2014.01.10 Fri
自宅を貸すことに抵抗のないスペイン人
自慢ではないが、私は子どもの頃から「かわいい」といわれたことがほとんどない。小学生時代は、当時では珍しく半ズボン(=昭和の香りがしますね)がよく似合う子で、男の子に間違われることもよくあった。
母は結構、着るモノに気を使うひとだったから、女の子の半ズボン姿はお洒落だと思ったのだろう。ベレー帽もトレードマークのようにかぶっていた。スペインのなかでも、特に民族意識の強いバスク地方の男性が、このベレー帽を愛用していると知ったのは大人になってからで、不思議な縁を感じた。
話がそれてしまったが、私は以前、夏の間、バルセロナの「グラシア地区」でアパートを借りて住んでいたことがあった。バルセロナの祭りや市民の文化活動を調査していた頃だ。
「グラシア地区」はバルセロナの中心に位置する「カタルーニャ広場」から北に上がった所にあり、落ち着いた住宅街に個性的な店やレストランが点在している。ひと昔前は村だった面影が残り、モダンすぎない街並みは、大都会のバルセロナにあって、どこかほっとさせる雰囲気があった。
私が借りていたアパートは、友人のアナ(カタルーニャ人女性)の姉の娘、つまり彼女の姪の持ち物だった。アナの父は医師をしていたこともあり、アナたちの幼い頃の写真を見せてもらうと、裕福な家庭で育ったことがよくわかった。
アナの姉からは、以前、クリスマスの食事会に招いてくれたことがあったが、瀟洒なピソ(=マンション)の一角にある自宅は、広々としてインテリア雑誌に載っているような素敵な住まいだった。
彼女はやり手の弁護士だけあって、家財道具にかけるお金のかけ方も一般家庭とは見るからに違っていた。一緒に食事をしたことで、次第に冗談も飛び出すようになったとき、
「私は男運がないのよね~」
と語リはじめた。どうも、離婚の原因は夫の女性問題だったらしい。それでも経済力のある彼女は、別れた夫の支援など当てにせず、3人の子ども全員に大学教育を受けさせ、立派に成人させた。
私にアパートを貸してくれたのは彼女の長女で、大学卒業後、ファッション関係の会社に勤務し、優雅な独身生活を堪能していた。夏の間は長いバカンスで家を空けるらしく、私からの賃貸料をバカンス費用の足しにしたいと考えたらしい。
その前の年の夏は、私たちはアナの家を使わせてもらっていた。
「セツーコ(=第二母音にアクセントをつけるスペイン語圏のひとたちはこう発音する)、何か困ったことがあったら、いつでもバカンス先に電話ちょうだいね」。
そういいながら鍵をポンと私に預け、家族そろって地中海沿いのリゾート地に出かけて行った。私はアナ一家を見送りながら、安心できる相手には、今住んでいる家をそのまま貸しても抵抗がない、彼らの割り切った考え方と、自分が信頼されている事実に感動さえ覚えた。
今回借りた「グラシア地区」のアパートは、玄関だけでは想像できないが、優に百平方メートルはあり、ウナギの寝床のような作りで、奥には中庭まであった。この庭で水浴びすることもでき、当時、子連れで調査をしていた私にとってはもってこいの環境だった。
市場には市民のエネルギーと友情がうずまく
このアパートから五分も歩けば、大きな市場があった。午前中、何の約束もないときは、買い物かごを抱えて、子どもと一緒にこの市場に出かけ、新鮮な食材を買いに行くのが日課だった。
市場で働いているのは圧倒的に女性が多い。鮮魚店では、入念にお化粧をしたセニョーラが、お洒落なビニール製のエプロンをかけて、大きな魚を見事にさばいている。みんなそのままブティックに勤めてもおかしくないほど、きれいに身づくろいし、店に華やかさを添えていた。どの店を見渡しても幅広い世代の女性たちがキビキビと働き、凛々しい横顔は、彼女たちの仕事に対する誇りを感じさせる。
