エッセイ

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ロサンジェルスからサンフランシスコ便り【サンフランシスコ便り(7)】 堀川弘美

2011.11.15 Tue

11月1日から6日まで二つの会議に参加するためにロサンジェルスへ行ってきた。一つ目は、2日に行われたFormerly Incarcerated & Convicted People Movementの会議。二つ目は、2日の夜から5日まで行われたThe International Drug Policy Reformの会議。まだまだ全然聞き取りができないし、内容の濃い二つの会議に参加して、やっぱり今回も消化不良。だから、会議で何が決まった、とかどんな話し合いがなされた、という報告はする自信がない。今回の旅の中で深まった関係性のこと、新しくできた関係性のこと、おもしろかったこと、悲しかったことなど自分のココロで確かに感じ取れたことだけ報告したいと思う。

1日は、サンフランシスコから車で2、30分のところにあるオークランドに10:30に集合して11時に出発予定だと聞いていた。誰がどの車に乗るのか、誰が運転するのかでもめたり、人が来なかったりで、出発したのは1時。道中、限られた食べ物をシェアしたり、けんかしたり、笑ったり、とにかくよくしゃべってパタンと寝る人を見たりと楽しくて仕方のない6時間を過ごす。その日の夜は、顔になじみのある人たちとロスで再会して、うれしい時間を過ごした。一緒に行った二十数名の99パーセントが前に収容された経験を持つ人たちで、ロス行き主な目的は2日の最初の会議の方。

Eddy

2日、いよいよ会議。前の号で紹介したことのあるEddyも参加。この会議には、ほとんどがアフリカンアメリカン、ラティーノの人たちが参加していてアジア人はEddyだけだった。

この会議が行われた建物には、アフリカンアメリカンの人たちが差別されてきた痕跡が手作り感溢れる形で展示されている。ブラックパンサーの人たちの写真の展示、絵画など盛りだくさんに展示されている、私にはちょっと未だに謎な建物だった。

“Colored”と書かれたトイレ

仲良しのElder

黒いベレー帽が、若かりしElder

前に収容経験のある人たちはオレンジを、その家族やサポートメンバーは黄色のリストバンドをするのだが、私はよくわからないまま両方していた。

殺された子たち

21歳になったばかりのタティも収容経験があり、ユースの分科会で発言、10代20代の子たちがたくさんいて、またその子たちの発言のパワーに圧倒されてしまう。親子で収容経験がある、という話をよく聞いた。タティの祖母にあたるHarriettaも収容経験があり、この6ヶ月ずっとずっとこの6ヶ月同じオフォスで過ごしてきたJerryと今回、少しゆっくりとお話することができた。養子に出され、9歳でギャングメンバーに参加、20歳のとき敵対するギャングの若者を撃ち殺し逮捕され、26年間中にいた。彼の生みの父親、叔父さんはまだ刑務所の中にいるという。ロスで生まれ育ったJerryがロスを案内してくれた。その中で彼の友人がオーガナイズするいくつかのコミュニティセンターのようなオフィスを訪ねたのだが、そのうちの一つだけ紹介する。ギャンググループに加わり、10代20代で殺された子たちのことを伝え、親をサポートし、またギャンググル—プへの働きかけを行っている小さな団体。殺してしまったJerryと一緒に、でも殺されるかもしれないという中で10年以上ギャングとして活動してきたJerryと一緒にその場所を訪れたことは、言葉にならないけれど、強烈な印象として私の中に残っている。

2日夜からはドラッグの会議スタート。この雰囲気一転、高級ホテルでの開催。会議の期間中わたしたちもそこでの滞在で、調子が狂う。自分でも何を期待していたのか分からないけど、寝袋持参、バックパックの超カジュアルスタイルでホテルで浮いていることに気付く。5日までの会議を見ていて最初に感じたのは、やっぱりアジア人が少ないこと。圧倒的にアフリカンアメリカンの人が多い印象がある。そして女性たちの言葉の魅力的なこと。The International Drug Policy Reformの会議は二年に一回アメリカのどこかで行われてきたという。たくさんの分科会(約50。その他に各団体が上映会やイベントを夜に企画していた。)が同時に行われているので全体像を把握するのは難しいけれど、最後のクロージングイベントに参加していた人たちだけを見ても軽く500人くらいは集まっていたように思う。

右から二番目がDorsey

3日木曜日の夜、ホテルからMacArthur Parkまでシャトルバスが出てそこで行われたラリーへの参加もその企画の中にあった。No More Drug Warというスローガンのもと、寒い中たくさんの人が集まって叫んでいた。私がインターンをさせてもらっているオフィスのDorsey Nunnも発言者の一人。

彼がDrugの運動に関わる理由を、とてもプライベートな話とともに聞かせてくれた最後、このDrug Warを操る者たちに対して(だと思う。)”I’m gonna say…”と叫び、Dorseyはそこで言葉を止め、聴衆が”Fuck You!!”と叫んだ。あのときの強烈な空気をどんなふうに表現したらいいんだろう?会場には若い子たちがたくさん集まり、ラップミュージックなど盛りだくさん、マリファナのにおいのぷんぷんするのりのりの空間だった。 仲良くなったメキシコからの移民一世のMarthaという子の母親、彼氏もまたドラッグを所有していたことで収容された経験を持っているという。とても身近にたくさんの友だちが逮捕されてるから、と淡々と語る彼女を見ていて、もっともっといろいろなことを知りたい、勉強したい、出会いたいと強く思った。

カテゴリー:サンフランシスコ便り

タグ:アメリカ / 堀川弘美

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