フェアリーテール(おとぎ話)と名のついた梅紫色に白の縞のあるミニゼブラ茄子、甘いセロリのようなステッキオ、茎が牡丹色・藤色・萌黄色と色合いが織りなすホウレン草の仲間スイスチャード、鮮やかな赤みの黄色で肉やチーズを詰めてフリットにするズッキーニの花、表面が紅色で包まれ切ると紅白の輪模様が美しい蕪のような形のゴルゴなど、見たこともない美しい彩の野菜たち。
 その数、60種類もある。
 地元にあるフレンチ・イタリアンなどの飲食店に、直接、流通業者の手で届けられ料理に登場する。スープ、バーニャカウダ、パスタ、ピザから、さまざまな料理に彩り豊かな地元産の新鮮な野菜たちが食卓を飾る。その鮮やかなこと。
 これらは埼玉県さいたま市の11名の若手農家グループ「農事組合法人FENNEL(フェンネル)」が生産をする野菜たちだ。

 



農家・種苗会社・レストラン・食品流通業者が連携

 さいたま市では、野菜の生産者、レストラン、種を持つ種苗会社、野菜をレストランに運ぶ食品流通業者などをつなぎ、飲食店に新たなメニュー展開を創り、農業の新しい形を生み出した。その推進役を担ってきたのが「さいたまヨーロッパ野菜研究会」。
 この仕組みがよくできている。レストランが欲しい野菜を農家に栽培をしてもらう。種はさいたま市のトキタ種苗が提供する。レストランには農家にきてもらい野菜がどんな料理や味わいになるのかを知ってもらう。シェフは農家へ行き野菜がどうやって栽培され、どの時期の生育のものが料理に向くのかを学ぶ。
 こうしてレストランが求める野菜を農家が生産をする。
 埼玉県内の食品流通業者が飲食店から注文をとり、農家から野菜をうけとり、それを直接オーダーがあったレストランに運ぶ。
 野菜の集荷場はJAから借りる。そこに農家が野菜を運べば、流通業者が受け取り飲食店に配送されるというわけだ。

福田裕子さん

レストランが欲しい野菜を生産者が栽培
 レストランのニーズにあった野菜を独自に栽培する。その野菜の値段は農家の経営が成り立つ価格を設定して、継続や雇用に結びつくようにする。
 この仕組みが生まれたのが2013年。いまでは、フレンチ、イタリアンだけではなく、居酒屋や寿司屋など、1200軒以上の飲食店がヨーロッパ野菜を取り入れるようになり飛躍的に伸びた。
 その仲立ちと会の事務局を担当するのが福田裕子さん。彼女は、中小企業支援をする公益財団法人さいたま市産業創造財団の職員。中小企業診断士でもある。しかも自ら貸し農園を借りて野菜を栽培し、料理も作り、フェイスブックにアップもする。
 農業支援を行うようになったのは3・11がきっかけだった。市から東北の経済的支援ができないかということで、さいたま市の飲食業・食品関係者を紹介し、東北の産地をつなげようと青森県鰺ヶ沢町に3年間通った。東北には素晴らしい素材がある。しかし、現地に流通のキーマンがいないと、なかなかうまくいかないということを痛感させられたという。

 そのあと、市と上司から相談されたのが、さいたま市の農業を活性化させたいという話だった。高齢化が進み、後継者も少なくなっていて、遊休農地が増えていたからだ。東北支援の関係で飲食店関係者の伝手も多くできていた。そこで相談をしたのが、さいたま市でイタリアンレストラン4店を経営するソムリエの北康信さん。北さんは、現在、さいたまヨーロッパ野菜研究会会長でもある。


種苗会社と農家の連携を試みるも最初はうまくいかず

 「北さんに地元の野菜を使ってますかと聞いたら、使っていると。1軒1軒農家に買いにいっていると。しかし農家がいつやめるかわからない。採れる量も不安定。作ってほしい野菜を契約でといってもレストランで使う量は多くないし限られているから難しい。農家が作ったものを使うというのはプロダクトアウト(生産側が作ったものを売ること)ですよね。これをマーケットイン(消費者ニーズにあったものを販売すること)にするには、どうしたらいいかと考えました。地元のレストランが欲しい野菜を共同で作り、それを地域内で流通させればコストもかからない。それなりの高い値段で売れるのではないか。それを関係者に提案をしました。
 最初は農商工連携ということでした。さいたま市には農業の部署・農業政策課がある。そちらに農業をめんどうみてもらいましょうと。卸しとかレストランは、産業創造財団でサポートしましょうということで始まりました」
 「研究会を創ろうということで、イタリア野菜の勉強会を始めた。農業政策課に多くの若い農家さんを集めてもらった。こういう野菜のニーズがある。それが1個1000円もするんだとかね。どうですか、栽培してみませんか。トキタ種苗さんにサンプルの種を渡してもらって、種を蒔いたら連絡してくださいねと話しました。
 ところが春になっても、夏になっても、農業政策課から連絡がない。しびれを切らして、私と、会長と、種苗会社さんと、農家に直接行くことにしたんです(笑)」

