蒲郡の事件への違和感
3月の半ば、愛知県蒲郡市で、新型コロナウィルス感染者である男性が「コロナばらまいてやる」と言い放ちパブや居酒屋に遊びに行き、滞在先の店のスタッフに感染させ、本人も後に死亡したという事件があった。苦しまれ、お亡くなりになったことは、本当に痛ましいことであったと思う。

参考)「ウイルスばらまく」愛知・蒲郡の50代男性が死亡(中日新聞)


ニュースや、そこで紹介されていた実際の飲食店の店内の動画などを観て、このウィルスの感染力や身体への影響の恐ろしさを実感するとともに、当該の人物の、自分の行動により他者の健康や身体に影響を与えることへのあまりの無自覚さに、うすら寒い思いがした。報道内容や映像によると、開店前から店のソファで寝転んだり、自分の感染のこと知りながらスタッフに密着したりそれを、嫌がるな、など言ったり、それらは金払ってるから許されるという話ではない。スキンシップやコミュニケーションを楽しむ店であるならば、健康時であるならば、金銭を伴うサービスの一環としてそのような行為が行われることもあるだろうが、それでも、最低限のスタッフへの敬意や礼儀(清潔な状態で来店する、不快な思いをさせない、暴力を振るわない、など)は守られるべきである。ましてや、自身が感染者であるという状態での来店や接触、本当に信じられない。


社会的距離、触れるという行為を避けるということ
少し前から、感染を防ぐため、社会的距離をとる(Social Distancing)ことが大切であるという認識が広まっている。咳やくしゃみ、会話などでの飛沫感染を防ぐため、社会的距離をとることは有効であるとされており、日本でも飲食店やテレビ番組の出演者の配置などにその対応がなされ始めている。

参考)【写真特集】「社会的距離」保ち感染防止、世界各地で試み続々(AFP通信)


今回の社会的距離は、もちろん感染を防ぐためであるから、それにふさわしい数字となっているが、このような時期でなくとも、一定の社会的距離は必要である。なぜ社会的距離は必要か、心理学などではおそらくさまざまな理由があるのだと思うが、専門的なことはあまりわからないので、とりあえず私はまず、それは個人の領域を守るためであると考えている。領域とは身体の表面を含む身体的領域であり、恐怖や不快を感じないための心理的な領域でもあるだろう。もちろん、個人個人で千差万別なものだろうし、一定のルールを作ることは難しいと思うが、少なくとも、相手の領域を侵さないよう、敬意を持って人と接しようという認識は、誰しにも必要なのではないか。同性であれ、異性であれ、むやみやたらと触れられることを不快とする人もいるだろうし、逆に、密なスキンシップを好む人もいる。そのあたりは、コミュニケーションをとり、それぞれが敬意を持って調整していく必要のある関係性であると思う。


セクハラ、痴漢、は他者の領域を侵す行為
「セクハラ」とされるものの中には、相手の身体に、不必要に許可なく触れる行為が含まれている。また、いわゆる「痴漢」にも、身体に触れるという行為が多くを占める。


なぜ、そういった接触が、ハラスメントや暴力、「よくない行為」とされるのか。繰り返しになるが、やはりまず、相手の領域を侵す行為であるからではないか(最近は性的な映像を見せるなど様々な方法の「痴漢」が増えてきているらしいが、これは精神的領域の侵害か)。性暴力、DVなどの身体的・精神的暴力は言わずもがな、相手の身体の領域を侵害し、不快な思いをさせ精神的領域を侵害していい権利は誰にもない。相手の同意の無い自分本位な接触は、領域侵害の可能性、問題性に加え、ジェンダーによる支配や、対等な人間として相手と接しない態度(場合によっては自身の欲望のための消費とする)などさまざまな問題性を孕む行為である。それは、当然、金銭を伴うサービスにおいても同様である(十分にコミュニケーションのあった契約の上で接触や暴力的に見える行為を行う、などは別)。性的サービス従事者やそれに類する職業の方々への敬意の欠如やスティグマの付与が、こういった認識を薄れさせていることは問題である。ましてやこの状況下にあって、補償や給付の上で差別することなど本当に許されない。


人には、自分の領域を侵されない権利がある
感染拡大を防ぐため社会的距離をとることもまた、相手の健康を侵害しないための、相手の尊重のための行為である。接近や接触により、無症状でも感染の可能性があるというこの病気の、自分が感染させる側、相手の健康を奪う側にならないための知恵であると思う。例えば、性行為においても、ウィルスへの感染リスクを下げる方法などを模索した記事なども見られる。この場合も基本的には、相手の健康や身体を尊重するという行動の延長線上に、感染防止の方法論はあると考えてよいのではと思う。性感染症についても同様のことがいえるかもしれないが、性関係の前にまず人間関係、ということは絶対である。


【解説】 セックスと新型コロナウイルス、知っておくべきこと(BBCNEWS JAPAN)


すべての個人に、他者の領域を尊重するための、想像力とケアの精神を
セクハラや痴漢の加害者に代表される、他人の領域を侵害してもよい、それはたいしたことではない、という認識の人が世の中には一定数いる。終わりの見えない自宅待機など、自らの不自由さが増したとき、共に暮らす他者にたいし言葉や身体の暴力をふるってもよい、という認識の下の行動をとる者もいるようである。コロナに関係するDVや虐待の被害が、多くの社会で懸念されている。

他者や他者の領域の尊重は、ケアの発想の延長線上にある。そしてケアは、ジェンダーとも無関係ではない。長らくこの社会のジェンダー規範では、ケアは女性ジェンダー、女性役割と結びつけられ、男性ジェンダーの規範では、男性はケアの責任を免除されケアを与えられる側であるとされてきた。しかし、今こそ、ジェンダー問わず、他者への、相互のケアの思想をすべての個人が持つべきである。

このたびの感染拡大や、それにともなう社会的距離の重要性への周知の高まりが、あらためて、他者の領域を侵さない、どのようなジェンダー同士であれ、他者を個人として尊重し、接し、コミュニケートする、ということの重要性を再認識させる機会になってほしいと思う。大変な状況の中、個人個人が尊重し合って日常生活を送るには、「自分は気遣いしなくてよい」「これぐらい許される」「これがあたりまえ」という価値観や規範は、有害でしかない。「自分は無症状な感染者かもしれないから、人に感染させ、その人の健康や生活を脅かすかもしれない」という考えは想像力やケアのもとにしか成り立たない。