労働法律旬報1884号(2017年3月下旬号)

新たな労働時間法を ―生活時間アプローチの基本コンセプト
毛塚勝利 法政大学大学院客員教授

はじめに

 生活時間プロジェクトでは、長時間労働問題を労働者だけの問題ではなく国民的課題として位置づけてその解決に取り組む運動を展開しているが、同時に、新たな労働時間法の制定を求める立法構想の検討に着手している。そこで、ここでは生活時間プロジェクトがどのような労働時間法を求めようとしているのか、基本的な考え方を紹介し、読者の理解を求めるとともに、建設的な批判を仰ぎたい。なお、プロジェクトにおける議論は終結しているわけではなく、細部においては意見を異にする箇所も少なくない。本稿はプロジェクトにおける議論に依拠するものではあるが、あくまで筆者個人の責任において執筆するものである。

一 なぜ、生活時間アプローチか
 最初に、生活時間プロジェクト立ち上げの経緯を簡単にふりかえり、なぜ生活時間アプローチなのかを確認しておきたい。  第二次安倍政権が誕生して間もない二〇一三年六月、規制改革会議において、限定正社員制度、派遣法改正等とならび労働時間改革を雇用改革の柱として位置づけ、年収要件による労働時間規制の適用除外制度(いわゆる高度プロフェッショナル制度)の導入を打ち出したことに端を発する。賃金時間(賃金決定要素としての労働時間)に焦点を与えることで、負荷時間(肉体的精神的負荷のかかる時間)規制の免脱を意図する、問題のすりかえを明確にする必要があったからである。その際、仕事の裁量性を問うことなく年収要件のみで労働時間規制を外す制度を「残業代ゼロ法案」として批判することは、賃金時間の観点からの批判で必ずしも問題の本質をとらえるものではなく、それが「残業させ放題法案」であり、健康を阻害するのみならず、「生活時間」そのものを奪うことを明確にする必要があったからである。
 その際、現行労基法労働時間法制の限界をも明確にする必要があった。労働時間は、負荷時間や賃金時間であるとともに、その裏側をみれば、労働から解放された自由な時間を左右する。そして、この自由時間には、労働者の家庭生活や社会生活を左右する生活時間も含まれている。さらに、労働市場レベルでは雇用量に影響をあたえる雇用時間でもある。このように労働時間は多面的性格をもつが、現行法制は、もっぱら負荷時間を対象にした実労働時間規制を中心にしている。そのため拘束時間の規制を欠いているほか、最長労働時間や休息時間の規制を欠き、自由時間の保障として欠陥を有していることは、かねてから指摘されてきたことである。かかる欠陥は、この自由時間のなかに、労働者の健康の維持に不可欠な睡眠時間のほかに、労働者の家庭生活や社会生活を左右する「生活時間」が含まれていることを意識してこなかったことによるとすれば、それを顕在化する必要があったからである。
 また、なによりも、長時間労働問題の解決には、労働者や労働組合等の意識の変革が必要との認識があった。いうまでもなく、時間外労働は、使用者が一方的に命じるわけではなく、過半数組合や過半数代表者との労使協定の締結と労働者の「同意」を前提にして行なわれている。労働者自身が時間外労働をよしとして受け入れているということである。上司の有無を言わせぬ命令であれ、自分がやらないと仕事がまわらないとする責任感であれ、あるいは、家計収入を補うためであれ、この二〇年間時短がなんら進展しなかったのは労働者や労働組合が、労働時間はあくまで個人の問題として捉え、生活時間の確保が市民としての責務であること(労働時間の公共的性格)の認識を欠落させていたことに起因すると思われたからである。
 そして、最後に、現行法の労基法労働時間法制は、工場法以来の工場労働モデルの「時代おくれ」労働時間法制といわれながら、これに代替しうる労働時間法の考え方はこれまで示されてこなかったからである。情報通信技術の発達は、企業組織に包摂されない労働(非雇用労働)と生活空間を共有しない労働(非事業場労働)の増大をもたらすが、現行法のように企業組織に包摂され、生活空間を共有する労働のみを対象とし、もっぱら肉体的精神的負荷の増大の防止に主眼をおく現行労働時間法制で対応するのが困難であることは明らかである。生活時間アプローチは、かかる産業構造の変化と情報通信技術の進展による働き方の変化に対応する新時代の労働時間法の視座をも提供しうる。健康・生活・賃金・雇用の労働時間のすべての要素を視野に入れながら、したがってまた、その公共的性格をもふまえて労働時間規制を考えるものだからである。