人気のある店では、多くの買い物客が順番を待っている。面白いのは、一見、ひとでごった返しているかのように見える店先でも、待っているひとたちは、自分が買える番があと何人目で回ってくるのか、把握していることだ。
だから、正しい順番!で待つためには、すでに店の前で群がっている買い物客に
「最後に並んでいるのは誰?」
とたずね、確認するのがエチケットなのだ。これをしないで、お店のひとに話しかけようものなら、待っている人たちから一斉に睨まれてしまう。
だが問題なのは、働いている女性たちが大のおしゃべり好きなことだ。自分の友達が買い物に来ていると、いつまでも喋っている。友達ではないひとは、いくら待たしても平気でいる。
私は時間に余裕があるときは待つけれど、そうでなければ、いつ終わるかもしれない世間話に業を煮やして、違う店に行ってしまうこともしばしばあった(待つことが苦痛の、わただしい日本人!)。
そして買い物に疲れた時は、市場のなかにあるBARでひと休みする。子どもはカウンターに並んだコロッケやボカディージョ(スペイン風オムレツをはさんだパン)を頬張り、私はコーヒーカップを片手に市場の活気ある光景を眺めながら、いつも元気をもらっていた。
面(つら)の皮が厚い分、小じわが少ない?!
市場には、スペインらしく生ハムの専門店や漬け込んだオリーブの実や手作りの惣菜、「ガスパチョ」と呼ばれる野菜がたっぷり入った冷たいスープの専門店まである。ここに来れば、献立に悩まなくてすむほど、美味しそうな食べ物が並んでいた。
一口に肉屋といっても、牛肉、豚肉、鶏肉と取り扱う商品によって分かれ、専門店として営業している。なかでも私のお気に入りは鶏肉専門店だった。
ここの大将が、私が店の前を通る度に、いつも威勢よく、
「グアッパ(かわいい女性)!」
と声をかけてくれるのだ。日本人は他の国の女性に比べて、実年齢より若く見らやすいが、中年のおばちゃんにこんなふうに声をかけるのは、世界広しといえども、スペインだけかもしれない。私はいつも自然と頬がゆるんだ。
同じラテン系でも、イタリアなどでは、若い女の子たちなら、男性からこうした言葉をかけられるが、中年世代になるとピタリと声がかからなくなると聞いている。
大将の呼びかけで、私は買う予定がないのについつい鶏肉や卵を買ってしまうのだが、いつも気にかけてくれていることが、寂しい外国暮らしのなかで素直にありがたかった。
実のところ、「グアッパ」=「かわいい女性」と直訳して、ニンマリとしているのは私だけで、大将にしてみれば、「やあ、そこのお姉さん!」程度のものかもしれないのだけれど。
こうした親しみを込めた呼び方は街中でもよく見受けられ、年配の方が、若者に
「イホ(=息子)!」「イハ(=娘)!」
と呼びかけてから、道を聞いたり、話しかけていることがある。
日本人から見れば、自分のほんとうの息子や娘ではない若い子に、こんな風に話しかけるのは何とも不思議に思えるが、これこそ文化の違いだろう。若者にとっても、このように話しかけられれば、年配者を邪険には扱えない。
こうした他人との距離の縮め方に長けたスペイン人、その言葉使いや習慣には、楽しく生きるための知恵が込められている・・・。
そんなことを考えながら、私が「かわいい女性!」と声をかけられることを、バルセロナ大学出身の才女に話していたときのことだ。
彼女は私の顔をしげしげと見つめながらつぶやいた。
「セツーコは、シワが少ないわね~」
同世代の彼女の口から突然出た言葉に、ポカンとしている私に、
「私たちスペイン人は顔の皮膚が薄いのよ。でも日本人って、<面(つら)の皮>が厚いでしょ。だからシワが少ないのだと思うのよ」
これって、本気で褒めているのかなあ・・・。毎度のことながら、言葉の壁は厚い。
カテゴリー:スペインエッセイ
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