原発ゼロの道 エッセイ

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やり直すためには、どこまで戻らなければならないか  坂田雅子

2012.06.09 Sat

脱原発をめざす女たちの会「もう原発は動かさない!発信する女たち6・2集会」
http://www.nnpfem.com/

  当日壇上でスピーチをなさった坂田雅子さん(映画監督)のご発言の原稿を、上野がお願いしてWANに掲載許可をいただきました。同じ頃に京都大学にいたことが判明。40年後の出会いでした。(上野千鶴子)

坂田雅子さん紹介
 ベトナム戦争の枯れ葉剤の影響をとりあげたドキュメンタリー映画『花はどこへ行った』(2007)で国際環境映画祭審査員特別賞受賞。レイチェル・カーソンを題材にした『沈黙の春を生きて』(2011)発表。

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やり直すためにはどこまで戻らなければならないか?  坂田雅子

50年前、レーチェル・カーソンは『沈黙の春』のなかでこう述べています。

化学物質は放射能と同じように不吉な物質で、世界のあり方、そして生命そのものを変えてしまいます。今のうちに化学薬品を規制しなければ、大きな災害を引き起こすことになります。

2011年3月11日、私は大きな災害を引き起こした化学薬品、枯葉剤に関する映画の編集作業をしていました。50年前のこの警告をいま真剣に受け止めなければ、私たちは50年後にどんな世界を残す事になるのかというメーッセージをこめて。

 ところがその大災害は福島の原発事故という形で、50年を待つ事なく起きてしまったのです。私たちすべてが時計を3.11前に巻き戻したいと思っているはずです。そして、やり直せるものなら、やり直したいと。

 やり直すためには、いったいどこまで遡ればいいのでしょう。

私の中ではそれは第2次世界大戦なのです。

では、なぜ、世界大戦が起きたのか、もっと遡ることもできるでしょうが、限られた知性と時間の中では、とりあえず、そこまでにとどめておきましょう。

化学薬品も原子力も戦争の落とし子です。
それは、原爆であり、ベトナム戦争中に大量に撒かれた枯れ葉剤です。

どちらも世界の優秀な科学者達のたゆまざる努力の結果です。それらの科学者達が皆、兵器を開発しようというつもりで原子力や科学の研究に携わってきたのではないでしょう。現にアインシュタインやオッペンハイマーなど原子力開発に大きな貢献をした科学者達が,自らの研究が原爆という大量殺人兵器に結実したことを後悔しています。

一方で、戦争中に開発されたこれらの技術と科学は、私たちの日常生活をも大きく変えました。終戦後間もなくして生まれた私は、家にはじめてテレビが来た日、冷蔵庫が来た日、掃除機が来た日のことをよく覚えています。
『明るいナショナル、明るいナショナル、みんな家中電気で動く』の歌に連れられ,日本の夜がどんどん明るくなっていきました。
そして戦争を知らない私たちの世代はアメリカにあこがれ、その物質文明に洗脳されていきました。

私たちが育った時代はまさに原発が育った時代でもあるのです。

 原発の危険性をまず私に気づかせてくれたのは、母でした。彼女は1970年代の半ばころ、イギリスの英仏海峡の小さな島に住む長女から、フランス、ラアーグの再処理工場に日本の使用済み核燃料が運びこまれていること、再処理工場の近辺では放射性廃棄物が問題になり、住民の反対運動が起きていることなどを聞きました。そのころ、姉が重い障害をもった子供を死産していたので、母はひょっとしたらそれと関係があるのではないかと思い、原発について勉強しはじめたのです。そして、すぐに原発がいかに危険なものであるか気づきました。それと同時に電力会社や国の嘘やごまかしも見えてきたのです。

それは「聞いてください」というミニコミになり、少しずつ、仲間が増えていきました。母は13年前に亡くなりましたが、ガリ版刷りのミニコミは福島の事故のあと、本として出版されました。

