンはどんな所だろう? と、ちょっと遊び気分も入っていました。と言うより、むしろ、会議よりだいぶん早く行って、遊ぶ気満々でした。メルボルン市内は小さいから、歩いてどこでも行ける」というような情報をなぜかインプットしていまして、メルボルン空港に降り立ったとたん、目指すホテルが見あたらないのに茫然としました。見回しても、そんなホテルはどこにもないので、観光案内のような所へ行きまして、ホテルの名前を言いました。なぜか、まだ、「それなら、あそこ」と指をさしてもらえると思っていたのですが、相手はそのホテルを知りませんでした。あれ? と、ちょっと不安になりました。「住所は?」と尋ねられて、いよいよ焦りました。と言いますのは、住所をメモすることさえしていなくて、はなから覚える気もなく、日本を発ったからでした。その時、脳内にあった情報を一瞬総ざらえしたような気がします。そして、1~2度パソコンで入力したことのあるホテルの住所を思い出したのです。火事場の○○力です。
「それなら、あのバスがそこを通るから、あれに乗るように」と言われました。私は現金を用意することもせずに、トラベラーズチェックだけを持っていたのですが、バスではトラベラーズチェックはだめと言われ、カードで払うことにしました。が、オーストラリアでは、私の発音が通じず、またまた焦りました。結局、最後は筆談でした。(汗)
帰国してから、このことを息子に言いましたら、「関空だって伊丹だって、大阪市内からは、バスか電車に乗るでしょ」と笑われました。よくこんな無防備で行ったものですが、向こうに着いてからは、会議までの日を毎日メルボルンで遊び暮らしていました。動物園や海岸やマーケットや、と遊びに行っては、日本の友人に写真を送っていましたら、「何をしに行ったんだった?」と聞かれる有様でした。会議の24時間くらい前から、急に焦りだして、どこにも行かず準備に入りましたが、まぁ、今思えば、ほんとうに横着者でした。でも、このパソコンを通じて、日本の家族や友人とつながっている、という感覚があって、私をあまり不安にしなかったような気がします。だから、このパソコンは、そういう意味でも特別な思い入れがあったのでした。処分できなかった二つめの理由は、お気楽な私を支えてくれた相棒だったからでした。
でも、もう電源も入らなくなっていますので、やはりそろそろ整理にかかろうと思いました。それで、またハードディスクを取り出して、外付けでデータを見ようと思ったのです。この前、成功しているので、たやすくやれると思いました。
横に現役のノートパソコンを置いて、インターネットで、解体するPC(型番dynabook T2/485PRCモデル)を検索しましたが、同じ物はなく、仕方ないのでT3の型番のHDD交換のサイトを見つけて、それを見ながら解体することにしました。
で、すぐに出来るだろうと、裏蓋を開けにかかりました。
しかし、ノートパソコンは、だいぶん造りが違うのですね。考えれば当たり前ですが、あの小さなところにいろいろ詰め込んであるのですから、デスクトップの時とはまた勝手がちがいます。
書いてある通りにしましたが、書いてあるようには、裏のHDDのカバーがパカッとはずれたりはしません。私のPCと、インターネットで見ているPCとは型番が違うのですから、仕様も違うのでしょう。仕方なく、HDDではないところから攻めることにしました。
まず、蓋をはずしてメモリーを確認。その次は、モデム。
さて、そこからが全くだめ。仕方なく、裏側のネジというネジを全部はずしました。それでも、裏のカバーははずれません。
今度は、表から攻めてみることにしました。液晶のついた蓋は一体化していてはずれないので、キーボードをはずすことにしました。キーボードは比較的簡単にはずれました。
キーボードの各キートップをはずすなんて、あんまりしないかもしれませんが、簡単にはずれますので、時々はずして掃除をするのがよいそうです。キーが、押すと下がり離すと上がるのは、一つ一つのキーに伸縮する装置が使われているから。電車のパンタグラフと同じ機構を採り入れているので、パンタグラフ式と呼ぶそうです。
外枠がなかなかはずれませんでしたが、これは力づくでした。
下部のほぼ中央にはタッチパッドがありました。
メモリーが接続されていたスロットをアップしてみます。
パソコンの製造工程で、部品を装着する作業などに、女性の従業員の方が従事しておられる風景を何かの映像で見たことがあります。その女性たちがパソコンを使いこなしているかと言えば、それはまた別なのだろうと思います。メモリーがスロットにきちんと装着されているのを見て、そんなことをふと考えます。(もちろん、きちんと装着されていなければ、パソコンは動きませんが、、、。)
さらに外枠をはずしました。液晶画面の蓋と一体となっています。
白いびろっとしたものを抜きますと、ハードディスクが抜けました!
以前、外付けハードディスクの接触が悪くなった時に代わりのケースを買ったのですが、その時のを使わずに置いていたので、これを使うことにしました。
これを買いに行った時は、ヨドバシカメラの店員さんに「外付けのハードディスクのケースはどこですか?」と尋ねましたら、携帯するための布製の袋やカバーの売り場に連れて行ってくれました。「あ、そうじゃなくて、ハードディスク本体を容れるケースです」と言っても、なかなか通じず、いろいろ説明していくうちに、やっとわかってくれました。それほど間違った説明はしていないつもりだったのですが、若い男性の店員さんは、携帯するためのカバーを買いに来ている、という思い込みからなかなか抜けだしてくれないのでした。
こういうものです。 →
これにハードディスクをはめ込みました。ぴったりはめ込んで、USBをデスクトップパソコンに差し込みました。
USBは、パソコンの電源を入れたまま差し込むことができますよね。これをホットプラグと言います。USBは、抜くときは安全を確認してから抜きますが、差し込むときは特に気にしなくてよいので、扱いが楽ですよね。そして、今回のこのハードディスクケースは、バスパワーと言いまして、パソコンから電力が供給されるので、コンセントに差す必要がないので、楽です。どんどん、パソコン機器は楽になります。
さて、こうして、ノートPCから取り外したハードディスクをデスクトップPCに接続しましたら、このまえと一緒。いとも簡単に、古いデータを読み出してくれました。また、拍子抜け。
PentiumⅢ です。
インテル入ってる~ ♪ と、またもやつぶやく私。
それにしても、ハードディスクは(特に裸のままのは)、それほど丈夫ではないので、早いうちにDVDなどのメディアにデータを保管しなおすように、と言われています。なかなかメンテナンスが大変ですが、プロの人ほど、丁寧で慎重で、バックアップをちゃんととっているものだな、と感心するこの頃です。
カテゴリー:パソコン事始
タグ:パソコン
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