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『嘆きのピエタ』評 贖罪のテーマに聖映画の出現を見た 川口恵子

2013.06.06 Thu

母性をさかてにとった社会派サスペンス

「嘆きのピエタ」main

 愛と憎しみ、暴力と救済、贖罪、そして「母性」―あるいは「母性」の存在を否定しながらも、どこかでそれに救われたいと願う分裂した魂。傷つき果てた人の心。鬼才キム・ギドク監督の『嘆きのピエタ』は、西洋社会に根強い「聖母マリア信仰」を逆手にとりつつ、人間の感情のもっとも深いところをサスペンスフルについてくるおそるべき魂のドラマだ。現代韓国資本主義社会の暗部を抉り出す社会派ドラマでもある。

原題ともなっている「ピエタ」(英題PIETA)とはイタリア語で「慈悲」の意。磔(はりつけ)の刑をうけ十字架上からおろされたイエスキリストの傷ついた体を聖母マリアが慈悲深い表情でだきかかえる構図で知られる、宗教美術(絵画・彫刻)のモチーフだ。監督も、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂で見たミケランジェロの彫刻「ピエタ」から着想を得たという。かつて軍隊を除隊後、障害者保護施設で働きながら夜間の神学校に通い牧師を目指していたという異色の経歴をもつギドクならではの構想だ。第69回ヴェネツィア映画祭で本作に金獅子賞を与えた映画人は、このギドク流映画版「ピエタ」にド肝を抜かれたことだろう。

同時に、西洋の映画人も深い共感を覚えたに違いない。急速な経済成長を遂げるアジアの大都市ソウルを舞台としながらも、ここには、洋の東西を問わず、神なき時代に生きる現代人が抱える喪失感と苦悩、それゆえに愛を求める悲しさ、ラストに向かうにつれ立ち上がる贖罪と赦しのテーマが見事に映画空間の中に形象化されているのだから。これはある意味、現代版の聖画といえるのではないか。

舞台はソウル市内の小さな町工場がひしめきあう清渓川(チョンゲチョン)周辺。かつて工場労働者として10代を過ごしたギドク監督自身の記憶が刻まれた実在の場所であると共に、「都会の金融街に押されて徐々に町工場が消えていく現在のソウルの状況を反映させた」と監督の語る、映画にとって重要な象徴的トポスである。物語の進行とともに、観客は何度も、この川を見たいと願う登場人物たちの姿を目撃することになるだろう。彼らのほとんどが、この川のほとりで傷つき、死んでいくことになるのだが―。

「嘆きのピエタ」sub1

 前半、観客は、板金やら金型、切断機、プレスに囲まれつつましやかに暮らす市井の人々が、借金取り立て屋の主人公ガンド(ドストエフスキー作品の主人公を思わせるほど悪魔的な魂の持ち主)によって痛めつけられるさまを見ることになるだろう。そしてやがて、彼ら債務者の身体に主人公が容赦なく加える暴力を見た後、観客は、この悪魔的主人公の魂が、「母」と名乗る女性の登場により深奥から揺さぶられ、引き裂かれていくさまを目撃することになるのだ。彼はやがて自ら犯した罪の大きさを知ることになる―

 主人公にかくも深い影響を及ぼすこの「母」が、はたして本当に生母なのか、それとも、彼の悪魔的魂を地獄の底から連れ出すためにどこからか(神から?)遣わされた現代の聖母なのか、謎が映画にサスペンスを与える。母と息子の強い絆を前提とした物語設定には若干、違和感を覚えたが、「母」役のチョ・ミンスの肝のすわった演技が、与えられた母親像を凌駕。ガンド役のイ・ジョンジンも弱さを内包した悪役ぶりが素晴らしい存在感。

真の感動はラストシーンの象徴的な絵柄だろう。夜明けのソウルの道路に延々とひかれる血痕に、人類の罪を背負って十字架にかけられたキリストの流した血の、見事に映画的な再来を見ることができたように思う。やはりこれは聖画―いや聖映画とよばねばなるまい。

「嘆きのピエタ」sub2◎6月15日(土)よりBunkamuraル・シネマ他にて全国順次公開

(c)2012 KIM Ki-duk Film All Rights Reserved.

 初出:『女性情報』5月号より転載

カテゴリー:新作映画評・エッセイ

タグ:DV・性暴力・ハラスメント / 格差 / 川口恵子 / 韓国映画

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