エッセイ

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わたしの変化【サンフランシスコ便り(6)】 堀川弘美

2011.10.15 Sat

ベイエリアへ来て7ヶ月弱が経過した。10月のサンフランシスコ便りを書くにあたって、自分のことを振り返ってみることにした。つまり、今回の報告は日本からベイエリアに来て7ヶ月弱の一人の女性のことを書いてみようと思う。

実は、今、何もかもがおもしろくて仕方がない。「おもしろい」というと語弊があるのだと思うけれど、ぴったりくる言葉が見つからない。前にも書いたけれど、ここにいるといつもいつも「なんて悲しい国なんだ」と思わされる。本当に悲しい。すごく落ち込むし、相変わらずよく泣きもする。そんな悲しいこともまた、気になって仕方がないし、もっともっと掘って掘って食い込んで行きたくなる。自分に対しても同じ。文化も言葉も共有できていないし、父からいつも言われていたように「常識」のなさゆえに、結構痛い目にも会って、実際に大泣きしたりもしてきているけれど、そんな自分の中に、その現実をどーんと受け止めて興味津々に自分を見つめようとしている自分もいる。尽きることなく、とめどなく溢れてくるおもしろさに必死で食らいつきながら、生きている。

目が外にばかり向いている気がして、やや気にはなるけれど、そんな風になってしまっている自分をそのまんま受入れて楽しんでしまっている自分がいる。こんなことでいいのか、とちらっとは思いながらも、いいのか悪いのかなんてそんなことは知ったことではない、と思ってしまう。

日本にいるときもそういう傾向はあったけれど、こっちにきてより一層強化された気がする。自分が出会う人、直面する現実、これらの外からやってくる出会いの意味はとても言葉では言えないし、まだまだこれから深まり、広がるのだと思うと、今、言葉にするのはもったいない気さえする。いつか時が来たらじっくりこれらの出会いと自分とを擦り合せて考えることができるだろう。今は、それができないときなのだと思う。

今同居している弘美さんの状態(6月号に掲載)、その弘美さんを囲む日本人コミュニティーの葛藤、サンフランシスコ市の無料の語学学校での出会い、刑罰に関わる数十ものグループや個人、死刑制度廃止にむかって運動するいくつかのグループ、反軍事主義を掲げ愉快な運動をする女性たち、今、私を囲むすべての要素が、今、どうしてこうやって私に起こりえたのかと思うと、そのあまりの偶然さに、身が引き締まる。この偶然さに気付かせてくれたのは、Eddy(先月号掲載)やJerry(写真)などなど多くの以前に刑務所に入っていた人たちとの出会い。Eddyは16歳から37歳までの21年間中にいて、2007年に帰ってきた。Eddyが帰ってきた当初を知る人は彼は最初は常に周囲にアンテナを張っているような緊張感を持っていたそうだ。今少しずつ和らいできている。この時期のEddyに出会えた意味を私は大切にしたい。また今私がインターンをさせてもらっているLegal Services for Prisoners with Childrenという組織で働くJerryは9歳のときからギャンググループに加わり、20歳で逮捕され、46歳までの26年間中にいて、2009年に帰ってきた。刑務所の中でEddyと出会い、Eddyが自分を変えたと語ってくれた。Jerryの英語は人一倍聞き取るのが難しくて、今でも言葉でのコミュニケーションは皆無に等しい。。。でも、6月から4ヶ月間に亘るインターンシップでどれほどJerryのハグや笑顔が私のエネルギー源になっているか。刑務所に入っていた人たちが多く働くこのオフィスで6月から毎日働いて来る中で、日常的に彼/彼女たちの優しさ、おもしろさに接してきた。ここでの時間は、私がどこかで内面化してしまっていた「犯罪者」像を解きほぐす時間であり、「犯罪者」とされた人たちを人間として捉え直す時間であり、いろいろなものを内面化してしまっている私自身と向き合わなくてはならないしんどい時間でもあった。でも今思うのは、私自身を人間として捉え直す人間化の過程の一段階に今やっとたつことができた、ということだ。人を変えようというのではなくて、自分が変わらなくては。

今、通っている無料の語学学校(City College of San Francisco)も私にとってとても魅力的な場所だ。本来なら所属しているSan Francisco State Universityのクラスを取るべきなのだろうけれど、移民の人たち、また比較的貧しい人たちが集まる、この「学知」とは縁遠いところにいるようなこの学校の人たちが、私は大好きだ。若い人で仕事がある人は日雇いやレストランでのアルバイトなどをしている。仕事を持っている人は少なく、20年、30年ここに通い続けて今はおじいちゃんおばあちゃんになって、今も通っている人たちがいる。半ばデイケアセンターのような雰囲気もある。ベトナム、中国、南米などなどまとまった人数としては15カ国くらいから来ているそうだ。ベトナムから30年くらい前にきた元兵士のおじいさんは、私がうっかりホーチミンシティというとそれを嫌って、必ずサイゴンと言い直す。英語のレベルは8段階に分かれていて、同じクラスの人たちは同じレベルなはずだけれど、私は他の日本の人と同様文法に強いがしゃべれないし、他の多くの人はしゃべれるが文法、スペルに弱い。文法に強く、また耳が聞こえる私は、耳の遠いおばあさんたちからいつも質問攻めに会っている。一人一人とちんぷんかんな会話を経ながら、でもゆっくりゆっくり会話を積み重ねて行っていると、一人一人がすごくすてきで、愛おしくて、大切な存在であることにじわじわ気付かされる。「一人一人が大事な存在」なんて分かりきっていたはずなのに、今、違った感触でそのことを学び直すことができている。

毎朝7時に家を出て、午前中は語学学校、午後からインターン、夕方語学学校へ戻り、夜10時頃帰宅するのが基本的な生活で、時には刑務所訪問、抗議集会やワークショップ、講演会、会議に参加しいずれにしても帰宅は10時すぎ。週に三日は同居人の弘美さんと夕食を一緒に取るようにしているため、一度帰宅し、夕食準備をしてまた出かける、という生活。料理、掃除は主に土日にして、自家製冷凍食品をいっぱい作る。他の研究者の人にこんな私の生活の話をすると、それが研究?とまず驚かれる。いい生活してるなぁとうらやましがられる。本当に私は恵まれたいい生活をしていると自分でも思う。そして「これがわたしの研究なんだよ」と私は今、胸を張って自分に言ってあげられる。

カテゴリー:サンフランシスコ便り

タグ:アメリカ / 堀川弘美

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