今月の陽の当たらなかった女性作曲家は、中華人民共和国の陳怡(チェン・イ )をお送りします。1953年に山東省棗荘市で生まれ、現在はアメリカ合衆国を拠点に活動しています。

 父親は医者で、クラシック音楽を好む人でした。母親も音楽好きで、夕食後はコレクションのレコードから1曲を選んで聴くのが家族の日課だったそうです。ある日父親が陳怡に、「君もヴァイオリンニストのヤッシャ・ハイフェッツやフリッツ・クライスラーのように、自作を自ら演奏できる日があるといいね」と言いました。この言葉が心に深く刻まれたと、彼女は後年のインタビューで答えています。

 ピアノを3歳、ヴァイオリンを4歳から始め、その後、中高生の頃には音楽理論の勉強も始めました。理論の先生が様々なお話をしてくださる中で、ある日、「君は揚子江の豊かな水を飲んで育っているから黒目と黒髪に恵まれたんだよ」とおっしゃり、中国の歴史や文化を深く考えるきっかけになりました。そして、中国のことをもっと世の人に知らしめるべきだと考えるに至り、このような周りの大人の言葉が、作曲家を志望する大きなきっかけになりました。

 中国は1966年に「文化大革命」が始まりました。とりわけ、西洋諸国との関わりや、西洋音楽を好んだインテリ一家に厳しい締め付けが起こり、再教育が必要な家族とターゲットにされたのです。大革命の下、政府のターゲットにされた人達は数多くいました。

 中国に初めて西洋音楽が入ったのは、1850年以降のことです。西側の教会神父たちが西洋の楽器や賛美歌を持って中国に入りました。その後、1890年頃には、中国軍に西洋の軍隊音楽が取り入れられました。20世紀の初頭には、アメリカ、ヨーロッパ、日本に留学し帰国した優秀な中国人男性作曲家が、西洋音楽を中国に広めました。それと並行して、中国の民族音楽に大きな発展はなく温存されていました。

 そして、「文化大革命」をごくごく簡単にお伝えしますと、1966年、当時の中国共産党主席の毛沢東により提唱された政治運動でした。その後10年間続きました。政治家の権力闘争です。長く失脚していた毛沢東が、劉少奇など当時の台頭する政治家から権力奪還を狙いました。毛沢東の傘下にいた四人組や紅衛兵などにより、中国全土に毛沢東の著作「毛沢東語録」を広め、指導者層や知識人を迫害し、その思想を中国全土に浸透させようと試みました。しかしながら、結果として多くの死者を出し、文化財を破壊し、紅衛兵の反乱等、国内を大混乱に陥れました。毛沢東は76年に亡くなり、その後の中国は、解放・改革路線に舵を切りました。

 この状況下、陳怡は始めの頃は強力なミュート(弱音器)をつけたヴァイオリンや、ピアノの中に毛布を詰め込んで音が響かないように弾いていましたが、68年には、とうとう両親と離れ離れの暮らしを強いられ、強制労働のため地方へ送られたのです。「時には軍の要塞作りにも駆り出されました。朝4時起きで、50キロ近くの粘土を22回往復して運んだ日もありました。あの2年間は本当に苦痛に満ちた時代でした」と、後々のインタビューで答えています。
 
 強制労働で送られた土地では、かたわら、革命のメロディをヴァイオリンで奏でては、農家の人たちや子どもたちに喜ばれました。まるでパガニーニのように華麗なイントロで始め、それを中国の民謡やわらべ歌のメロディに繋げて行くと、やんやの喝采を浴びたそうです。このような農村での過酷な生活、でも、土地の人たちを前に音楽を聴いてもらう経験が、音楽家としての創造性をたくましくし、その上、人生を深く考える素地となったそうです。

 そして、1970年には、いよいよ地元へ帰還しました。北京の国家京劇院(The Beijing Opera Troupe Orchestra ) のコンサートミストレス(女性のコンサートマスター)、そして京劇院の専属作曲家として活躍しました。

北京中央音楽学院


 文化大革命は76年に終焉を迎え、学校教育も復活します。78年には北京中央音楽学院に入学許可がおりました。きわめて初期の作曲専攻の学生の一人として入試に通りました。

 指導教授は呉祖強と 招聘教授のアレクンダー・ゲールでした。呉氏はソビエト連邦で勉強した人です。ゲールはベルリン生まれのイギリス人作曲家です。精力的に学び、クラスメートたちと中国の田舎へフィールドワークに出かけては、地元に伝わるわらべ歌の採集に力を注ぎました。このフィールドワークは、より深く自分のルーツを探るきっかけにもなったそうです。

