高良留美子さんが創設した女性文化賞、20年続いて今年20回目で終了することになりました。
第20回受賞式のご案内を。
受賞者は森川真智子さん。
受賞式の案内はこちら。
私財を投じての20年の貢献に対して、高良さんへの感謝状も。
この志を継いでくださる方は、との呼びかけに応えたのは、「らいてうの会」の代表、米田佐代子さん。
米田さんの引き継ぎの弁や、よし。高良さんと米田さんご本人のご了解を得て、以下にご紹介させていただきます。
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高良留美子さんの「女性文化賞」を、わたしなりに引き継ぐことについて
2016年12月26日 米田佐代子
高良留美子さんが1997年に創設された「女性文化賞」に、わたしはかねてから惹かれていました。高良さん個人が創設された手づくりの賞であること、「文化の創造を通して志を発信している女性の文化創造者を励まし、支え、またこれまでのお仕事に感謝する」ことを目的としていること、その文化創造とは世に知られた文学や芸術作品だけではなく、無名の庶民女性が営む生活の中から紡ぎだされた人生への洞察や差別・偏見への鋭いまなざし、平和への思いなどが含みこまれているように感じたこと等々に共感したからです。
その「女性文化賞」を、20回を迎えた今年で最終回にするというお知らせをいただいたとき、最後に「この志を継いでくださる方を期待しています」と書かれていたことが、わたしの心に残りました。3日間考えた末、わたしは高良さんに、自分は高良さんの見識や力量には遠く及ばず、年齢的にも長期に継続することはできないと思うけれど、もしどなたか「志を継ぐ」のにふさわしい方が現われるまでの短い間でもよければ、わたしに引き継がせていただけるだろうか、と申し上げてしまいました。このユニークな「女性文化賞」の灯を一時的にも消したくない、と思ったのです。
高良さんは、わたしの僭越な申し出を快く受け止めてくださいました。個人の手づくりであること、「女性文化の創造者」を対象にすること以外に、何も条件はありませんでした。わたしは今、82歳です。わたしがこの賞のために働ける時間はわずかしかありません。もっと若い世代の方が引き継いでくださる可能性を信じ、生きていたらの話ですがさしあたり6年間、88歳になるまで続けてみようと思います。「ワンポイントリリーフ」の役割しか果たせないことを申し訳ないと思いますが、お許しください。
わたしは、平塚らいてうを研究していますが、らいてうは思ったことをかならずやってみる人でした。彼女が年下の青年奥村博史を愛して法律によらない結婚を実行したとき、この愛がどこへ向かうかは自分にも分らないが「一つ行き着くところまで行ってみよう」と書いています。今回のわたしの選択にも当てはまる言葉のような気がします。わたしなりに「行き着くところまで」歩いて行ってみようと思います。どうか、よろしくお願い申し上げます。
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過去の受賞者です。データをすべてご提供いただきました高良さんに感謝です。
女性文化賞の受賞者(業績は主に受賞までのものです)
第1回 1997年 渡辺みえこさん(東京) 詩人・画家・評論家
女性との解放運動を仲間たちと共に行い、そのなかで創作活動をつづけてきた。
現在も表現を追求して止まないアーティストとして活動している。詩集『喉』(思潮社、1985年)、『女のいない死の楽園――供儀の身体・三島由紀夫』(発行=パンドラ、発売=現代書館、1997年)ほか詩集多数)
第1回女性文化賞を受けて 渡辺みえこ
私は、第1回女性文化賞を受け、その後常にこの賞に励まされ支えられてきました。私にとってこの賞は、生きること、命を支えるためのエッセンスとなるようなものでした。
高良さんもいのちと女性たちの連帯のための古代研究や反原発の書をまとめ、部落解放文学賞の詩の選考や詩集編纂にも携わってきたことから、も社会的、歴史的な中でとらえています。高良さんのこんな被傷性を帯びた心の由来が近著で少し納得できたようにも思えます。十八歳で死去された妹さんの軌跡を記録的に書かれた『誕生を待つ命 母と娘の愛と相克』(自然食通信社 2016年)には、高良さんの原点が見える思いです。
第2回 1998年 安里英子さん(沖縄) フリーライター
著書『揺れる聖域』(琉球タイムス、1991年)において、沖縄と琉球弧の現実世界をこれまで表面に表れにくかった女性の目で見、女性の声で語っている。
