シカやイノシシの料理の素晴らしさを多くの人に知ってほしい。西村さんが取り組んだのは、女性の目線で、ヘルシーで美味しく、天然の肉としてレシピを提案しアピールをすることだった。
 自ら商品開発をするだけでなく、マスコミにも自らプロモーションを手掛けて、多くの人を惹きつけた。

◆シカ料理は売れないと言われ発奮。マイナスからのスタート
 べふ峡温泉に勤め始めて直ぐに大きな転機が訪れる。高知県が始めた人材育成講座だった。
 この講座が生まれた背景には、人口減・高齢化社会で、県内の市場が縮小し始め、経済的にも影響が出始めたからだ。このため経済の振興を目指す「高知県産業振興計画」が2008年に策定され、09年から「地産外商」の戦略を掲げて始まった。とくに弱いとされたのが農林水産業。生鮮品を販売していて加工が弱い。逆に加工品を県外から購入して赤字になっている。そこから食品を加工して販売することで売り上げを伸ばし「外貨」を稼ごうと人材育成が始まった。

 その一つが「目指せ!弥太郎商人(あきんど)塾」。名前は、高知出身の三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎にちなんでいる。損益分岐点、財務諸表の見方、コンセプトの作りかた、プレゼンテーション、販売手法などを学ぶものだ。
 もうひとつは、食品加工やマーケティングを学ぶ「土佐FBCフードビジネスクリエーター人材創出事業」だ。西村さんは会社の許可をもらい働きながらふたつのゼミに通った。

「弥太郎商人塾では、私は1期生。FBCは3期生。片道1時間半かけて通っていました。その頃は帰国したばかり、海外仕込みで自己主張が強く、黒白はっきりさせる。むっとすると顔にでる、生意気で協調性がありませんでした。自分がこうと思うと聞く耳がなかったと思う。弥太郎商人塾の臼井純子先生にはビジネスに関することだけでなく、社会人として欠けているところまでご指導いただきました。」

 それまで料理のレシピやメニューを作ることはしていたが、販売するための商品開発まではしたことがなかったから。すでに構想はできていたものの、どういうふうに売っていくのかを学び、また横のネットワークが必要と考え入塾した。
「シカ肉をカツオに次ぐ高知の名物にしたい。10年前は全国でシカ肉を売ろうと思っている人はほとんどいなかったし、「美味しい食肉」だとは誰も思っておらず、「シカ=硬くて臭い害獣」だった。だからこそ絶対に成功させたいと思い、臼井先生にビジネスのイロハを教えていただきました。

 塾の講義では毎回プレゼンの練習をしますが、それがよかった。それまで人前でしゃべることはまったくできず、原稿が手元にあっても緊張で手が震えるくらいでした。それが毎回、毎回、苦手なプレゼンを練習しているうちに、いつの間にか大勢の前でも堂々と喋ることができるようになっていました。
 臼井先生の商人塾があったからこそ、今では人前でもしゃべれるし、それがあるから講演もできるようになり臼井先生には心から感謝しています。」

 ところが、塾の面接では、さんざんだったのだという。
「商人塾には事前面接がありますが、担当してくださったのは臼井先生とは別の方でした。あのときのことは今でも覚えています。(笑)
 シカ肉を高知の名物として売りたいので商人塾に入りたいと言ったら、面接の先生からはシカは無理、やったって誰も食べるわけない。高知で商品開発をやりたいならトマトにすれば良いと言われました。
 そのように言われるのはある程度想定していたので、試食用にシカ肉で一品作っていきましたが、味見はしてもらえず、同席されていた県の職員の方だけが食べてくださって、「これまで食べたシカ料理では一番美味しかった」と後日励ましてくださいました。 
 みんなから絶対無理、ダメと言われ続けたことで、「どこが嫌なんだろう」と反対をひもときながら、ここがわからないから拒絶反応を起こすんだと。そこから商品開発を考えました。」

◆ヘルシーで美味しい。見せ方、食べ方を提案
 西村さんは、なぜ鹿肉はマイナスイメージなのかを考えた。当時のシカ肉の商品は、シカにも牛や豚と同じく部位別に特徴や調理法の違いがあるのにそのことが考慮されず、基本ができていないことに気づいた。
 広報も、テレビも、害獣対策でシカ肉を食べようと呼びかけていた。害獣と言われること自体が食欲をそそらない。また焼肉用のタレに付け込み1キロでパッケージされたシカ肉の商品や500gで冷凍されたソーセージ、大和煮のような缶詰などが主に販売されていて、これでは女性は絶対買わないと思ったのだという。
鹿肉は野性のものなので、捕獲、放血、処理法、保管など、処理を素早く丁寧に行わないと味に優劣ができてしまう。加工場によって、良しあしがあることも分かった。

