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この混迷の時代、私たちはどこへ向かおうとしているのか。ロシアによるウクライナ侵攻から3年、イスラエルのパレスチナ・ガザ侵攻から1年余。どうしようもない日本の自民党政権。ドナルド・トランプのアメリカ合衆国大統領就任は、「アメリカファースト」というよりは「トランプアローン」「トランプオンリー」というべきか。2年後の中間選挙で共和党が多数派をとれない可能性が高いとすれば、大統領権限行使は難しくなるだろうから、トランプは敢えて就任早々、矢継ぎ早に「トランプオンリー」の大統領令を頻発しているのではないか。
なんだかやり切れない思いで、ぶらぶらと近くの本屋に立ち寄る。ふと目に留まった本があった。矢野久美子著『アーレントから読む』(みすず書房、2024年1月)。わあ、すごい。ハンナ・アーレントの珠玉の言葉が満ちあふれている。ハンナ・アーレントの著作を何冊も翻訳された矢野久美子さんが、月刊『みすず』に3年間、連載したエッセイをまとめたものだ。
ナチス・ドイツから逃れて長期に渡り、難民・無国籍者として生きたハンナ・アーレントは、戦争が終わった後も全体主義の余波に抗い、それでも「世界を愛することは可能か」を考え続けたという。
「いまアーレントから世界を見れば何が見えてくるのだろう」と矢野さんは考える。そして人間の「自由」の条件を考え抜くアーレントの思考と言葉を道しるべに、矢野さんは「アーレントから読む」ことを試みてゆく。
ハンナ・アーレントは1906年生まれ。ユダヤ系ドイツ人としてナチス政権樹立後の1933年、フランスへ亡命。1940年、フランスがナチス・ドイツに降伏後の1941年、アメリカへ亡命する。1951年、アメリカで市民権を獲得。その後、バークレー、シカゴ、プリンストン、コロンビア大学などで教鞭をとり、1951年、『全体主義の起源』を著し、1963年、ザ・ニューヨーカーに「エルサレムのアイヒマン-悪の陳腐さについての報告」を書いている。
10年前の2015年2月、映画「ハンナ・アーレント」を見た。ラストシーンは、タバコをくゆらせながら語る彼女の「ことば」の一つひとつが、強い意志と確かな思考力に満ちて、揺らぐことがないことを描いていた。
「決して起こってはならないことが起こってしまったのはなぜか?」「なぜ人間は、あのような行為を可能にしたのか?」「その悪を、人々はなぜ積極的に担おうとするのか?」「イデオロギーに賛同するか、しないかによって敵味方を規定することもまた全体主義の本質である」と語るアーレント。しかしそこから彼女は「非人間的なものを、なお人間的にすること」を最後まで追い求めてゆく。
第一章「生きた屍」では、「「地獄」とはメタファーではなく、人間が地上に作り出した現実だ」「絶滅収容所は死の直前の状態を恒久化することを可能にした」と述べ、「全体主義体制のなかで結晶化され(たとえばプロパガンダによる嘘やフェイクニュースによって)、他者や物事とのかかわりや信頼を失い、人間が見捨てられた状態を「現代大衆社会の現象」と見なした」とアーレントは書く。
それはまるで今、ネット上に嘘が蔓延する現代の大衆社会そのものではないか。
第二章「難民について」は、戦後に行われた「ユダヤ人問題の解決」を、今度は「ユダヤ人がパレスチナに入植し、パレスチナの民の領土を奪うことにより、それは無国籍者、難民問題の解決にはつながらなかった」と書く。
まさにそれは今、起きているイスラエル・パレスチナ紛争や世界各地に広がる難民問題を予見するものではなかったか。
第三章「世界喪失に抗って」では、「自分と異なる他者との「あいだ」で生きることを、行為できること、動きがあること、つまり偶然の出会いをふくめて自由であること」と結びつける。そして「物事を自分の思いどおりにはできない人間の「弱さ」を知ることは、複数の人びととの「あいだ」で生きることをふくむ人間の条件にほかならない」とアーレントは述べる。
人は一人では生きられない。思いどおりにならない他者がいてこそ私がいることを忘れてはならないのだ。
第四章「自由について」で、「政治の意味は自由である。政治とは複数の人びととの共存にかかわるものであり、人びとが自由であることができるのは相互の関係においてのみ。自由について考えることは、他者との関係の網の目について考えることである」とも主張する。
第五章「理解という営み」では、「全体主義以後の世界を生きるためには、他者を理解すること。現実がどのようなものであれ、予断を下すことなく注意深く向き合い、負けないことだ」としながらも、「遠からず独善的で排外主義的な「アメリカ至上主義」が登場するだろう」と、1953年、マッカーシズム下のアメリカで、アーレントはヤスパースへの手紙の中で書いている。
これはまさに今、トランプ政権が行っている「独善的で排外主義的なアメリカファースト」と、そのまま重なっているではないか。
「世界を愛することは、なぜこれほどに難しいのか?」とアーレントは『思索日記』の中で問いかけながらも、それでもなお彼女は、どこまでも真っ直ぐに世界と向き合おうとしてゆく。