1948年那覇市生まれ。来年三月には『琉球弧の精神世界』(御茶の水書房)を刊行予定。
第3回 1999年 富永千恵子さん(東京) 作家
長編小説『太平洋戦争中の花子の日記』を女性の同人雑誌『竪琴』に連載。太平洋戦争中の暗い時代を背景にして、小学校三年生の花子の少女時代が、柔らかな筆致で描かれている。女性の自伝的小説は欧米では盛んに創作され、劇化されてテレビなどでも放映されているが、日本ではその機運がなぜか盛り上がらず、既成作家による“代弁”的作品が多いようだが、この小説は久々に見る本格的でしかも多くの人に伝わる女性の自伝的小説である。受賞後『花子の倒産日記』を同誌に連載。
第4回 2000年 浜野佐知さん(徳島) 映画監督
映画『第七官界彷徨――尾崎翠を探して』を自主制作し、〈幻の作家〉尾崎翠の謎に包まれた人生と代表作『第七官界彷徨』の世界を同時に映像化することで、尾崎の生き方と作品世界が時間と空間を越えて、現代のジェンダー社会に強い発信力をもっていることを明らかにした。この映画は国際的にも注目され、12月にパリで開かれる『日仏女性研究シンポシウム・権力と女性表象――日本の女性たちが発言する』で上映と講演の予定。
1948年徳島県生まれ、高校卒業後映画監督を志してこの世界に飛びこんだ。受賞後『百合祭』を制作。
第5回 2001年 坂田千鶴子さん(名古屋) 日本文学研究家
『よみがえる浦島伝説』(新曜社、2000年)のなかで、日本人の誰もが知っている浦島伝説をとりあげ、8世紀の『丹後風土記』逸文から今日の教科書や絵本までのあいだに、原初にあった大らかな恋物語がどんなふうに消し去られ、変質させられていったかを、国家の成立状況ともからみあわせて大きなスケールで詳細に論じている。
日本文学研究家で1942年生まれ。東京大学修士課程修了。現在は東邦学園短期大学教授。共著に『女が読む近代日本文学――フェミニズム批評の試み』(新曜社、1992年)と『男性作家を読む――フェミニズム批評の成熟へ』(同、1994年)がある。
第6回 2002年 チカップ美恵子さん(札幌) アイヌ文様刺繍家・エッセイスト
アイヌ文様の刺繍によってアイヌ民族の女性に伝わる創造的魂を現代に甦らせると同時に、自然とともに生きてきたその文化の価値をしなやかで美しい言葉で表現し、人間の生き方と未来の文明のあり方を示唆している。
1948年北海道釧路市生まれ。内外各地で刺繍展を開く一方、講演や執筆などでアイヌ民族の文化と人権を求めて活動している。著書に『風のめぐみ』(御茶の水書房)、『アイヌ文様刺繍のこころ』(岩波ブックレット)、アイヌモシリの風』(日本放送協会)、共著に『山姥たちの物語』(学芸書林)などがある。
第7回 2003年 鈴木郁子さん(群馬) フリーライター
1948年群馬県の被差別部落に生まれ、30代半ば、井上光晴の文学伝習所に学ぶ過程で”人間の自由”に目覚めた。1988年、第15回部落解放文学賞の小説部門に入賞。地域のジャーナリズムでも活躍。また地域の意識変革をめざして居住地の選挙に挑戦し、今秋初当選を果たした。近く明石書店からルポルタージュと資料集『タニシよ、生きたいだろうネ――八つ場(やんば)の半世紀・日本一の金喰いダム』を発行する予定。1988年、第15回部落解放文学賞受賞。『八ツ場ダム――足で歩いた現地ルポ』(明石書店)を準備中(すでに刊行)。
鈴木さんの言葉は、長い時間をかけ、痛みと悲しみを伴った差別の自覚の底から生まれている。部落差別が女性の身体のレベルにまで食いこみ、心身の自由な羽ばたきを妨げてきたことは、これまで表現もされず、問題にもされてこなかったことです。鈴木さんは同じ心で、ダム問題について多くのすぐれたエッセイを書いてきました。差別からの解放と地域の自覚、環境問題をつらぬく貴重な視座が、そこにはある。
第8回 2004年 田浪さん(東京) 中東のアラブ・パレスチナ社会の文化・文学の研究者
中東のアラブ・パレスチナ社会の文化・文学を研究している。評論やサイト上のブログから発信されるその観察と意見は、アラブ・パレスチナの文学と多言語環境への関心、生活者の感覚に支えられていて、わたしたちにアラブやパレスチナの問題を具体的な生活レベルから深く考えさせてくれる。現在イスラエルのハイファ大学に留学中(2005年12月帰国)
第9回 2005年 李修京さん(韓国) 日韓の歴史・文化の研究者
