「うちの家/家族って、ちょっと変なのかな?」という問いは、子どもたちの多くが、一度や二度は持つものではないだろうか。それは、自分が知る範囲のよその家と自分の家が違うことを比べて抱く、素朴な疑問の一つなのだと思う。しかし、ドキュメンタリー映画『沈没家族』を作った加納土(かのう つち)監督が子どものころに抱いた「うちって変なの?」という疑問は、きっと彼にとって、素朴なんてものじゃなく、天地がひっくり返るくらい衝撃的なものだったに違いない。
加納監督の母・穂子(ほこ)さんは、1995年、監督が1歳のときにシングルマザーになり、東京・東中野で自ら「共同保育」をスタートさせた。母である自分と共同で子育てをしてくれる「保育人」を募集するビラをまき、集まったのは、独身男性や幼い子を抱えた母親など10人ほど。穂子さんが不在のときに「つちくん」の面倒をみる人を当番制で決め、共同生活をするそのコミュニティを、穂子さんは「沈没家族」と名付けた。泥船をイメージしてしまう、その危なげな名前は、当時の政治家が「男女共同参画が進むと日本が沈没する」と発言したのを聞いて腹を立てたからなのだそうだ。
その後、保育人が増え住居が手狭になったため、穂子さんらは新宿にある5LDKのアパートに引っ越し、その家を「沈没ハウス」と呼んだ。彼女が始めた共同保育の試みに関わった人たちは、なんと総勢30名を超える。新しい家族のかたちとして、あるいはストリート・カルチャーのオルタナティブな生活実験として注目を集めた沈没ハウスは、1990年代後半からたびたびメディアに取り上げられた――。
映画『沈没家族』は、大学生になった「つちくん」が、大学の卒業制作のテーマに「沈没家族」を選び、そこに関わったたくさんの人たちにインタビューをしながら、自分が育った家族の在りようを探った記録をまとめた、ロードムービー風のドキュメンタリーだ。完成した作品がPFF(ぴあフィルムフェスティバル。自主映画を対象としたコンペティション)等の映画祭で高く評価され、劇場版として再編集されたものである。
加納監督の「つちくんの家族をさぐる旅」は、彼が沈没家族の一員として育った東中野から新宿へ、そして穂子さんがパートナー(つちくんのお父さん)とつちくんと3人で一時期を暮らした鎌倉へ、さらには、つちくんが8歳のときに穂子さんと二人きりで引っ越した八丈島へと移動していく。訪れた先々で彼は、自分をめぐる愉快な、またときには驚きのエピソードに遭遇しながら、他者の記憶にある「つちくん」と「沈没家族」に出会うのだ。母親の穂子さん、沈没家族で子どもとして一時期を一緒に過ごした「めぐ」、大勢の元・保育人たち、沈没家族を遠くから眺めるしかなかった父親の「やまくん」…。たくさんの人たちの記憶や感情を受け取りながら、「大人になったつちくん」が手探りで見つけようとした家族の姿に、徐々に輪郭や手触りが生まれていく。
穂子さんはもちろんのこと、登場する人たちの一人ひとりが実にユニークで、「大人になったつちくん」との語らいは、どこか漫才のかけあいのように面白い(あ、とはいっても沈没ハウスで一緒に育った「めぐ」とは戦友同士の共感に満ちているし、父・やまくんとの口論はおかしくて切ない)。――人生の一時期に自分と関わったことを、その人にとっても意味のある、かけがえのない時間と経験だったと語ってくれる人がいることって、何て幸せなんだろう――。ふと、そう思って、わたしは笑いながら涙が溢れてしまった。
家族って、子どもにとっては自分で選べない不自由さがあるけれど、たまたま出会った人たちが縁によってつながったり離れたり、結果的に誰かを巻き込んだり巻き込まれたりしながら、自由に形を変えて続くもの。大人になったつちくんの、穂子さんや沈没ハウスの皆へ向けた最後のメッセージは、誰もが無関係ではいられない「家族」というものの、全てのカタチを肯定していて温かい。家族とか子育て・保育について、気負いすぎてしまうわたしたちの心まで温め、緩めてくれる熱をもった作品だ。この映画のために書かれた、MONO NO AWAREによる主題歌「A・I・A・O・U」のユルい感じも、つちくんと沈没家族にピッタリとハマっている。公式ウエブサイトはこちら。(中村奈津子)
現在、ポレポレ東中野にて上映中!ほか第七藝術劇場(5/18~)、名古屋シネマテーク(6/8~)など、全国順次ロードショー
監督・撮影・編集:加納土
出演:加納穂子 山村克嘉 イノウエ 高橋ライチ めぐ 佐藤公彦 藤枝奈己絵 たまご ペペ長谷川
配給:ノンデライコ
制作国:日本(2018)
上映時間:90分
公式サイト:http://chinbotsu.com/
©おじゃりやれフィルム
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