 そういう母を身近に見ながらも、私は、国の決めることなんだから安全性は勿論チェックしているだろうし、専門の科学者が何人もあつまって研究した末のことなのだから、一介の主婦が心配することはないだろうと、たかをくくっていました。心情的には母に同意しながらも、権威主義的なものに巻き込まれている私がそこにいました。

 やりなおすためには、どこまで戻らなければならないか。

生まれる前の戦時中には戻れないとしても、例えば、70年代、問題が目の前に突きつけられていたのに、見ようとしなかった私がいる。私たちがいる。少なくとも、そこまでは戻ってみなければいけないでしょう。私たち皆があのころ、原発の危険性に気づき、行動を起こしていたら、何かが変わっていたかもしれない。

 もう遅い、だからもう何もできない、というのではなく、今、見据えて、行動しなければ、30年後、50年後の世界がどうなってしまうかわかりません。

 私たちはどこでどう道をあやまったのか、という問いの答えをもとめ、私は先月、マーシャル諸島を訪れました。広島、長崎で原爆の悲惨をいやというほど知ったはずの人類が、その後1年もたたないうちに大規模な核実験をはじめた太平洋の島々に、その原点を探りたかったのです。
1946年から1958年までアメリカの核実験が行われていたここでは、ビキニやエニウェトックという珊瑚礁の島々で、アメリカの原水爆が67発もテストされたのです。これは広島原爆の7200倍にあたります。50年、60年まえの核実験の被害は今も生々しく残り、土も動植物も、いまだにセシウムやプルトニウムに汚染され、人びとは故郷の島に還れないでいます。体も心も、放射能による障害に犯されています。

マーシャルのひと達が未だに苦しんでいる姿は、原発によって生活を奪われた福島のひと達の姿と重なります。

私はこの1年、福島を何度か訪れ、原発によって故郷を追われ、未だに何の希望も見いだせないでいる人びとに会いました。つい先日も、浪江町の牧場で300頭もの牛を殺処分から守るため、まさに命をかけて抗議を続けている男性の話を聞いてきました。数日まえには、浪江に一時帰宅した男性が自殺するという、悲しいニュースを聞きました。自殺にいたるまで、どれほどの悲しみが、彼にのしかかっていたのでしょう。そして他の多くの人びとを重く覆い尽くしているのでしょう。

 私たちは60年まえに戻ってやり直すことはできない。
せめて、再び後悔することのないよう、原発はやめるという決意を今すぐしなくてはなりません。

 1954年、第5福竜丸が死の灰をあびて帰ってきた時,日本の反原水爆の運動は大変な盛り上がりを見せました。杉並区の主婦達が始めた署名運動には、実に日本人の3人に1人、3000万人以上が署名したそうです。その熱気を取り戻そうではありませんか。

一人一人の力は小さくて、なにもできないと思ってしまいがちです。
でも、いまこそ、その小さな力も集まれば世の中を変えることができることを証明する時です。

 小田実さんの作品に「巻き込まれつつ巻き返す」という言葉があります。市民運動の原点だと思います。私たちは、否応なしに会社に勤め、会社のルールに巻き込まれて、ロボット化している。あるいはテレビや新聞の情報を信じて、そのスポンサーの広告に踊らされている。

会社を辞めて反戦運動をするのは難しいし、マスメディアと決別することもできない。けれど、そうして巻き込まれながらも、その中から反対の声を上げていく、そうやって世の中を変革していくんだという小田さんの考えなんですけれど、それがすごく大切だと思う。巻き込まれっぱなしになっていてはいけない。長いものに巻かれっぱなしじゃいけない。

 大飯原発の再開で、政府はまさに市民をその不可解なロジックに巻き込もうとしています。そして,市民、周辺自治体のひと達が巻き込まれていく様子が、手に取るように見えます。

 巻き込む側の嘘やまやかしにだまされることなく、私たちは巻き込まれず、いや、巻き返していかなければなりません。

 いまこそその時が来たのだと思います。

カテゴリー:脱原発に向けた動き / 震災

タグ:脱原発 / 原発 / 坂田雅子