2017年9月、新しいブログサイト、中国の女性とジェンダー(Women and Gender in China, WAGIC)が登場しました。ウェストミンスター大学中国文化学部の名誉教授であるハリエット・エヴァンスさんも寄稿しています。エヴァンスさんはウェストミンスター大学現代言語文化学部に現代中国センターの創立時センター長でもあります。彼女は日本の文化大革命を研究する研究者の間でも数十年前からよく知られています。文化大革命の専門家で社会学者の福岡愛子さんがエヴァンスさんとWAGICについてわたしたちに情報をよせてくださいました。アジア諸国のフェミニズム運動がどうにかつながらないだろうかということで。

そのほんの最初のステップとして、WAGICに寄せられたエヴァンスさんをはじめいくつかの記事をご紹介したいと思います。

エヴァンスさんの記事「国境を超える中国のフェミニズム―過去、現在、そして未来」は単なる中国のフェミニズムの歴史というわけではありません。そこで提案されているのはフェミニストたちが国際的に互いに連携しあい、異なる闘争をつなげていくということです。研究者で運動家のアンジェラ・デイヴィスさんも著作『自由とは絶えず闘うこと』の中で書いているそうです。

中国のフェミニズム運動は多次元の問題と困難な闘いに立ち向かってきました。フェミニズム運動に対する検閲はオンラインでもオフラインでも目立ってきました。フェミニズム運動家たちの世代間ギャップも広がり、全体が簡単にはつながれなくなってきています。政治背景や社会状況に応じて大きく世代は少なくとも3つのグループに分かれます。①「空の半分」型フェミニズム、②1980年代と90年代のフェミニズム、③最近の世代です。「空の半分」型は婦女連合会と関わりがあり、その運動は女性の解放と経済界、政界における女性のエンパワーメントに貢献してきました。その政治観は毛沢東時代の空気の影響を受けています。「国家フェミニズム」とも呼ばれます。

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中国の女性学のパイオニアとして知られる李小江教授は文化大革命がはじまったころまだ中学生でした。李教授の著作のひとつに秋山洋子さんが翻訳した『女に向かって―中国女性学をひらく』があります。李教授の理論と研究についてはWAGICの寄稿者で研究者リンダ・ピットウッドさんの記事「横顔―李小江」で読むことができます。李教授は「国家フェミニズム」を批判しつつ、初期の研究では女性たちは男らしさを身に付けてしまったから、だから中国の女性たちは欧米のフェミニズムとは異なる独自のフェミニズムを追求するべきであると主張しました。1980年代に書かれたこうした主張は本質主義的であるとか異性愛規範として批判されてきました。

最初の二つのグループに比べると都会の若い世代は自己達成や自己実現により価値をおいています。海外留学もめずらしくなくなりました。全世代から受け継いだ社会規範に疑問を呈する人たちもでてきました。「自己の目的を追求したい思いと親たちの意見を尊重したい思い」この二つの相反する欲求にさいなまれ、社会規範から逸脱したり社会の期待に応えられなかったりすることは容易ではありません。

最近の中国のフェミニズム運動家たちは独自のスタイルを持ち、国境をまたいでつながっていける可能性を表現してきました。運動家でフェミニスト・ファイブのメンバーでもある李麥子さんもWAGICに寄稿しています。記事では自分たちの行った運動について書いています。2012年に活動を始めてから2015年に逮捕、拘留されるまでの間、彼女たちは「主流メディアのスター」でした。SNSなどのメディアを効果的に使って大衆の目をひくことに成功しました。そのおかげで公共トイレデザイン基準が設けられたり、いくつかの大学では男女の入学基準が平等になりました。拘留事件は世界中のメディアで取り上げられましたが、彼女たちはそれを国際的に運動を広げるチャンスととらえ、世界の結束力を維持すべく運動を続けています。

                                                                                2017年6月に出版された『なぜジェンダー教育を大学でおこなうのか: 日本と海外の比較から考える』の中で、日本の若い研究者、熱田敬子さんが彼らの運動の概要をまとめています。ですから彼女たちに中国で何が起こって、いかに彼女たちが屈していないかが日本語でも読めます。彼女たち中国の行動派フェミニストたちは屈していません。WAGICが一つの証拠です。熱田さんが書いているように、彼女たちは沈黙に慣れたりしません。なぜなら「声を上げる手段は必ずある」のだから。これはわたしたちにとっては教訓です。そして彼女たちのメッセージを受け止めるフェミニストはここにもいます。

石河敦子

英語

なぜジェンダー教育を大学でおこなうのか: 日本と海外の比較から考える

著者:村田 晶子

青弓社( 2017-07-14 )