 1986年、北京中央音楽学院で修士号を取り、女子の作曲科学生として初の修士号となりました。在学中に数々の国内コンクールに入賞を果たし、ラジオ出演もしました。

 1986年、アメリカに移りました。ニューヨークのコロンビア大学で博士課程に在籍し、作曲は周文中とマリオ・ダヴィドフスキに師事しました。周は46年にアメリカに渡り、ボストンのニューイングランド音楽院とコロンビア大学で勉強した人で、ダヴィドフスキはアルゼンチン生まれで、アメリカに渡り、アロン・コープラントやミルトン・バビットに師事しました。

 私は同じ時代にジュリアードにいたのですが、中国から初の国費留学生が3人ほど入ってきて、「人民服」で悠然と、にこにこと学校に来ていたのが、ものすご〜く印象的で、私たち西側の若者は「!・・・!」こんな感じで遠巻きにしていたことを思い出します。

 陳は作曲家のバルトーク、ドビュッシー、ストラビンスキーが好みでした。そうは言っても、3人の作曲家の影響を色濃く受けていることにずっと無意識だったそうです。93年には博士号を優秀賞-Distinctionで授与されました。

 その後も絶え間なく活躍を続け、2006年にはピュリッツァー賞音楽部門のファイナリスト。グッゲンハイム財団の客員研究員に選出され、2012年にはAmerican Choral Directors Association の受賞、アメリカの作曲家チャールズ・アイブスの名前を冠した「Living Award」クーゼヴィッキー財団賞等、数々の賞を取りました。

         陳と夫

 ニューヨークに長く暮らした後、夫のピュリッツァー音楽賞受賞者の作曲家・周龙(Zhou Long) とともに、ミズーリ州立大学の教授となり、現在はDistinguished Professor (教授の上の教授)です。

 作品には、パーカッションのための協奏曲、ピアノ協奏曲、ヴィオラ協奏曲、交響曲等のオーケストラの作品多数、様々な編成の室内楽曲、数々の合唱曲、中国名のタイトルのピアノ独奏曲も多く、中国のわらべ歌や民族音楽を借用した作品、アメリカでさらに学んだ「十二音技法」を取り入れた作品、またこれらを融合させた作品等、中国の民族楽器を取り入れた多くの個性的な作品を書いています。




資料/References
楽譜 Variations on “Awariguli” Theodore Presser社 Living Composers Project,
http://composers21.com/compdocs/chenyi.htm
哲学科修士論文 WONG,Hoi Yan, Recurrence as Identity in Chen Yi’s Music
http://composers21.com/compdocs/chenyi.htm
He Said, she said: Zhou Long and Chen Yi
https://nmbx.newmusicusa.org/he-said-she-said-zhou-long-and-chen-yi/
日本語版ウィキペディア:陳怡(チェン・イ )
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3%E6%80%A1

 この度の演奏は『”AWARIGULI”主題と変奏』、AWARIGULIは漢字で「阿瓦日古里」。わらべ歌「新疆維吾民族民歌」をもとにした主題と変奏形式の作品です。

 AWAGURIGULI は、新疆ウイグル自治区に住む美しい少女の名前で、少女に恋焦がれるハンサムな若者が、想いを届けようと歌う愛の歌だそうです。78年、陳怡が北京中央音楽学院で勉強を始めた初期の作品。アメリカのTheodore Presser 社より2011年に出版されました。テーマはゆったりとした2分の2拍子で始まり、テーマを踏襲しつつ、テンポも調性もそれぞれ個性的な変奏が9つ続きます。


エッセイ終了のご挨拶

 この度の第12回をもちまして「陽の当たらなかった女性作曲家たち」エッセイ連載は終了させていただきます。シリーズⅠとⅡにわたり皆さまにお読みいただきまして、誠にありがとうございました。WAN助成金で各地の皆さまにコンサートもお聴きいただきましたこと、また新聞、放送等に取り上げていただき、女性作曲家に以前よりは陽が当たったことは、何より光栄な出来事でした。
 今年秋以降は集大成として、CD録音も予定しております。引き続き女性作曲家にご注目をいただけますなら、これほど嬉しいことはありません。

 また、旭川と東京で以下のようなコンサートを予定しています。旭川でのコンサートはWAN助成金による開催です。この他に、札幌と函館でも女性作曲家たちを取り上げたコンサートを行います。旭川と同じくここでも、昼に親子対象コンサート、夜は一般コンサートを予定しています。札幌と函館の詳細については、下記にお問い合わせください。
札幌: morichan1210@gmail.com
函館: shinya-hakodadi@ncv.jp

 6月29日にはNHK沖縄で、以前にこの連載でも取り上げた女性作曲家、金井喜久子さんが特集される予定です。沖縄以外でも聴取は可能なようですので、以下をご参照ください。
http://www4.nhk.or.jp/r1okinawa/