エッセイ

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私がろくなものを食べてなかった頃・・・(晩ごはん、なあに? 21)  鷹番みさご

2012.09.30 Sun

親しい友人の顔を思い浮かべる時、一緒に思い出すのは、彼らと一緒に過ごした時間・・・とりわけ一緒に食事をした時間である。

 このエッセーでは、世界のさまざまな国での食にまつわる思い出が紹介されており、読むたびに、書き手の皆さんの横顔を想像しつつ、じゅるりと垂れてきそうなよだれを飲みこむのであるが、今回は私がろくなものを食べてなかった頃のことを紹介したい(今だってたいしたものは食べてないけれど)。

 私のはじめての就職は、地元関東を離れ、大阪ではじまった。新しい環境と仕事に慣れるのに精一杯の私ではあったが、やはり、食事は人をつくる基本、食事だけは気を使い、夕食の時間は一日のハレの時間になるよう、できるだけ趣向を凝らして作った・・・とできればよかったのだが、実際にはその逆で、決して誇れるような食生活はしていなかった。

 安くておいしいという大阪のグルメに親しむ余裕もなく、家と職場を往復する毎日であった。時間も気力もお金もそんなになかったあの頃が、私の食生活が最も貧しかった時期であろう。そんな毎日の食事はともすると、明日の活動エネルギーを得るためだけのエサのようなものになりがちであったが、食事が単なるエサになるのを防いでくれたのは、寮生活を共にした同期の友人という香辛料であった。

 会社から帰宅してから、しばしば私たちは、お互いの料理をもちよって一緒に食事をした。

 大のタバスコ好きで、なんにでもタバスコをかけてしまう友人は、炒め物をしょっちゅう作っていた。特にキャベツの炒め物が印象に残っているのは、キャベツとタバスコの相性がよく、嬉々としてキャベツの炒め物にたくさんタバスコをかけていた友人の姿が印象に残っているせいだろうか(あんなにタバスコを摂取する人にはその後もお目にかかっていない)。

 果物好きの友人は、夏がやってくるとしょっちゅう桃を食べており、彼女からは、果物にお金をかけるということを学んだ。料理をほとんどしない彼女はまな板をもたず、するすると桃の皮をむき、桃をそぎ落とすように切りながら皿に盛っていっていた(彼女は「そんな気取ったやり方をしているからいつまでたっても料理ができるようにならないんだ」と母親から言われていたらしいが、私から見るとその姿はなかなかチャーミングなものだった)。

 料理好き、世話好きの友人は週末に何度か、栄養たっぷりの手作り野菜ジュースや手のこんだ料理を私たちに届けてくれた。彼女は、料理をすることで気分転換をし、ストレス解消をしていたんじゃないだろうか。その姿は、ちょっと母の姿と重なるものがある。

 私自身は、一気に何種類もの食材がとれて、2、3日食べ続けられる煮込み料理をよくつくった。それに、完全栄養食品ともいわれている卵を食べれば、ひとまず栄養面は安心、などと考えて卵をつけたりしていたが、思い出しても合理性だけが突出していて、色気もトキメキもない。今でもやはり私がつくるものといったら煮込み料理が多いが、これは面倒くさがりの性格が反映してのことだろう。

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 皆がろくな料理を作っていなかったような気もするが、それでも、もちよれば、それなりの食卓になった。皆が食事を囲むテーブルすらなく、衣類の入った衣装ケースをテーブルがわりにして、わちゃわちゃと女同士で食事をしていたことを思い出すと、懐かしくてきゅんとする。

 思い起こしてみても、たいした食事はつくっていないのに、それでも、食のまわりには、その人の性格や育ってきた環境が色濃くあらわれていることに気づき、ちょっとおもしろい。

 現在では皆がその会社を離れ、起業したり、家業をついだり、資格をとったり、それぞれ異なる道を歩いている。自分のことに精一杯で、視野が狭く、幼かったあの頃に戻りたいとはまったく思わないが、衣装ケースすらも宴のテーブルになったあの時間は、家族とは異なるカタチをとりながら、お互いのよさも悪さもさらけだしながら、濃密な時間を過ごし、生活を共にしいた友人たちとの僥倖のような時間として、たまに、ふと、思い起こされる。








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