2015年夏国会前

京都新聞は保守的な新聞だと思っていたら、元旦特集に、わたしのこんなエッセイを載せてくれた。2015年夏の国会前の写真と共に。2016年元旦の新聞紙面に国会前デモの映像が載るだけでもうれしい。以下は本文をご紹介。
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主権者になる(「京都新聞」2016年1月1日)

 2015年夏は、歴史に残る夏になった。国会前に老いも若きも寄り集って、「民主主義ってなんだ?」「これだ!」と声を挙げた。政府が国会に提出した安全保障関連法案を「憲法違反」と学者が断言し、「立憲主義」という教科書にしか出てこない用語が、多くの人に拡がった。憲法は主権者が権力を縛るための最上位の法。政府に「言うこときかせる番だ、オレたちが」というSEALDsの若者のコールが、まんま「立憲主義」をずばり、説明していた。普段そんなことをしない学者たちが立ち上がり、学生と行動を共にした。民主主義は国会の中にはなかったかもしれないが、国会の外には確実にあった。審議が長引けば長引くほど、「国民の理解が進まない」のではなく、反対に国民の理解が進んで、国会前に出てくる人たちが増えた。それを全国で見ていた人たちも、各地でいろいろなアクションを起こした。

2015年夏、名古屋でスタンディングアピール

 SEALDsの奥田愛基くんと話したとき、彼はこう言った。
「ボクら、18歳で原発事故を経験してるんです」
 あの事故はボディブローのように若者に響いている。
 今年から18歳選挙権が施行される。今の18歳は、多感な思春期のときに、「この世の終わり」のような大震災と原発事故とを経験した。そして、この世が終わっても、生きていかなければならないと感じている。あの敗戦を、何歳で経験したかがその後の日本人のふるまいを決めたように、「第二の敗戦」と呼ばれるあの原発事故を何歳で経験したかが、その人のこれからにきっと影響するにちがいない。
 いま時の大学生は新聞を読まないが、もしかしたら中高生のほうが、新聞を読む割合が高そうだ。というのは今や宅配される新聞は、親が読むのを子どもも読んでいるにすぎないからだ。下宿している学生には新聞購読の余裕はない。それなら今夏の報道を見ていた18歳の若者たちのほうが、もう黙っていられない、と思っているかもしれない。
 18歳投票権を決めたとき。政治家たちはおそらく若者たちを侮っていたはずだ。だが、高校や中学で「主権者教育」が求められるようになり、政治に関心を持つ若者が増えれば、思惑違いが起きる可能性もある。
 円安も、環境破壊も、積み重なる借金も、子育ての困難も、年金の崩壊も、老後への不安も、すべてキミたちがいずれツケを払わされる。こんな世の中を手渡すことになってごめんね、と心から謝りたい気持ちだが、若者たちが「主権者になる」選択をしてくれたら...と期待したい。