日韓社会の歴史・文化・文学研究をし、それを通して国際人権問題や平和学への手がかりを模索。生涯をかけて日韓交流に尽す覚悟をもっている。
1966年1月韓国のソウル市生まれで、立命館大学大学院社会学研究科博士課程を修了(社会学博士取得)後、山口県立大学助教授を勤め、現在、東京学芸大学人文社会科学系の助教授。大学では国際人権教育などを担当している。著書としては『帝国の峡間に生きた日韓文学者』(緑陰書房、2005)、『この一冊でわかる韓国語と韓国文化;総合韓国文化』(明石書店、2005)、『近代韓国の知識人と国際平和運動』(明石書店、2003)、共著に『クラルテ運動と『種蒔く人』(御茶の水書房、2000)、『近代韓国の知識人と国際平和運動』(明石書店、2003)、『帝国の狭間に生きた日韓文学者』(緑陰書房、2005)、共著に『クラルテ運動と「種まく人」』(御茶の水書房、2000)ほか。
第10回 2006年 小林とし子さん(東京) 日本古典文学研究家
近著『さすらい姫考――日本古典からたどる女の漂白』(2006年1月)において、日本の伝統的な物語や語り物のなかに家の成り立ちの女系から男系への転換を見出し、現代もつづくヒメたちのさすらいを語っている。『源氏物語』や『更科日記』、『鉢かづき』や中世の説教のなかから、わたしたち自身でもある女の生が立ち上がってくる。歌人でもある。
1954年大阪市生まれ。現在、大学の非常勤講師。著書としてはほかに歌集、共著の評論集がある。
第11回 2007年 『地に舟をこげ 在日女性文学』(発行所・在日女性文芸協会、発売元・社会評論社)
呉文子、高英梨、朴和美、朴民宜、李美子、李光江、山口文子さん7人の編集による。年一回発行で、最近第4号が発行された(第7号で終刊)。
第12回 2008年 河野信子さん(福岡) 女性史研究家
女性史、男女の関係史、家族論等。『闇を打つ鍬』(深夜叢書社、1970)以来『高群逸枝―霊能の女性史』(リプロポート、1990)等を経て近著まで著書多数。共編著に『女と男の時空――日本女性史再考』(全6巻、藤原書店)。
第13回 2009年 「らいてうの家」(長野)
らいてうの反戦平和の願いを受けつぎ実現するため、また地域の女性運動を掘り起こして次世代に伝えるために活発に活動している。なおこの土地は、世界連邦の運動に共鳴していたらいてうが、静かな山林に平和と協同の場作りを夢みて晩年に求めたものである。
第14回 2010年 堀場清子さん(東京) 詩人・女性史家
『高群逸枝』(朝日新聞社、1977)、高群逸枝著『娘巡礼紀』校訂(朝日選書、1979)、『わが高群逸枝』上・下(朝日新聞社、同)、『青鞜の時代―平塚らいてうと新しい女たち―』(岩波新書、1988)、『禁じられた原爆体験』(岩波書店、1995)、『高群逸枝の生涯/年譜と著作』(ドメス出版、2009)などの著書(一部共著)。詩集としては『じじい百態』(国文社、1974)ほか多数。1990年『イナグヤ ナナバチ/沖縄女性史を探る』(ドメス出版)により第5回「女性史青山なを賞」を、1993年詩集『首里』により日本現代詩人会から第11回「現代詩人賞」を受賞。
第15回 2011年 石川逸子さん(東京) 詩人・評論家
1982年にミニ通信「ヒロシマ・ナガサキを考える」誌を創刊し、三〇年間継続して、このたび一〇〇号で終刊されました。一九四五年八月、米軍によってヒロシマとナガサキに投下された原爆に関わる詩歌・証言・記録・手紙・評論など、執筆者は日本人だけでなく韓国人の被害者にも及び、さらに日本の侵略戦争の被害者の証言など、国籍を超えて広がっている。この通信がなかったら、永遠に埋もれてしまった経験が実に多いと思う。「歴史から冷厳に学ばないことが、今回のフクシマ原発事故にもつながるのでは?」(「あとがきに代えて」)という石川さんの言葉に深く共感する。
主な詩集『狼・私たち』(第11回H氏賞受賞)、『子どもと戦争』、『ヒロシマ連祷』、『千鳥ヶ淵へ行きましたか』(第11回地球賞受賞)、『ゆれる木槿花』、『砕かれた女たちへのレクイエム』、『ロンゲラップの海』、『石川逸子詩集』など。主な著書『「従軍慰安婦」にされた少女たち』、『ヒロシマ――死者たちの声』、『〈日本の戦争〉と詩人たち』、『オサヒト覚え書き』など。現在、在韓被爆者問題市民会議運営委員。
第16回 2012年 一条ふみさん(岩手) 文筆家
