エッセイ

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考えるということ(旅は道草・61) やぎ みね

2015.02.20 Fri

 娘が、ひとり親になって3年、孫娘は4歳半になった。

 今年のお正月も、いつもどおりのおせち料理をつくった。孫はパクパクとよく食べる。数の子に鯛の子、蒲鉾に玉子焼き、昆布巻きに栗きんとん、たたきゴボウにニンジン、田作りに柿なます、お煮しめも大好き。京風の白味噌仕立てのお雑煮を、たらふく食べて、おしまいはゆっくりと梅こぶ茶を飲む。まるで「ゆいばあ」だ。そして元気に、また一つ歳を重ねた。

 ジャン・ピアジェの子どもの発達区分は「感覚運動期」「前操作期」「具体的操作期」「形式的操作期」と順にたどっていく。4歳半ばの孫は、ただいま「前操作期」のまっただなか。
 「となりのトトロ」のメイちゃんのように、くるくる好奇心の赴くまま、次々と気になることに熱中して他のものには目もくれない。いまは「アナと雪の女王」のエルサになりきって、ごっこ遊びに夢中。イメージの世界に生きている。

 まだまだ自分が考えていることは、みんなと同じだと思う「自己中心性」の段階だ。だからなかなか相手の考えがわからないこともある。

 「ゆいちゃん、考えるってどんなこと?」「うん、こうかなと思って違うときは、ちょっと横においておくの」。多分、お気に入りの教育テレビ「カラスは考える」の実験で、3つの選択肢から一つ選ぶのが「考える」ことだと思っているのか、AがだめならBかなと考えるように。あるいは「おさるのジョージ」が、できないことを、なんとか工夫してやってみるのを「考える」ことだと思っているフシもある。

 理科や工作が苦手で「リケジョ」ではない私は、そんなふうに「考える」ことが、なかなか結びつかない。もっと人の気持ちを考え、心の中であれこれと思いをめぐらせることも、「考える」ことの大事な一つだと。それを彼女に伝えるには、まだちょっと早いのかもしれない。

  それでも近頃、『ちいさいモモちゃん』(松谷みよ子)を読み聞かせると「モモちゃん」に感情移入して、物語の展開に笑ったり、怒ったり、心配したり、熱心に聴いている。「もっと読んで」とせがまれて、こちらがくたびれてしまうのだが。

 子どもの頃、弱虫だった私は毎日、近所の友だちに泣かされて帰ってきた。軒先でタライでゴシゴシ洗濯をしていた母に、「泣かされるより、泣かして帰ってきなさい」と、よく叱られたものだった。

  自分の子どもの頃や娘の小さいときのことは、もうすっかり忘れてしまったけれど、自分でものを考えられるようになったのは、いつの頃からだったかなと思う。
 私の考えていることと人が思っていることは「なんとなく違うな」と感じ始めた頃からだったような気がする。

 人は私と違うことを考えていると気づいたとき、自分の気持ちを人に伝えるにはどうしたらいいんだろうと思った。それには「ことば」と論理的な思考が必要なんだと、だんだんわかってきた。そして私の思いを伝えるには、相手の話に、よく耳を傾ける思慮や配慮がいるということも。

「わかってほしいは乞食の心」とは、リブの田中美津のことば。
 それは本当に「わかってほしい」人に何とか思いを伝えたいことの裏返しなのだ。
 私もかつて、まるで「畳を叩くように」、相手に思いを伝えようとしたことがあった。

  まず私と他者とは違うことをよく知ること、その上で互いにわかりあうためには「ことば」と「思考」が、その架け橋となるだろう。「ことばのキャッチボール」がうまくいくこともあれば、失敗に終わることもある。もちろん考えが未熟なこともある。

 でも諦めてはいけない。きっとわかりあえるときが、ある一瞬、訪れるに違いないと思うから。たとえそのあとすぐ、雪が溶けるように、はかなく消えてしまったとしても。

 映画「ハンナ・アーレント」を見た。彼女はアイヒマンの裁判を傍聴して、思考力を失った人間が、命ぜられるまま職務を忠実に遂行していく恐ろしさを深く知る。そしてアイヒマンを裁くことの虚しさを書く。そのためにユダヤの人々から反発を受け、孤立無援に立たされることになるのだが。しかし映画のラストシーンは、タバコの煙をくゆらせながら語る、彼女の「ことば」の一つひとつが、強い意思と確かな思考力に満ちていて、決して揺らぐことがないことを描いていた。

 パリの女友だちからメールが届いた。難問を抱えてしばらく臥せっていたけど、ようやく元気になったらしい。

「ひとは宇宙における太陽のように、それぞれ体の中に燃える生命のエネルギーの塊を持ち合わせていて、それが燃えている限り生きていて燃え尽きると死ぬ。昔、あなたとの10代最後の日々、ふと心に浮かんだ結論でした。その後、この解決のついた命題は何十年も忘れていました。それを突然思い出しました。今もあの結論は正しいと認識します。エネルギーの塊は小さくなりました、でも同じ質量の炎で燃えています。何十年かして再びこのことばが蘇ったとき、あなたが近い軌道上にいるという不思議を思います」。

 意気地なしの私は、アーレントのように、パリの女友だちのように強くはないけれど、生命の炎がまだ燃えているうちは、「考えること」を、ずっと忘れずにいたいと思う。
 そして未来に向かって太陽を輝かせていく孫娘には、これからの長い、長い「思考の旅」を、しっかりと歩いていってほしいと願う。

 「旅は道草」は毎月20日に掲載の予定です。これまでの記事は、こちらからどうぞ。

カテゴリー:旅は道草

タグ:子育て / やぎみね / ハンナ・アーレント