1 経歴・漁業歴について
私は昭和24年〔1949年〕4月16日に祝島(いわいしま)で生まれ、祝島で育ちました。中学卒業後、すぐに漁師となり、祖父、父とともに船に乗り、漁をしていました。
最初は延べ縄(のべなわ)漁をしていました。とれる魚は鯛、ハモ、穴子です。祖父が亡くなった後は父と2人で漁を続け、昭和50年代には延べ縄漁をしながら冬場にはサヨリを船びき網で獲っていました。昭和60年頃からは、まきえ釣りを始め、手釣りの一本釣りで鯛やメバルなどを獲っていました。遊漁(ゆうりょう)船としてお客さんを乗せるのも同時に始めました。その後、現在までずっと島で漁師をしてきました。
2 私が営むことのできる漁業について
私が営むことのできる漁業は、漁業権漁業としては建網(たてあみ)を営むことができ、また、許可漁業として、まきえ釣り、小型機船底引き網、サヨリ船びき網などの許可を取っておりました。しかし、現在、このうち建網やサヨリ船びき網の漁業はしていません。
私が、現在、主として営んでいるのは、このうちの、まきえ釣りとまきえ釣りをするために餌をとるための小型機船底引き網漁業です。
まきえ釣りをすることのできる操業許可を受けた区域は、山口県光市以東の山口県内海となっています。これは、共第98号の共同漁業権海域(以前は共第107号とか共第103号と言っていました)を含み、地先(ちさき)までの山口県東部の全ての沿岸を含むものであり、漁業権の消滅区域・準消滅区域とされている海域でも漁業をする権利を有しています。
ですから、私は、許可漁業としてのまきえ釣りを、原発のための埋立工事による漁業権の消滅区域、準消滅区域でも、行うことができます。
3 現在営んでいる漁業について
私がまきえ釣りを行うのは、遊漁船業をするときと自分一人で行うことがあります。遊漁船業をするときは、お客さんに魚(主に鯛やヤズ〔若いブリ〕)を釣ってもらい、その時に自分もいっしょに釣ります。お客さんがいないときは自分一人でも釣っています。
祝島や長島の海域で私が主に獲る魚は、
春、鯛、メバル
夏、鯛
秋、鯛、ヤズ
冬、鯛、メバル、アジ
などです。
釣った魚は主に山口県漁協祝島支店に販売しています。また遊漁船の場合は乗せた人数にもよりますが、基本的には1日で3万6千円の収入になります。
4 漁業の方法と原発のための工事や稼働による影響について
(1)まきえ釣りについて
まきえ釣りでは、アンカー〔碇(いかり)〕)を二つ打って、船を固定することで、狙ったポイントで釣りができるようになります。許可が無いとアンカーを打って船を固定させることができず、まき餌をすることの効果が生まれません。アンカーは300m位の範囲に打つことになるので、その範囲に工事船が進入してくると困りますし、工事船がつっこんできたらよけようがなく危険な状態になります。
(2)小型機船底引き網について
また、小型機船底引き網の漁は、まきえ釣りの餌としてのエビを獲るためのものです。
エビは底にいるため、手繰2種の底引き網を使っています。
エビは、海水の温度が上昇すると酸欠状態になってすぐに死んでしまい、まき餌としての価値が無くなります。今でも、夏場はすぐにエビが死んでしまうので、エビを表層に長時間、おかないように配慮しています。
エビを獲るには、午前2時ごろから海に出て、通常は2、3時間くらいかけて船の後ろに4〜6m四方くらい網を引きながら獲ります。その後、船のいけすのかごの中にエビを入れて、生きた状態のまま、まき餌にする必要があります。
原子力発電所が操業するようになると、わずか1度、海水より温かい温排水が排出されるだけでも、その海域ではえさのエビが死滅してしまう可能性が高いと思います。しかも、海水より7度も高い温排水が毎秒190トンも大量に排出される予定になっていますが、こうなると、瀬戸内海のような内海では、潮の流れも、魚の種類も変わり、確実に私が長年営んできた、まきえ釣りによる漁ができなくなるものと思います。