害獣と呼ばれていたシカを「土佐鹿」と銘打ち売り出した

  「食べ方、ネーミングも考えた。周囲にダメだしされたことが勉強になった。「野生」や「野獣」ではなく、「天然の肉」としたらもっとイメージが変わるのに。正しく育って正しく処理された鹿肉は本当に美味しい。そこをちゃんと伝えるようにしたらいいなと思った。基本が大切。
 天然だから季節の味がある。丁寧にきちんと説明をすれば、みんな納得して価値があると気づいてくれる。害獣といわれているのは、たまたま数が多いから。こんな多いのは日本だけ。少なくなったら資源に代わる。以前、朝日新聞に作家の椎名誠さんが書いていたことですが、世界の美味しい肉ランキングで1位はシカ肉です。」


◆シカドッグが大ヒット。ひと月100万円を販売
 2009年当時はご当地グルメがブームだったこともあり、ワンコインで、立ち食いで持ち帰りもできる商品を作ることにした。彼女が売りだしたのはシカドッグ。当時は、気軽に食べられるシカ肉の商品がなかったのだという。地元のご当地グルメコンテストで優勝したことがきっかけとなり、ひと月で100万円以上が売れるようになり、シカ肉が足りないほどの人気になった。 

「ヒットしたのは一番の理由は美味しかったから。シカ肉を使っていると書かなくてもすぐに理解してもらえるよう、シカドッグという名前にしました。写真も自分で撮り、当時は珍しかった大きな看板テントも作り、美味しいと直感に訴えるデザインにしました。
 シカのソーセージは、ドイツの品評会で賞をとった高知の燻製工房へ製造を依頼していたので、「ドイツの品評会で金賞受賞の工房製造」と看板に加えて、間接的に美味しいものを創っていますよと伝えました。」
 

シカドッグ売り出しのための、テント用看板

「パンは国産小麦と天然酵母で作ったハード系、ソーセージと合うような食感にしてもらいました。シカ肉を始め、全てがオーガニックなイメージで、女性が食べたくなるよう「高知の野菜たっぷり」とヘルシーなイメージも加えました。ソーセージの上には十種類の野菜とスパイスを煮詰めたレリッシュソースと、玉ねぎのみじん切り、トマトケチャップ、自家製のマスタードを乗せ、本格的な食べ応えのあるホットドッグにしました。」
 

 シカドッグのヒットで肉が足りなくなったことから、高知にあった6、7か所の加工所も巡ることに。そのときにジビエの加工所とも繋がりができ、鹿肉の扱い方で味が違うことにも気づいた。どこが美味しいかもわかった。食材もいいものが集まってくるようになった後、べふ狭温泉の2年間が終了した。
 ヒット商品を生み出したことから山間地の高知県大豊町「ゆとりすとパークおおとよ」から声がかかった。宿泊施設を備えた複合型レジャー施設の指定管理をしているがお客さんが来ない。大豊町もシカの食害問題で困っているので、それを逆手にとってシカで人を呼ぶような取り組みをしにきてくれないかというのが依頼だった。

◆800メートルの山間地のイベントに2000名の客を呼ぶ
 高知県大豊町「ゆとりすとパークおおとよ」は、標高800メートル。高速から30分。入園料500円。彼女が考えたのがシカやイノシシに特化した食のイベント、「四国ジビエグルメフェスタ」。その構想を役場の人に話したところ、こちらも猛反対だった。

「『あんなのやめてくれ。シカなんてまずいもの。みっともないもの、大豊町の名物にしないでくれ。やるなら今流行っているB級グルメでやってくれ』と言われた。でも、どこでもやっているものをやっても意味がない」

   

 ジビエという言葉が知られていないときに、「ジビエフェスタ」と名付けてイベントを行った。2012年のときだ。
 しし鍋などの猟師料理ではなく、ワインにも合うちょっとお洒落なジビエ料理を作れる出店者を探し、四国各県から20店舗集めた。料理はシカ、イノシシだけ。

 「開催はボジョレーヌーボーと狩猟の解禁日に合わせ、大人はワインとジビエを楽しみ、こどもたちは遊具やクラフトなどで遊べる家族全員が満足できるイベントにしようと思いました。」

 しかし理解者は社長とごく一部の上司だけ。最後まで反対されたが、西村さんは、「だれもやってないないことにこそチャンスがある」と何回も説得してまわった。

 「周りからは開催直前まで人が来るわけがないと言われましたが、私は駐車場がパンクするかもしれないと不安に。しかし『バカな事を言う』と冷たい視線で見られていました。出店者には『来場者が多いと思うので、十分な食数を用意してほしい』と声をかけていましたが、半信半疑の方も多くいました。」

 彼女は手応えを感じていた。実は、自らイベントチラシをメディアに持ち込み、プロモーションを徹底させたのだ。地元にあるNHK支局を始め、高知新聞、愛媛新聞、大手新聞の支局など、四国四県の新聞社は全て自力で回った。
 開催日が近づくにつれ、問い合わせも増え、事前告知だけで25社以上が記事として取り上げてくれ、NHKの生放送にも出演した。外部には協力者が増え、反応もよかったことから人が集まると確信をしていたのだ。