 「実際に農家の現場に行ってわかったことは、年配の方は今まで作ってきて安定的に売れているものがあるなかで、本当に売れるかどうかわからない、リスクのあるものは、今から新たに作りたがらない。ただ若い人は、親の農業を継いだばかりの人が多く、これから10年、20年、30年、小松菜、ネギを作り続けるわけにいかないだろうと。これから作る野菜は、なんだろうと探し続けていたんですね。部活動でいいから、ちょっと少しでもいいから試しに作ってみようと。2013年秋から本格的な収穫が始まった。最初の1年目の出荷農家は4人でした」

 さいたま市がトキタ種苗に委託費用として約150万円を出した。指導料と種代に使われた。ところが最初の1年は、初めて試みる栽培ということもあり、ほとんどうまくいかなかったという。栽培ができて、最初はレストランが農家に直接に出向く購入スタイルだった。しかし、農家に来てもらうと、販売に手間がとられ農作業の時間をとられる。レストラン側も手間と時間がかかる。そこで、地元の青果卸を紹介して、そこで扱ってもらうことにした。ところが量が少ない。品目が多い。収穫できたりできなかったりで、レストランのメニューに入れにくい。大量に売れるものではなかったことから、青果卸から手を引きたいということとなった。



地元にあった食品流通会社が大きな力となる
 「『このままではダメだ。さいたま市で、いちばん飲食店を回っている会社はどこだろう?』と悩んでいたところ、うちの北会長がこう考えました。『レストランに冷凍食品や酒、調味料など運んでいる関東食糧さんがある。トラック50台を持っていてレストランに配達をしている。取引先が1万軒くらいある。そこに頼んでみよう』。北さんのレストランとは当時取引がなかったけど、関東食糧さんなら、取引をしてもらえるかもしれない。それが2014年。そしてお願いしたら、なんと、いきなり400軒の販売先を作ってくださった。なんだこの会社すごいとなった」

 最初、関東食糧はレストランから事前注文のあった数だけを農家に発注していた。しかし、なかなかレストランからの注文が伸びず、余った野菜が畑でどんどん腐っていった。悲しいと農家がフェイスブックに畑の写真をアップした。それを観た関東食糧の社長が、すべて買い取るようにと部下に指示をだしてくださったという。それをサンプルとしてレストランに配布し、食べ方を説明し、新たな需要開拓をしてくださったのだという。そこから売り上げが飛躍的に伸びた。最初はイタリアンでしか扱わなかった野菜が居酒屋、寿司店、和食店と広がった。
 「たとえば、プンタレッラという野菜。イタリアのローマだとよく食べる。チコリーの仲間。どんなものか作ってみないとわからない。シェフから言われて作り始めた野菜が結構あるんです。農家は見たこともない。そんなものを手探りで栽培を始めた時期でもあったのです」

農家の現場に頻繁に行って野菜を知るから始める
 福田さんは、頻繁に農家へ行き、手伝いをしたり、野菜を買って、知り合いにプレゼントをしたりもしたという。
 「最初のころ、農家に信用されていなかったんです(笑)。まったくの門外漢ですからね。若い人は役場の人を信用していない。なにかやりましょうと言って補助金を入れて3年くらいしたら、放り投げてしまうと。そんなだったら僕らはJAが提案をしたことに乗りますから、という話だった。彼らの言葉を理解しなきゃいけないなあというのがあって、自分も生産者のところの畑を借りて、ヨーロッパ野菜をひととおり作ってみて、休日は生産者の畑に押しかけ、レストランもあちこち食べ歩いた。そこで野菜をプレゼントしたりした。そういうことが信頼につながったのかなと思います」
 このころ、新たな課題が浮かび上がった。初めて作る野菜ばかり。栽培の基準がない。どれくらいの大きさで、どの時期に出したらいちばんいいかがわからない。
 「このころまでは品質の規格がなかった。とても綺麗にして出す農家もいるし、あらあらしく出す農家もいる。その基準を作るのがすごく大変だった。最初、みんな20種類くらい作っていて。6人くらいいて、どの野菜をだれが作ったかわかる。ばらつきがある。これはまずいねと、規格を作っていきました。まずはレストランがどのくらいの大きさが使いやすいか訊いた。たとえば、スイスチャード。ふつう世に出回っているのは大きい。農家もグラムが稼げるから大きくしたがる。でもレストランからするとホウレン草の仲間なのでサラダに使いたい。大きいとえぐみが出る。それで大きくならないサイズを決めていった。マニュアルを作りました。レストランと卸業者、生産者と何度もやり取りした。使いやすいサイズはどういうものなのって。これがうちの研究会のノウハウなのかなって思います」
 こうして、可愛いらしくて、切ると断面に紅色のいくつもの綺麗な輪ができるビーツ。朝採れたてのズッキーニの花に霧吹きをしてティッシュを詰めて、型崩れしないようにし、それにチーズを詰めて、フリットにするという花ズッキーニなど。連携のなかで、売れるヨーロッパ野菜が次々に生まれていった。

