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『ハウスメイド』 もうひとりの下女 清水馨 [学生映画批評]

2011.09.02 Fri

 8月27日、公開初日のTOHOシネマズ シャンテに向かうと窓口が騒がしかった。14時30分の回を見ようと思ったが満席でチケットが買えない。全国ロードショーで大々的にテレビにコマーシャルを載せたわけでもないのに、これほどの観客が集まったということに驚いた。

 後日、劇場に問い合わせてみると、最終回を除いてその日はほとんどの座席が埋まったそうだ。

 30代以上の女性が友人やパートナーと、またはひとりで来ているといった様子が目立ったが、他に40代以上の男性がひとりで来ている様子も多く見られたことが印象的だった。その背景には、この作品の蜜のような部分を味わわせる濃厚な予告編があった。キム・ギヨン監督の『下女』(60)という伝説的作品をリメイクしたものであるということ、また、最近の傑作『母なる証明』(09)『息もできない』(08)という作品を引き合いに出して宣伝をしたということもあるだろう。

  チラシでは浴槽を洗う大胆な姿のメイドが載せられ、予告編も、その人物を中心に展開する。もちろん作品の設定も、奉公先の主人と関係を持つ若きメイド、ウニが一貫して主人公であることを示している。当然私も、彼女が先導して物語を進めてくれるものだと思っていたが、それ以上に、彼女の隣に、手前に、後ろに、そして上にいるベテランメイドのビョンシクという女性が、次第にその役割を奪っていったように思えた。彼女はウニを指導する厳しく完璧なメイドで、長年に渡ってこの家に勤めている。また、「汚く恥ずかしくてヘドが出る」というセリフが飛び出すほど家とそれに仕える自身に嫌気がさしているという二面性をもつ。その二つの顔を器用に切り替えながら、彼女は登場人物たちをじっと見つめ、監視する「傍観者」というポジションを作品内で保っている。

 この役柄はオリジナル作品『下女』には無く、本作のために新たに作られた。前作では主人公メイドのキャラクターが徹底して映され、「影」の部分が濃厚に描かれている。それに比べると今回のメイドの描き方は表面的とさえ言えるかもしれない。その代わりにビョンシクという登場人物、“見る人”を作ることで作品により複雑な視点や厚みを生み出していくという形になった。

 自宅で、家の主人と、主人公メイドの情事を目撃したベテランメイド、ビョンシク。ドアの隙間からじっくりと二人を眺めた後、心底あきれた顔でため息をもらす。観客の笑いをさらい、彼女のキャラクターが強く認識されたのはこの場面だ。

 物語が進むにつれて、奉公先の言いなりに見えた彼女が、主人公に同情するようになる。それによって、より、彼女に「人間味」がプラスされることで、主人公の座を奪ってゆく。

 ラストシーンで、ついに彼女は燃え上がる炎を背に家(つまり彼女のこれまでのすべて)から立ち去っていく。ここで、私たちは、この作品が「実はこの人の物語だった」と気づくことになる。これはある意味で、「観客を裏切った」ということになる。

 チラシの裏に、「驚きたい、裏切られたい―」という言葉があった。もちろんメイドに裏切られる主人の気持ちを表したものだが、観客は広告に裏切られ、作品そのものにも快く裏切られることになる。

(日本大学芸術学部・映画学科・3年・清水馨・しみずけい)

『ハウスメイド』公式HPは こちら

(イム・サンス監督/韓国/2010)

TOHOシネマズシャンテほか全国順次公開中

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カテゴリー:新作映画評・エッセイ

タグ:セクシュアリティ / 映画 / 働く女性 / 韓国映画 / 清水馨 / 女と映画