岩手県小鳥谷(こずや)に生まれ、小学生時代に綴り方教育運動の影響を受けた。単著に『淡き綿飴のために―戦時下北方農民層の記録』(ドメス出版、1976)、『永遠の農婦たち』(未来社、1978、品切れ)、『東北のおなごたち―境北巡礼者の幻想』(ドメス出版、1979)、『ふみさんの自分で治す草と野菜の常備薬』(自然食通信社、1998)。共著に『岩手のおなご先生』(明治図書、1969)、『日本の女―激動期の女人群像』(東出版、1972)。編著に『地底からのうた声―ふるさとは亡びない』(太平出版社、1974)、講座「農を生きる第4集」『女とむら』(三一書房)がある。
第17回 2013年 李寧煕(イ・ヨンヒ)さん(韓国) 作家
『もう一つの万葉集』(1989)、『天武と持統』(1990)、『日本語の真相(1991、共に文藝春秋社)など多数の著書と、雑誌『まなほ』86冊を通して、『万葉集』の多くの和歌を古代韓国語(新羅語・高句麗語・百済語)で解読し、そこに秘められた古代史の真実のドラマを再現する重要な手がかりを与えた。そのお仕事は多くの日本語の語源の探求や、『万葉集』から見いだされる事実と『源氏物語』との人脈的・内容的対応の発見にまで及んでいる。その業績は紀元前後の東アジアの動向にまで及ぶ深さと射程をもち、現在の観点からの善悪・優劣を超えて、日本古代史の研究や日本神話の解読に役立ちます。ナショナルな感情の範疇に矮小化してしまうには惜しい豊かさがある。
第18回 2014年 総合女性史学会
「総合女性史学会」は、歴史学研究において女性史研究が一般化しない状況が現在まで続くなかで、会員諸氏による地道な研究を続けてきた。とりわけ昨年の「日中韓女性史国際シンポシウム」等二つの国際学会(下記)を通じて、日本の女性史を東アジアの歴史と女性史のなかに位置づけ、比較・検討・評価することを可能にした。
〈国際シンポシウム〉「アジア女性史国際シンポシウム―多様性と共通性をさぐる」1996年3月16、17日 中央大学駿河台会館 *「日中韓女性史国際シンポシウム―女性史・ジェンダー史からみる東アジアの歴史像」2013年11月16、17日 青山学院大学
〈学会刊行物〉『日本女性史論集』全10巻、『史料にみる日本女性の歩み』『女性史と出会う』『女性官僚の歴史――古代女官から現代キャリアまで』(以上吉川弘文館)、『時代に生きた女たち―新・女性史通史』(朝日新聞出版)ほか。
第19回 2015年 清岳こうさん(仙台) 詩人・国語教師
2011年東日本大震災後、ボランティアスクール「ことばの移動教室」を主宰し、津波の幻聴や幻覚で心が不安定になった子ども達と共に詩を書く、詩を鑑賞する、詩を朗読する活動に取り組んだ。その詩を『宮城 震災子ども詩集』としてまとめ(中国語版も発行)、宮城、熊本、大分、高知、上海、杭州、台湾など各地の高校、大学を訪問・交流した。 さらにアンケート調査を実施し、その結果を日本教育学界で二回にわたり発表した。「一般の生徒が沈黙を深めていくなかで、詩を書く、鑑賞するとりくみに参加した生徒は、地震の記憶をより積極的に語ろう、残そうとする傾向を示した」という。
詩集に『町・車輌進入禁止』、『の食卓から』(第10回富田砕花賞受賞)、『風ふけば風』、『マグニチュード9・0』、『春 みちのく』、『風』ほか。1995年~99年高知県・アジアかけ橋の会会長、2010年宮城県芸術選奨。現在日本現代詩歌文学館振興会評議員、仙台文学館現代詩講座講師。
第20回 2016年 森川万智子さん(福岡) フリ―ライター
1992年から、韓国人の文玉珠(ムン・オクチュ)さんが連行された戦地ビルマで預けていた軍事郵便貯金の支払いを求める運動を展開した。95年からビルマの現地調査を始め、その間、文さんが問わず語りに話した「慰安婦」時代の体験を記録した。文さん没後の97~98年、ビルマ(ミャンマー)に15ヵ月間滞在し、200人以上の現地の人びとへの聞き取りと、慰安所とされた建物の調査を行った。
元「従軍慰安婦」だった女性たちの物語が、軍事郵便貯金原簿の写しや日本軍の正史ともいえる『戦史叢書』、ビルマ現地の日本軍兵補の思い出、慰安所関係者の当時の日記などで証明された例はきわめてまれで、貴重だ。記録のなかの、文さんの人間としての毅然とした姿が心にのこる。
著書に『文玉珠 ビルマ戦線 楯師団の「慰安婦」だった私』(1996年、梨の木舎)、『ビルマ(ミャンマー)に残る性暴力の傷跡』(1998年、自家版)、映像作品『ビルマに消えた「慰安婦」たち』(1999年、ビデオ塾)、『ビルマの日本軍「慰安婦」』(2000年)、『シュエダウンの物語』(2006年)。