女性学講座 エッセイ

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都合のいい「役割からの解放」じゃなくて、本当の、「役割からの自由」へ 第三巻『性役割』 荒木菜穂

2010.06.21 Mon

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性役割とは、その人が、女性(男性)であることに基づいて期待される役割、とざっくり理解している。なんとなく「教科書的」に思いつくのは、家庭内の家事育児は女性の役割、家庭外で稼いで妻子を養うのは男性の役割、といったことかもしれないけど、それだけじゃない。「癒し」「目の保養」担当は女役割、「指導者」「代表」担当男役割、みたいな、感覚のレベルでも、実際の地位や職業のレベルでも、無数のジェンダーによる役割があると思う。

本書で扱われている役割の意味もまた、多岐にわたる。本書収録の井上論文によると、第二波フェミニズムは、私的領域における性別役割分業こそが性支配構造の基盤にあるものであると批判し、日本の女性学もまたも当初より性役割に着目してきたという。

でも、だからって、「女だから女の役割を押し付けられる、男だから男の役割を押し付けられるっておかしな話!!すぐに止めましょう!!」・・・で済む話かといえばそうでもないところが難しいところ。
男役割の多くは男性のプライドやアイデンティティを支えているだろうし、女役割だって割とそういう側面がある。女性の解放とか自立といった言葉が、専業主婦の方やモテ願望の強い女性たちに嫌われるのはよくある話。たとえ、それらの言葉が生き方の選択肢を増やすことを意味していたとしても。また、実際問題、役割を押し付けられるのはおかしい、という気持ちはあっても、でも自分の性に沿った役割を選択せざるを得ない、場合によっては自分のどこかで選択したい気持ちもある、っていうような葛藤がある人も多いのではないかと思う。人はそんなに、「あたりまえ」からすぐ自由になれるわけじゃない。

女性の社会進出が叫ばれ久しいが、おそらく90年代初め、男女雇用機会均等法以降の女役割の大きな変化として、従来の女役割に加え「男」役割をも期待されるようになった、そして女性は二重の役割期待の負担を強いられることとなったということがある。このことは多少なりとも男性でも言えることかもしれないけれど(見た目に気を遣う義務は男性にとっても常識になりつつあるし、家事育児の重要性も少しずつ言われている)にも、期待の度合いやそこから「逃げた」場合のサンクションは女性のほうが大きいのは疑いようのない事実だと思う。

ここでの「男」役割とは、女性であることに甘えず責任を果たすこと、が大きいと思うけど、最終的に「男を立てる」女役割から結局は自由にさせてくれない文脈も多いのではないかと思う。女性個人の内部の葛藤、このようなアンビバレントな役割負担の「拡大」は、本書での妙木論文にもあるように、異なった選択をする女性間の葛藤をも生じさせ、しかもそれらは男性の責任を問う方向には行かない。さらには、そう状況が日本の女性解放の暗部みたいに言われたりして、場合によっては保守化という意味でのバックラッシュを正当化させる根拠になったりもする。

また、女役割は男役割より価値が低いって構造のまま、性役割の再編が行われた結果、働く女性VS家庭役割の女性という対立のみならず、この不況の中、男役割を不幸にもこなせていないと自覚する男性たちによる、専業主婦バッシング(専業主婦はダンナの金で遊んで暮らしてるだけ、みたいな)も激しくなってきている。

でも、性役割から自由になることって、多様な生き方の選択肢が増えることじゃなくって、こういったすでにある男女役割のカテゴリーの中から役割をどういう風に選ぶかってことなの?それって結局、この檻の中で自由にしてもいいよ、って言われてるだけな感じがするんですけど…。しかも、女役割モデルの変化は、女性を都合よく利用する社会が生み出したもの、と言えるかもしれないけれど、男役割の問題性を問わずその歪の責任を女性にのみ問う(結果、女性個人の中、もしくは女性同士の葛藤が生じる)って、ジェンダー構造におなじみのダブルスタンダードの延長にある気がして、そういう意味で、男女役割が再編されただけってことになるんでしょう。そして自己責任時代には、自己責任で上手に工夫して、女役割も男役割もこなしましょうね、って、なんとか評論家とかの「偉い」女性がありがたーいお言葉で応援してくれる、と。

最近、面白いことがあった。それは、某大手スーパーの婦人服売り場で見つけたとあるノボリ。なんと、「新しいブランド“Feminist”が入荷しました。」というもの。よくよく読むと、タレントの新山千春さんのプロデュースで、「スペシャリストとしてバリバリ働きたいけど、フェミニンな可愛い洋服も着たい」という、働く女性の思いをかなえるようなイメージのブランドだそう。もちろん、スーパーに置いてあるくらいだから価格もお手ごろ。

フェミニン+スペシャリストで「フェミニスト」・・・・って、おい!軽軽しく言うなや!?第二波だけでも50年近く、第一波から考えたらもっと古いフェミニズムの歴史の重みをなんやと思ってるん!?とついつい憤ってしまったけど、たしかに、新山さん(この人って主婦タレントというかママタレント的な人ですよね?)がどこまでかかわっているかは知らないけど、その企画担当の人たちがまさか「フェミニスト」という単語を一度も聞いたことはない、ってわけでもないだろう。でも、「気に食わないから別の意味にしてやろう」と思うほど、現在もてはやされてる言葉でもないだろうし、むしろ、この、フェミイメージ最悪時代に…。もしかして、あえて、この言葉使ってる?フェミイメージ復権(?)に貢献しようとしてくれちゃってる??

ちなみに一番安いやつを試しに購入。大きいサイズを買ったわけでもないのにとても動きやすくて着心地がいいのはある意味フェミ的か…。でも他の服はもうちょっとヒラヒラしててフェミニンな感じのだった。


でも、ここでの、「『男並み』にスペシャリストとして働く」でも「女役割も捨てがたい」ってことって、まさに、性役割の葛藤の下にある現実なのかなあ、と思う。いや、女らしい服を着るのは単なる好みで選択の自由でしょ、とも思うけど、わざわざ、2つの言葉を組み合わせてまで、新たな言葉、それもあえて「フェミニスト」なんて言葉を作っちゃうなんて、やっぱり2つの役割のカテゴリーの中で女性は揺れ動いてるってことかなあとしみじみ思った。

以前、私の所属する日本女性学研究会の例会で、次のような議論があった。それは、現在の婚姻制度の下での「結婚してもしなくてもいいけど番う」という価値観は、両性の自立の面から事実婚を望む異性愛カップルもいるだろうけど、男女の性規範が同じままだったら結局は男の身勝手を許すだけの、男にとって都合のいい選択肢になるのではないかという話だった。

それは、決して、女が結婚制度によって守られていた、だから婚姻制度の崩壊は女にとって損なのだ、ひいては、婚姻制度を批判するフェミも女にとって悪なのだ、という話ではなくって、「女が自由に働けるようになっても男同様には働けない」現実と同じで、男女関係にとっての自由な選択肢を手に入れたとしても、選択の自由だけでは、何も変わらない、ということと同じ。つまり、性役割の問題を置き去りにしてるっていう昔ながらの議論。やっぱり、今ってきっと蒸し返すべき時代かもしれない。まずは、自分はなぜ役割から自由になりたいのか、なぜ葛藤があるのか、なぜ他人の役割に目くじらを立ててしまうのか、一方で別の他人を許してしまうのか、などなどを各自、冷静に考える必要がある。(荒木菜穂)








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