 
畑にシェフを案内して野菜を学ぶツアーを開催

  野菜が売れるようになると、その商品管理が大変になった。そこで、それまで産学連携の仕事をしていた福田さんは、芝浦工業大学に話をもちかけ、商品管理のためのスマホ対応のアプリを開発してもらった。それぞれの生産者が、その日に出した野菜を入力すれば、その売り上げが管理され、月末に清算されるという仕組みだ。それで作業が楽になっただけでなく、どの時期にどんな野菜に需要があるか基礎データができるようになった。それが来年度の作付け計画の基礎データとなった。
 このころから畑の見学会も始めた。
 「農家は基本的に畑に人を入れたがらない。しゃべるのも得意ではない。上手にしゃべる必要はない。野菜の、あなたのファンを作ろうということで始めました。最初のころは、私が説明をしていました。そうすると、ああ、こういうことを話せばいいのかわかる。そこから、次には生産者が、なぜ農家になったのかとか、この野菜はどんな特徴があるのか、いつが美味しく、こんなふうに使ってほしいとか、どんどん話せるようになっていった。そうすると、レストランの人たちが、この人から野菜を買いたいとなる。ファンができる。この部分が、いちばんブランディングに必要だなと思います。

2017関東食料展示会

 畑見学は、面倒だけど、いまだにやっています。今は、春、秋に開催をし、100名くらいが参加します。これまで500名近いシェフが来てくださいました」
 売り上げも伸び、東京の青果卸しの会社の取引が始まり、マスコミにも取り上げられるようになり、大きな広がりとなってきた。そこで、福田さんが提案をしたのが、農家の法人化だった。
 「原価管理、売り上げ管理をしましょうと。実は、今まで農家はやっていなかった。それまで市場に出していたから、価格決定権は農家にない。売り上げがわからないから、原価計算をしてもしょうがないでしょうって言われた。でも今は違う。売り上げもでてきたし、勉強会を開きました。調べたら原価のほとんどは人件費。種代や肥料代などはたいしたことない。農家の人って人件費を考えていないんですね。でもこれからは違う。ちゃんと野菜を将来にむけて作っていくために人を雇うんだからと、人件費を考えるという流れにしていきました。このころから、みんな原価を考えて価格決定をするようになりました」

 この取り組みから、メンバーのほとんどが、人を雇って生産を始めるようになったのだという。そして、生産者の先行投資も始まった。
 「それまで農家は、作ってくれと頼まれたものしか栽培しなかった。サンプルもあまりだしたがらなかった。そうすると伸びが少ないということに気が付いた。このあたりから、みんなが経営感覚を持ち始めた。注文がきていないけど、こんな野菜を売っていきたいと、作付け会議をして、サンプルを卸に出してレストランに配ってもらう。そして行けるとなると栽培をするというのを生産者がはじめたんです。サポートメンバーの卸さん、北会長が、助言をし続けていたのが大きかったのかなあと思います」


次世代につなぎ働く場も生まれる新たな都市農業を目指す

 そして、いまでは、取引先は卸だけでも10社、扱う飲食店は1200軒を超えた。そして、農家は法人化を実施し名前は「農事組合法人FENNEL(フェンネル)」となった。
 それまで、イタリア、フレンチ対象だったヨーロッパ野菜。さらに広く知ってもらおうと、卸との連携で、居酒屋や寿司店、中華料理店向けなどの、展示会、食べ方提案、勉強会を開催。裾野は、さらに広がった。市と連携してシェフを学校に送り、学校給食にイタリアンを採り入れることも始めた。また若手シェフ対象にさいたま市長杯の料理コンテストも開かれるようになった。
 「現在、売り上げはヨーロッパ野菜だけで約6、000万円。2020年には1億円を超えるでしょう。メンバーの平均年齢は37歳。次の段階は、20年続けられる農業。そのころは次世代が成人する。今、農家の若い人が10パーセントを切っている。農地も余っている。だからこそ、農地が借りられる。チャンスでもあるわけですね。それに、法人化をして、農家が働く人を募集したら、一人に対して20名くらい応募があってびっくりした。ヨーロッパ野菜で独立したいという人たち。関東近郊から通えるので、通いできてくれている。ひょっとして、これは、新しい都市農業のスタイルを築けるのでは、と、期待をしているんです」
 明確な将来へむけてのビジョンを語る福田さん。そこに新しい農業の形がある。
 ところで、気になったのが、彼女の経歴。埼玉県川口市出身で、家は小さな町工場だったという。そのこともあって、大きい会社に就職したいと、最初に勤めたのが株式会社トーハン。出版の大手流通会社だ。しかし、小さな書店、出版社が苦労をしている姿を目の当たりにして、中小企業を応援できる仕事をしたいと、今の、公益財団法人さいたま市産業創造財団に転職をしたのだという。彼女の活動をみていると天性のものではないかと思うほど活力にあふれている。

2017トキタ種苗展示会



◆さいたまヨーロッパ野菜研究会/農事組合法人FENNEL(フェンネル)
HP:https://saiyoroken.jimdo.com/
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