2013.04.11 Thu
ううむ、ご予約投稿しておいたのにうまくいかぬ。時期遅れになりましたが、ブログを更新。
3/17日は「うちの実家」@新潟の解散記念集会。先月お訪ねしてきました、そのご報告をお裾分け。「うちの実家」10周年の写真集には、うえのが93歳のおばあちゃまにあろうことか、「疲れてるんだねえ」と肩もみしてもらってる写真まで載りました!
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「先週、新潟のうちの実家へ行ってきました」…というと、あら、新潟のご出身でしたか、という反応が返ってくる。いや、「うちの実家」というのは、新潟市内にあるコミュニティ・カフェの草分け、知る人ぞ知る、97年に河田珪子さんが開設した「まちの居場所」だ。コミュニティ・カフェというよくわからないカタカナことばを使わなくても、「まちの縁側」「地域の茶の間」といった愛称で親しまれている、誰にでも開かれた「居場所」のことである。
はじめて「うちの実家」という名前を聞いたとき、そのネーミングのうまさにうなった。わたしの出身は金沢、新潟とは地続きの北陸である。北陸の女にとっては、「うちの実家」ということばはストンと腑におちる。なぜって女にとって嫁いだ婚家は職場。しかも姑(しゅうとめ)という監視つきの24時間勤務の場である。その女がこの世の中で唯一、心からくつろげる場所が、盆暮れに帰るうちの実家。河田さんは、誰彼なしに「うちの実家へいらっしゃいませんか?」と声をかける。家にひとりでいる年寄りに。ひきこもりの青年に。自殺未遂で半身不随になった娘さんに。車椅子の障害者に。「うちの実家へいらっしゃいませんか?」というだけで、説明抜きにこころは通じる。
平屋建ての古い一軒家。玄関は真冬でも開け放してある。そこにさまざまなひとが寄り集う。とりたてて何かをするわけではない。ただ共にいて、お茶を飲む。そしてごはんを食べる。いっしょにごはんを食べたら、その時だけでも「家族」。手作りのお総菜を地域の女性たちが交替で用意する。制度の縛りがキライだから、介護保険制度にはのらない。利用料はひとり300円、昼食代が300円。もちろんそれだけでは足りないからあとは寄付を集める。
ひとが共にいることになんの理由もいらない、ということが、そこにいるひとたちに互いに伝わる。
その「うちの実家」が3月末で閉じる!え、なんで、何かあったの?と思ったら、種まきをして地域の居場所を増やしてきました、「うちの実家」の役割は終わりました、というお返事。幕の引き方もおみごと。残り少ない時間を惜しんで、全国から連日訪問者が訪れる。わたしもそのひとり。河田さんはしみじみ言う…「うちの実家がなくなるって、こういう気分のものなんでしょうか」
2月20日に立命館大学で「まちの居場所シンポ」が開催された。京都にもユニークな活動で知られる「まちの居場所」がいくつもある。丹羽國子さんの「まちの学び舎ハルハウス」、NPO「京都カラスマ大学」など。「うちの実家」がうらやましいなあ、と思ったら、自分の足もとで種を蒔いて育てることだ。京都には全国にもまれな中間支援組織、「つながるKYOTOプロジェクト」がある。民間の共助けを、行政が邪魔立てしないで応援する。そんなしくみがあったら、「まちの居場所」はそこにもここにもいくつも育つだろう。(京都新聞「現代のことば」2013.3.5付け)
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