(3)サヨリ船びき網漁業について
許可漁業であるサヨリ船びき網漁業は、10月10日より翌年の5月10日までが操業を許可されていました。この漁業は30mくらい離れた二隻の船で網を曳きますが、この網は海面から海面下約1メートル程度にかけてしか入っておらず、表層付近にいるサヨリを漁獲する漁法です。
サヨリは海水温が下がってくると集まる習性があるようで、私たちもよく「冷え込んだからサヨリが集まってくるぞ」と言い合い、出漁していました。現に、冬場の気温の暖かい年より、寒気が来て冷え込んだ年が好漁になります。
ところで、サヨリ船びき網漁は岸から700メートル以遠の共同漁業権の範囲が許可された操業区域となっていますが、中国電力の言う温排水拡散海域も重要な操業海域に入っています。原発が稼働し、温排水が流れ出すと海水温が上昇し、せっかくの好漁場がだめになります。その上、温排水は殺菌剤などの薬品を含むため、魚が逃げてしまう恐れがあります。
5 漁業権消滅区域等が漁業にもたらす影響
原子炉が建てられ、埋め立てられる予定地は、漁業権消滅区域とされています。この埋立予定地の南岸部分には岩礁があって藻場(もば)になっており、親魚が産卵し稚魚が育つ場所です。また、埋立予定地の北側部分は、砂浜になっていますが、このあたりでもヤズが釣れます。
さらに、取水口のあたりは、秋から冬を中心に、鯛、ヤズ、メバル、ハゲ〔カワハギ〕などの好漁場です。
放水口のあたりは漁業権の準消滅区域になっていますが、いい魚礁があって、鯛、ヤズ、メバルなどの漁場となっています。私も許可漁業の権利を持っており、この魚礁を目的に釣りに行くことがあります。
また放水口側でいうと、鼻繰島(はなぐりじま)の周辺も鯛、ヤズ、メバルなどの漁場で、8月の終わりから冬の間、まきえ釣りやながし釣りに行くことが多いです。冬の強い西風が吹く時期でも島が風を遮って風の陰になるので、海が穏やかになり船が流されないので、釣ることができる、いい漁場です。
海が埋め立てられ、原子力発電所が建設、運転されると、これらの漁場が失われることになります。
6 他の原発を視察した経験から
私は、上関原発の計画が発表された最初の頃、当時の祝島漁協の青年部として、他の若手の漁師5〜6人とともに、敦賀原発と美浜原発を視察したことがあります。で、中国電力の社員に連れられていきました。祝島の中でも、私たちが一番早く視察に行ったのではないかと思います。
敦賀原発では、取水口の沖合で浮かんで潜水服を着ている人がいましたが、中国電力の社員の説明によるとウニを獲っているということでした。しかし海には海藻がほとんど見えず、海藻をエサにするウニが本当に漁をするほどいるのか、不思議に思いました。
また、敦賀原発や美浜原発の地元の漁師に原発の善し悪しを聞こうと漁港に行きましたが、中国電力の社員が付き歩くのでなかなか話を聞くことができず、なんとか話すことができた地元の漁師も、原発ができてからどうなったかをはっきり言ってくれず、顔をそむけるようにされました。
他の祝島の人も中国電力に言われて原発の視察に行ったり、また、祝島出身で、原発の中で働いたことのある方の話を聞くなどして、私たちは、上関原発計画に反対することを決めました。
7 まとめ
わたしは祝島で今まで漁師として生きてきましたが、私が生きてきた海、育ってきた海を一企業に売ることはできないし、命の次に大事だと考えています。
以上
【解説】これは、山口県漁協の祝島支店で現在、運営委員長をつとめる岡本正昭さんが昨秋、ある裁判でおこなった陳述の全文です。ご本人から陳述書をご提供いただき、ご了承を得て、その写真とともに全文を掲載しました。
上の写真は岡本さんの陳述書(全文)です。
掲載に際し、必要に応じて原文に、()内にルビを〔〕内に注を加筆、また参考画像も添えました。