手を見るひとたち
赤ちゃんがうちにきて、3か月の頃。
しきりに自分の手をみるようになった。
軽くにぎって、くるくると目の前でうごかしては、眉をしかめて見ている。
「ハンズリガード、しっかりできてますね」。
家に来てくれる看護師さんが、格好いい言葉を与えてくれた。
― 手を見て、考える。
そうした折に、こんなタイトルのエッセイに出合った。
しまおまほ『ガールフレンド』の最初に置かれたこの章には、「子供なのに大人で、にぎやかなのに淋しくて」
(岸本佐知子)、というまほさんの世界がそのままあらわれている。
幼い頃、自分の手を見ては「どうして生きているんだろう」と考えていた彼女。
祖父・島尾敏雄に電話をかけて尋ねてみた。
― ジッタン、どうしてわたしは生きてるの?
― えらいよ、真帆。真帆がそう疑問をもっている事が…
祖父の差し出した答えは難しくて、小さなまほさんを置き去りにした。
そんな少女時代を過ごしたまほさんは、大人になってからも、その赤ちゃんのようにまっすぐな目をぱっちり開いて、
自分とまわりの人たちの生に思いを馳せている。
会わなくなった女友だち、土曜深夜の赤坂の人々、月曜9時の同級生、奄美に住む祖母。
距離をこわさないようにおずおずと、でもときに遠慮なく。
赤ん坊の感受性で見つめた人と、彼女は真摯に向き合っている。
すこし危なっかしいその人たちに、何かあったらすっと手を差し出せる位置についている。
― 「かんがふ」とは「かむかふ」こと
考えることは、身を交えることだと昔の人は言った。手をのばして、さわって得たものこそ、自分の内面を照射する。
そんなことを思って風呂に浸かっていたら、隣で4歳の息子も手のひらをじっと見つめている。
「あ、ここに『て』って書いてある!」
覗きこむと、彼の右手の皺は、ひらがなの「て」の字をしていた。
― 手を見ることを忘れるな。
考えながら生き続けるために。
そんな教えが聞こえた気がした。
■参考:
しまおまほ
ガールフレンド
Pヴァイン・ブックス,2011
筆/北村 咲

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