NPO法人和歌山eかんぱにいでは、WANの助成を受けて2015年11月3日に開催した、ドキュメンタリー映画「何を怖れる フェミニズムを生きた女たち」上映会にあわせて、感想文コンテストを実施しました。
応募者のなかから最優秀賞に選ばれた落合彩矢(おちあい あや)さんの感想文です。
2016年1月に感想文コンテスト受賞者表彰式を行い、記念講演「男女共同参画の現在(いま)と未来(これから)」と題し、和歌山県男女共同参画センター〝りぃぶる〝所長、山中浩子さんから、男女共同参画の現状や課題、今後の展望についてご講演もいただきました。
落合彩矢さんの感想文を下記に紹介します。
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私はフェミニズムを考えるドキュメンタリー映画は観たことがありませんでした。
心のどこかにフェミニズムという言葉は古臭い気もしていたし、
もうそのようなことを強く発言することは必要ないのではないだろうかと思っていた。
しかし、今回映画を観ようと思ったきっかけはFacebookの告知を見て、
『何を怖れる』というタイトルに引っ掛かったことでした。
私が生まれる4年前の1970年に日本で初めてウーマンリブの大会が東京で開催され、
そのおかげで私たちの世代は、そこそこ男女平等という言葉が浸透していたし、
働き出した頃には、女性に総合職という仕事を与える会社も増えてきたような時代だった。
しかし、逆にそういう状況や言葉が何か自分にブレーキをかけている気もしていた。
共生社会とは言われてはいるけれど、世間体や家庭ではそうでなかったり、
「最近の女性は強いからね」という言葉でくくられたり、
女性が社会で生きることがしんどくなる状況に何か違和感を持っていました。
私は何かに怖れこの違和感を持っているのか?
そして日本を代表するフェミニストたちがこれまでに何を力としていたのか?
これを乗り越えてきたのかと、興味を持って観ました。
この時代の人たちは、不自由さから社会へ怒りをもって、ウーマンリブを必死に生きてきたのでしょう。その中で時には過激なこともあったのかもしれません。中でも上野さんの「非常時のときほど、ジェンダー格差が際立つ」とおっしゃっていたことに考えさせられました。物に溢れ、心が満たされている時は、ジェンダーの視点に気付きにくくなっているのでしょう。私もそれだったのかもしれません。現在の制度という仕組みがあるにも関わらず、それから長い年月が経っているのに今でもジェンダー格差についての根本は変わらない現状。女性が仕事に主体的にかかわると家事や育児の時間が削られる。それがしたくないわけではないけれども、身体に制限があったり、自分のための時間が削られたり。例えば、出産などのライフイベントによって、行動を制限されることがある。そんな中で、おそらく女性が持つ考えが自然とゆがんでくる場合もあるのでしょう。自分自身の自由を手放して、家族のために生きるという選択をし、それが平気な場合もあるでしょう。
しかし、この違和感に日常で気付けないと、いざというときにはなおさら考えられないだろう。日常からジェンダーの視点を持つという大切さも感じました。この前、映画を観るまでは、正直傍観者でした。しかし、あの映画を見たことがきっかけで今後のやりたいことが明確になりました。「働くことを手放さないこと」と「弱者に対する想像力を持つこと」を大事にして、誰一人置き去りにされない社会をつくりたい。私も女性の強みで繋がれるものに情熱を注ぎたいと思いました。この映画はとても勉強になるものとなりました。きっかけを与えてくれたことに感謝しています。
■ 落合彩矢 ■