
「リンドグレーン」と題されたこの映画を、リンドグレーンが人名で、その人がどういう人であるかを知らないままに鑑賞する人はいないだろう。映画は、もちろん世界的に知られ、現代までも読み継がれている児童書『長くつ下のピッピ』等の作者アストリッド・リンドグレーンの自伝的物語である。著作はよく知られていても、作者本人の知られざる前半生が初めて紹介される。ご本人自身も長命(1907-2002)を誇った、そのわずか16歳から10年に満たない間の物語である。人によってはまるで全人生を生きてしまったような波乱万丈の歴史。
スウェーデンのヴィンメルビーという小さな町に生まれ、アストリッドと名つけられたこの少女は、自由奔放で、古めかしい教会を中心とした保守的な地域社会で暮らしている。教会での説教に倦んだ表情を隠そうともしない。教会から借りた農地の家の仕事を手伝うこと以外に、この頭のよい少女の興味を満たす何もない環境である。兄と一緒に帰宅して自分のみ門限に遅れたことを叱る両親は「女の子だから当然」「おとなしくしなさい」とばかり。男女の扱いの違いも露わである。この時家に着く前に、道路上でアストリッドは、意味不明の言葉を大声で叫びだす。「もう、いやだっ」とでも言いたいような。
やがて地元新聞の助手という仕事が舞い込む。タイプライターの打ち方さえよくわかっていないアストリッド。しかし彼女は瞬く間に才能を発揮し始め、この就業機会はアストリッドを思いがけない方向に導いていく。長くつ下のピッピは短い三つ編みを横にのばしているが、アストリッドは長く下げている。これをばっさり切り、ボブヘアーカットに。同時に家にはない雑誌などから彼女の好奇心は次第に世界を広げてゆく。

新聞の主幹フロムベルイは、7人の子どもを持ち、後妻と離婚でもめている。彼は聡明で、明るく前向きなアストリッドに惹かれ、結果彼女は妊娠する。まだ18歳。困惑、激怒する両親との葛藤の結果、首都に出て秘書学校に入り、隣国デンマークでの出産。里親との出会い。この数年間にフロムベルイの離婚裁判、姦通罪、その罰金などの離婚経過にアストリッドは翻弄される。
結果わずかの罰金支払いで済み、結婚しよう、家も立て直すと言うフロムベルイに、アストリッドはノーを言うのである。この間、お金もなくスェーデンとデンマークを往来し、やっと歩き出した子ども、ラッセに馴染んでもらえず、苦悩するアストリッド。彼女を理解しようとしない男性の勝手さへの抗議だと読み取れる。
就職を果たした後、ラッセを引き取り育児の困難を乗り越えて、職場の上司リンドグレーンと結婚する。長くつ下のピッピは、その後誕生した娘、カーリンが10歳の頃、風邪をひいて寝ていた彼女に読んであげた物語が出自だとのことである。
感動的なのは、映画の中に初めから終わりまで、流れるテーマが、自由や勇気や強さ、他者への愛である。評者が感嘆するのは、これがまぎれもないフェミニスト映画であるということだ。1926年にシングルマザーになることを決意し(スウェーデンは今や世界に名だたる男女平等社会であるが、当時は男女不平等社会)、アストリッド自身の自分を大事にした生き方や他者への関わり、後になって戦争・暴力反対の姿勢である。なによりも、シーンの合間あいまに、アストリッドへメッセージを書いた子ども達の流れる声が、本を読んで勇気づけられ、慰められた感謝に満ち溢れる。「やるしかないことがあるんだ。僕は弟を守らなければならない」「お話のなかでたくさんの人が死ぬが、私は生きたいと思います」「あなたにとても励まされました」またこんなのも。「一緒に本を読むオバーチャンは、年とっても遊ぶのが大好きです」等々。

もう一つは女性同士の友情。アストリッドの秘書学校時代、妊娠した女の子を守る女性弁護士を紹介してくれる下宿の仲間。隣国で出産を手伝い、里親としてラッセの面倒を見てくれるマリー。まだ19歳で不安がるアストリッドへのマリーの口癖が「大丈夫、あなたはやれる。頑張れるよ」。またこのマリーの慈愛に満ちた眼差し。女たちの生き方へのなんというポジティブなメッセージか。なかなか自己肯定感を持ちにくい、その環境が薄い状況のなかにいる私達女性への、すばらしいサポートである。
エンドロールにかぶさって、リンドグレーンの誕生日を祝って子どもたちが作った歌が流れる。長いが引用しておこう。直截で、てらいもなくまっすぐにこころに突き刺さってくる、人生の応援歌である。ぜひぜひ見てエンパワーしていただきたい!
思い切って飛び込んで/闇を駆け抜け 光の中に/思いのまま人生を楽しんで
まぶしい夏はあなたたちのための季節 自分の人生だから/一歩踏み出して
後戻りしてもいい/そう望むなら 自分らしく精一杯生きて/叫び声をあげて
恐れずに飛び込んで/死を突き抜け輝く命へ
思い切って飛び込んで/闇を駆け抜け光の中へ
恐れずに飛び込んで/嵐に立ち向かって 愛を突き抜け輝く命へ

追加しておけばリンドグレーンには「やかまし村」シリーズ、「名探偵カッレ」シリーズ、「ロッタちゃん」シリーズのほかに、『暴力は絶対だめ』や『リンドグレーンの戦争日記 1939-1945』も有名である。『長くつ下のピッピ』は一番知られた本だろう。最新版に、『決定版 長くつ下のピッピの本』アストリッド・リンドグレーン作 イングリッド・ニイマン絵 石井登志子訳 徳間書店2018 11/30発行がある。
愉快で、勇気があって、力持ち、サルのニルソン氏と馬が同居人である『長くつ下のピッピ』とあなたもひと時を遊んでみてはいかがだろうか。かけ算の九九を「たけちゃんのくつ」と換言するのには笑ってしまう。そう聞こえるではないか?「それをなぜ学校でしなければいけないの?」。さもありなん、ピッピは大人になりたくないのである。「大人になっても、なんにもおもしろいことはないもの。つまんない仕事を山ほどかかえて、へんな服着て、足にウオノメ作って、ゼエ金はらうだけじゃない」ブラバー、ピッピである。
タイトル:リンドグレーン
主演女優:アルバ・アウグスト(アストリッド)トリーネ・ディアホム(マリー)
主演男優:エンリク・ラファエルセン(フロムベルイ)マグヌス・クレッペル(サムエル)
監督・脚本:ベアニレ・フィッシャー・クリステンセン
脚本:キム・フォッブス・オーカソン
音楽:ニクラス・シュミット
2018年 スウェーデン=デンマーク 123分
コピーライト:Nordisk Film Production AB/Avanti Film AB. All rights reserved
12月7日(土)から2020年2月7日まで。東京神保町 岩波ホールにて。全国順次ロードショウ
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