「県や教育委員会、新聞社など多くの方々に後援もお願いした。全国各地でシカ活用の取り組みがスタートしようとしている中、日本初のジビエの取り組みが不成功だと次がなくなると、自分を追い込んでいました。もし成功すれば、シカ活用の道が拓ける。だから絶対に成功させたい、必死でした。」
 集客は2000名強。駐車場は開場と同時に満杯になり、山の麓から標高800メートルのパークまでお客様の車で大渋滞。駐車場に入れず諦めて帰る来場者も多くいた。「ゆとりすとパークおおとよ」にはマネージャーとして2年間携わった。

◆ジビエ料理普及のために高知市内にジビエ専門店を開店
 「ゆとりすとパーク」で勤めながら四国のジビエの普及に取り組んでいたとき、西村さんは、海外の人にも日本にジビエがある事を知ってほしいとインバウンドの取り込みも考えた。しかし、山間地までは、なかなか人には来てもらえない。そこで県の観光振興の担当者に相談をした。塾の受講で伝手もできていたからだ。
 県職員のアドバイスは、美味しいといくら言っても手軽に食べるところがない。人が集まる高知市内で店を自ら手掛け、ジビエで集客できる事を実証させるのが先決。そうでないと県も動けないし応援しづらい。そこで、西村さんは、店の構想を練り、県庁を再訪。高知市の繁華街の中心地から少しだけ離れていて、一人で切り盛りできる大きさのジビエ専門の飲食店を手掛けたいと話してみた。

高知市大橋通りにあったヌックスキッチン店舗

「なんと、店は県庁の人が紹介してくださった。商工労働部の方で、希望通りの居ぬきの店。借金なしで始めたかったので、私の予算は200万円。改修費の補助金を使わせていただけ、自己資金100万円で開業できました。
 週3日営業、3年間限定でオープンし、最後は多くのお客様に惜しまれながら閉店すると決めて開業しました」

 自分の店でヒットさせたのは、ワンプレートの盛り合わせだった。シカ、イノシシの各部位の名前を書いた札を横に置く「本日のシカとイノシシグリルの盛り合わせ」。日替わりの刺身の盛り合わせがヒントだった。

一番人気だった「本日のシカとイノシシグリル盛り合わせ」

つなぎを一切使用していない、シカとイノシシ肉100パーセントの粗挽きハンバーグも定番人気メニュー。


「ひとりでも高知の人にジビエの美味しさを知ってほしかった。メニューは日替わりでアラカルトのみ。12種類くらいの料理を用意していました。
 肉の盛り合わせは当初、これがシカですよ、これがイノシシですよとお持ちしたときに説明していました。
 でも、私が「シカ肉」と説明したお肉を食べながら、「これがイノシシか」とお客様の声がする。ジビエが初めてのお客様には、どれがシカでどれがイノシシなのかわからないし覚えられないことに気づきました。
 それでお客様が間違わないよう、名札を作って添えた。シカ肉は天然だから、今日のシカ肉は、どこどこの産地ですよと説明できたら、高付加価値がつくなあと思いました。結果このメニューが一番人気になりました。」

 店舗の客は、県外3割。リピーター4、5割。開業後すぐに予約で満席の人気店になった。
 高知県は食の振興のために大胆な決断をした。なんと、高知県内の美味しい店を県民が投票する選挙で選び、上位店のみでガイドブックを作るというのである。2010年のことである。タイトルは『「高知家の食卓」県民総選挙』。キャチフレーズは『観光客に教えちゃりたい、「食の店」大投票!』。県民2万5000人以上が投票したという。
「高知家の食卓」2016年、3万5千世帯が投票した第3回の県民総選挙で西村さんの店は、見事、高知県総合第1位を獲得した。
https://www.attaka.or.jp/sousenkyo/2016/

一人での来店客のみ注文できる「おひとり様セット」には当日のジビエ料理が5、6品盛り合わせていた。

ジビエ燻製の盛り合わせも人気メニュー

 
 ジビエの認知を大きく広げた。予定だった3年の店を閉じると、新たなライフスタイルを求めて、さらに、新たなスタートラインに立った。

「現在の夢は一年の半分は高知にいて、残り半分海外で過ごすことです。ジビエ活用の取り組みに関しては完全燃焼した気持ちがありますので、これからジビエ調理の指導や提案を行いながら、田舎でのんびりとした暮らしを楽しみたいです。叶えられていない長年の夢は、誰でも手軽に作れて美味しいジビエ料理の本をだすこと。」

◆「西村直子 ジビエビジネスアカデミー」 
https://www.nookskitchen.com/g-b-a/