エッセイ

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料理と音楽、料理を手だてとすること 堀 あきこ(晩ごはん、なあに? 18)

2012.05.30 Wed

 食いしん坊同士で同居していると、食べ物にかんする会話が多くなってしまいます。なかでも一番多いのが、「○○○は▲▲▲とあわせると、□□□になるんじゃない?」というような会話。○○○には現在食べているものが、▲▲▲には別の料理や調味料が、□□□には“味のレンジ”が入ります。たとえば、「この茹で鶏は、マスタードソースとあわせると、酸味がトップに来ていいんじゃない?」という感じ。今食べている状態でも十分に美味しいのですが、それをアレンジしたい、幅を広げたいという欲望が、なぜかしら頭をもたげるのです。

  アレンジは音楽でも使われる言葉ですが、“味のレンジ”というのも、実は、音楽(バンドミュージック)をヒントに、私が勝手に作ったものです。ベースギターやバスドラの低音がぼやけていると締まりのない音になるし、アクセントのない音は耳に残らない。いろいろなものが重なりあって、その重なり具合が格好いいかどうかが音の決め手。それと料理が似ているなーと思いついたのです。

  料理を勉強したことがないので、“味のレンジ”概念はあやふやなものですが、味をトップ、ミドル、ベースに分け、ベースをだしにあたる部分、ミドルを料理の中心となる味わいの部分、トップを香りや酸味や辛みなどアクセントになる部分と分けています。

 しっかりした味わいの豚の角煮を口に運ぶ時、トップにふんわり八角の香りが漂ったり、ファラフェル(ひよこ豆のコロッケ?みたいなもの)にパセリとコリアンダーが入ると一気にミドルが複雑な味わいになったり(写真は、自家製ファラフェル)、鴨鍋をした後の雑炊がたまらなく美味しいのは鴨のコクのおかげだったり。トップ、ミドル、ベースのバランスとアレンジは、料理を上手く演奏するのに欠かせません。

 音楽と料理といえば、これまで一番感動したのは、知人のバンドのフィンランド・ツアーに同行した時のこと。知人のバンドも呼んでくれた人もインディペンデントで、泊まるところはすべて地元のバンドマンの家、というツアーでした。

 寝床として招いてくれた古アパートにたどり着くと、ドアの前からいい匂いが。30センチはあろうかというトロージャン(モヒカンの髪型)を立て、家の中でも鋲付き皮ジャン(これしか服がないらしい)を着込んだ、絵に描いたようなパンクなお兄ちゃんが、机いっぱいに料理を広げ、私たちが来るのを待っていてくれたのでした。

 ビーガン(完全菜食)の彼が、「君たちのために何年かぶりに肉を触ったよー」と、刺青だらけの腕でグレイビーソースを煮詰めている姿に、なんとも胸が熱くなりました。ライブに行ったり、レコードを買ったり、楽器を買ったり、ということに熱心な彼らは、誰もお金がなさそうで、質素な(というより、かなりビンボーな)生活ぶりなのに、こっちが恐縮してしまうぐらいの歓待精神。いたく感動した私は、この体験以降、さらに宴会体質を深めていくこととなりました。

 料理が人と繋がる手段となることに気づき、自宅宴会の回は増え続けたのですが、時にベクトルが変わることがあります。

 311の後、たくさんの人が自分たちのやり方で、募金活動や署名活動やイベントをされていました。自分で企画するには壁が高かったのですが、賛同できるプロジェクトに支援したいなーと考えていた、そんな時、「ああ、これなら出来る」と思いついたのが、日頃、みんなに食べてもらっている料理にお金を払ってもらうこと、でした。売り上げから材料代を抜き、残りの金額を支援したいプロジェクトに送る。私たち料理人は労力を寄附し、参加者には料理を食べることで寄附してもらう、というアイデアです。

 知人のお店の多大な協力をいただいて、イベントは大成功。大人子どもあわせて60人以上もの参加者があり、たっぷり仕込んだ料理はほとんど売り切れ、無事、カンパ送金が出来たのでした(写真は、その時のメニューの一部)。「美味しかったよー」「面白かったよー」の声や、たくさんの人と出会えたこと、予想していた以上の人が参加してくれたことに感謝!「次回があるなら手伝いたい」という言葉ももらい、ここに何か可能性があるのではないか、と感じたのでした。

 実は、現在も、料理をキーワードに別のプロジェクトを考えています。食べることと生きること、そして考えることは繋がっている。キッチンのテーブルで詩を綴った女たちがいたように、台所と、机の上と、顔を合わせての議論とを行ったり来たりする予定です。

カテゴリー:晩ごはん、なあに?

タグ: / 音楽 / 料理 / 堀あきこ