二 労働時間法の基本的考え方

 では、生活時間アプローチは、どのような労働時間法を求めることになるのか。その基本的考え方を見ておこう。

(生活時間の確保を基軸に据える)
 まず、第一に、新しい労働時間法は、生活時間の確保を基軸に据えなければならない。労働時間の法的規制の目的は労働過程における肉体的精神的負荷の増大による健康や安全の阻害を防止することにあるだけではなく、労働者の生活時間、とりわけ家族生活・社会生活のために時間を確保するためにある。既述のように、現行法が、負荷時間の観点から実労働時間規制が中心となり、拘束時間の規制を欠いていることや、休息時間の確保の規制は欠くなど、自由時間の確保それ自体は十分なものとはいえなかったことをふまえ、新しい労働時間法は、労働時間以外の時間を単に自由時間とするのではなく、家庭生活や社会生活を営む時間を含む生活時間として捉え、その確保を労働時間法の基軸とするものである。

(労働時間規制の公共的性格をふまえる)
 第二に、新しい労働時間法が生活時間の確保を基軸に据えるということは、生活時間の公共的性格をふまえるということである。生活時間には睡眠時間のように労働者の健康を維持するうえで不可欠な時間や趣味や自己啓発にあてる時間も含まれるが、家族とともに過ごす時間や地域の人々とともに過ごす時間が含まれている。かかる時間は、ひとり労働者個人の問題ではなく、現代社会における家族生活や地域生活のあり方を規定する公共的性格をもつ。そして、家族生活において育児や介護にかかわることや社会生活において地域の祭りやボランティアに関与することは、労働者の市民としての責務でもある。
 生活時間のなかでは家族責任を果たす時間が中心的位置を占めるが、その時間は無償労働であるとともに、ジェンダー・バイアスがかかっていることが特色である。それゆえ、生活時間の確保を基軸に据えることは、労働時間規制にあっては、有償労働・無償労働のいかんを問わず、ジェンダー・バイアスの是正が追求されねばならない。
 なお、労働時間規制の公共的性格は雇用時間にもいえるが、とくに生活時間についてはステークホルダーの社会的モニタリングが不可欠となる(後述)。

(労働時間の多面的性格を見据えた総合的規制)
 第三に、新しい労働時間法が、生活時間を視野に入れそれを基軸として規制することは、もちろん、労働者の肉体的精神的負荷の増大を防止する負荷時間の規制を不要とするものでも軽視するものでもない。労働時間がもつ、負荷時間、賃金時間、生活時間の三つの側面を視野に入れて総合的な法的規制を行なうことである。裁量労働等、賃金が労働時間の数量によって左右されない賃金制度を志向することを否定するものではないが、賃金時間の規制緩和が負荷時間・生活時間に関する規制の緩和や解除の議論と連動してはならない。賃金と労働時間との牽連性が切断されても、負荷時間の増大や生活時間の侵害の防止が求められること、使用者の負荷時間の増大防止と生活時間の確保義務は残存することが確認されなければならない。
 長時間労働は正規雇用労働者だけの問題ではない。所得格差が拡大するなか非正規労働者の副業・兼業的就労による長時間労働の拡大が想定される。非正規労働者の長時間労働を防止し、生活時間の確保を可能にするためには、最低賃金の引き上げとともに、使用者による意図的な労働時間の細分化(ミニ・ジョブ化)を防止することも必要となる。換言すれば、賃金時間の規制も重要性を増しているということにほかならい。労働時間規制の規範的根拠を生存権保障に求めるとすれば、賃金時間を視野に入れることは整合性があるし、今後の非正規就業の拡大を考えると不可欠でもある。

三 労働時間規制の主な内容

1 生活主権=時間主権
 労働時間法は、労働者の負荷時間の増大による健康や安全を阻害することを防止するだけでなく、労働者の生活時間を確保することをも目的とするものであるから、労働者個々人のライフ・スタイルやライフ・ステージにおける生活の特性にそって生活時間を確保できるものでなければならない。……

「特集 新しい労働時間法―生活時間法の制定に向けて」労働法律旬報1884号(2017年)より