2012.08.17 Fri
レスカ=レスポンス・カード
書評セッションへの参加者の反応です。
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母と娘の問題は、自分が団塊母となってから、また自分の実母が認知症のため少女のようになってしまってから、あまり自分の問題としては切迫したものではなくなりました。つまりは、ドンカンな母として生きているためで、娘との交流もそれほどなくなってしまいました。
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私としては、ギリギリ自分の力で生活し、失敗をくりかえしながらも娘と闘った日々を持ち、自分のささやかな人生を切りひらいてきたので、それでいいかなと思っているところです。時々、自己省察をきちんとしていくことが必要だなと感じました。ありがとうございました。
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母-息子の方がより難しい…というのは本当なのだろうか、と思いました。『女ぎらい』にありましたが、母-娘は「息子化した娘」への期待と娘への期待の二重のプレッシャーになるし、娘が母となった(孫ができた)とき、より深いジレンマを生み出す気がします。
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個人的には、専業主婦だった母が、働く娘(自分)のために孫のケアをひきうけると、「母親ができるだけかかわるべき」という規範をめぐって「専業主婦の母の成果物であるべき自分」が反論すると自分に矢が向かってくる難しさを覚えています。
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(母ひとり)娘ひとりの関係が想定されているように思いましたが、娘が複数いる場合はどうでしょうか。
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私が出会った息子(介護者)の中には同性きょうだい(他の息子たち)のことにふれて「なぜ(彼らでなく)自分を(親は)選んだのか、的なことを言う人がずいぶんいました。(それは姉妹もいる息子たちも同じでした。比べられるのは常に同性きょうだいなのです)
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人は時代の中で生きていく、又は時代に洗脳されて生きていく。と私は思っています。戦時中の「子供は国の宝」からはなれ、今は有難いことに「個」で生きられる時代だと認識しています。
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ただ個人が、強く生きられる人と、同じように私が生んだ子供は私の物(専有物)と考える人がいるのではないでしょうか?
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私自身はある時、夫の背中から世間を見ることを止め個人の感じ方で生きたいと思いました。熊坂さんと同じような場面を経て、今ここにいます。
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本日はありがとうございました。熊坂さんに励まされました。杵渕さんのレジュメ、じっくり読ませていただきます。「理論」←→「現場・実際」
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双方のゆききで多くの人々…って、ますは私自身救われてきました。にじりにじり日々感じる絶望的なこの人生・世の中でも甘ったるいくさい言葉でも、希望を見いだして生きてゆきたいです。
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報告もおもしろかったのですが、その後の質疑応答がたいへん活発で面白かったです。
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「母と娘」の問題以上に「母と息子」の関係について考えさせられた。今度育児本を作ることになったので、これらの視点をうまく盛り込んだものにしていきたいと思う。興味深い議論になったと思います。
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よかれと思って、が人の迷惑になる。男の人は余計しんどいらしい、ということがあるというのを知った。
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「母」のことで悩める人たちは、基本「優しい女性」なのだろうなぁと、冷血な自分は思いました。
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父の影のうすさが、致命的だと思いました。母の息子たちの話を聞いてみたいと思います。幸せだと思っていそうだけど。
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本当にこんなことを話してくれるの?!! ☆と、信じられないくらいうれしいです。ここを突破できれば軽くなれる、なんでもできる気がします。
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「娘」という年季の長さから考えればやはり発表順は逆の方がよかったのではないでしょうか。
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杵渕さんのまっすぐなエネルギーはとてもよく伝わってきただけに、熊坂さんの円熟した発表を後ろにした方が効果的だったような。でも、どちらも聴き応えがありました。ありがとうございました。
- 毎回、濃密な二人です。お話を伺うほど興味がわくとともに、疑問も増えていきます。身の回りで何ができるか、持ち帰ってじっくり考えます。
第8回上野ゼミ
日時:6月29日(金) 18時~20時
場所:三鷹YWCA 3階会議室
書評セッション
信田さよ子『さよなら、お母さん: 墓守娘が決断する時』春秋社 (2011/10/17)
コメンテーター:熊坂礼子・杵渕里果 司会:山口寿美
著者・信田さよ子さんをお招きしての書評セッションでした。