それには第九章「あいだにあるということ」が大事。「人間にとって生きることは「あいだ」にとどまることであり、死ぬことは人びとのあいだにとどまるのを止めることだ」と述べている。
ああ、そうか。「あいだ」とは私と他者との関係のことなのだ。かつて読んだマルチン・ブーバー著/野口啓祐訳『孤独と愛 我と汝の問題』(創文社、1958年)で、M・ブーバーは「我-それ」と「我-汝」の関係を想定する。前者は自己の周囲世界を経験によって認識し、自己のために利用する姿勢であり、後者は関係そのものを求めて目的化されず、手段化されない人と人とのありようを求めていく。そのことを以前、自著『関係を生きる女(わたし) 解放への他者論』(批評社、1988年)の中で、M・ブーバーの言説を引用して書いたことがある。
「我-それ」に陥りがちな私たちにも、ある一瞬、あるかなきかの「我-汝」の関係が生まれてくる時がある。そうだ、もしかしたらアーレントも、そのプロセスを歩こうとしていたのではないかと勝手に想像して、わくわくしながら読み進めてゆく。
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そして第十章「ローザの従姉妹」では、1956年夏、カリフォルニア大学バークレー校でのアーレントの授業を聴講した学生たちが、彼女の話の中からローザ・ルクセンブルクを想起し、「アーレントはローザの再来だ。ローザ・ルクセンブルクの従姉妹だ」と評したことを、彼女自身も、うれしく受け止めたと書かれている。
ローザ・ルクセンブルクは1871年、ポーランド生まれ、ドイツで活動したマルクス主義の社会民主主義者として知られる。1917年、ボリシェヴィキによる「十月革命」とレーニンのソビエト政権樹立について、ローザはレーニンの「超中央集権主義」に対して批判する。そして無惨なことに、その2年後の1919年1月15日、ローザは「スパルタクス団」を指導したカール・リープクネヒトと共にドイツ社会民主党政府と、その反動派によって逮捕、虐殺され、遺体は共に運河に投げ捨てられたという。
手元に古い本がある。トニー・クリフ著/濱田泰三訳『ローザ・ルクセンブルク』(現代思潮社、1968年、新装版)。定価400円の色あせた本の裏表紙に、ドイツの女性解放運動家、クララ・ツェトキンによるローザへの弔辞が載っている。
「言葉にはいえない意志と決断と無私と献身とをもって、彼女はその全生涯と全存在を社会主義に捧げました。彼女は鋭い剣でした。革命の生きた焔でした」とあった。
そしてローザ・ルクセンブルクの「自由とは、つねに思想を異にする者のための自由である」という言葉は、ハンナ・アーレントの「自由」のとらえ方と同じ方向を目指していたのではないかと、二人の女性の生き方が一つに重なるような気がして、なんだか、うれしくなった。
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以前、読書会で読んだ岡野八代著『戦争に抗する ケアの倫理と平和の構想』(岩波書店、2015年)の中で、岡野さんは「全体主義を赦すのではなく、そうした制度を可能にした世界とはどのようなものであったかを理解することが、被害者たちが世界と和解し得るための第一歩となる」と、アーレントの「全体主義を赦すのではなく、理解し、和解すること」という言葉を引いて説明する。
また岡野さんは「ケアの倫理」を主張するキャロル・ギリガンの『もう一つの声』を引き、「自分と他者は、たとえ力の違いがあったとしても、同じ価値をもった存在として扱われなければならないのです。すべてのひとは応答されるでしょうし、わたしたちのなかの一人として含まれていなければなりません。誰ひとりとして、放っておかれたり、放っておかれることで傷つけられたりしてはならないのです」と、ある意味、アーレントと同じ意味合いをもつギリガンの言葉も紹介している。
力をもつものと力をもたないものとの関係、つまり「ケアの倫理」の視点から、さらに「平和」へとつなぐ岡野さんの示唆に富む文章を、10年近く前、「高齢社会をよくする女性の会・京都」の読書会で、みんなと語り合ったことを懐かしく思い出す。
この2月で98歳になる叔母が、このところ骨粗鬆症のせいか少々歩きづらくなってきた。前より少し手がかかるようになったけれど、私もまた、いつか行く道なのだ。
ケアもまた、人と人との「あいだ」を生み出す大切な関係でもある。まあ、そんなに難しいことを言わなくてもいいか。近々、叔母のお誕生日祝いを兼ねて車椅子に乗せて娘と孫娘といっしょに温泉で、ゆっくり過ごしてこようかなと思っている。
さて、時代は刻一刻と危機感迫る絶望的な未来へ向けて、日本も世界も邁進していく。アーレントのような高邁な思想は、とても無理だけれど、私も確かな意志をもって、この時代に抗して生き延びていかなければ、と思う日々。
そんな日々にも、ある一瞬、人と人との、あるかなきかのあるべき関係が生まれてくるかもしれないなと、かすかな希望を夢見つつ、寒中、まだまだ寒い日が続くなか、ぼつぼつと暮らしを重ねる今日この頃の、わたし。