
最近耳にした「お母さん食堂」ということばが気になっています。
ひとつは、病気で入院している子供につきそっているお母さんのためにあるNPOが開いている食堂で、もうひとつはファミリーマートのブランドの名称です。
ひとつめは、「入院中の病児を持つお母さんのための食堂」で、もうひとつは「『家族の健やかな生活』を想って作った、美味しくて安全・安心な食事と食材を提供するブランドです。お客さまにとって『一番身近で美味しくて安心できる食堂』を目指しています」(同社HP)というものです。つまり、「家族のためを思って提供するおいしく安全・安心な食事」を「お母さん食堂」と名づけているということです。
まず、前者について考えます。確かに入院する子供につきそう人で、いちばん多いのは「お母さん」でしょう。その「お母さん」は、自分の食事を考える暇もないほど心身ともに消耗しているでしょう。だから、その「お母さん」を少しでも楽にしたいという思いから生まれた食堂でしょう。自分がその身になったとしたら、本当にありがたい場を提供してくれたと心から感謝するでしょう。
でも、この名前にはひっかかります。つきそいたくてもつきそえない母親もいる、母親のいない子もいる、父親や母親以外の人の方がつきそっていることもあるでしょう。つきそうのは「お母さん」、そして自分の食事も考えられない人は「お母さん」だけと思われては困ります。現実はそれに近いとしても、母親だけと決めつけられるのはやはり困ります。入院の子どもの世話をする人を母親に限定することは、それのできない母親を苦しめます。子どもの世話をするのは家族全員であり、社会全体です。子供が病気をしたらいつも母親がつきそわなければならないとなったら、母親は自分の人生を生きることができなくなります。母親の犠牲を前提にする仕組み、いえ、母親に限りません、だれかを犠牲にする仕組みはよくないはずです。
入院中の子どもの世話で自分の食事もできない人の食事を支援する「食堂」の提供はたいへんいいことだと思いますが、「お母さん」のためだけでなく、入院する子どもにつきそう人みんなのための食堂であってほしいと思います。
もうひとつは、ファミリーマートの方です。この「お母さん食堂」の名称に対して、3人の高校生が「お母さん=料理というイメージがますます定着し、母親の負担が増える。性別によって役割が決まったり、何かを諦めたりする世の中になる可能性が強くなることはとても問題」として、名称の変更を求めて問題になっていると、1月29日の『毎日新聞』夕刊は報じています。
これに対して、魔女狩りだとか、アメリカのポリティカルコレクトネスに似ているとか、行き過ぎだと批判しているブログもあります(週刊新潮2021年1月28日号web版)。
そうでしょうか。高校生たちは、家事は母親のものという決めつけに反対していると単純に考えてはいけませんか。病気の子どもの世話も母親だけのものではないのと同じように、今では「家族のために安全な食事を提供する」のは「お母さん」だけではないはずです。だからそれを「お母さん」だけに固定し限定するのをよくないといっているだけです。「家族の健やかな生活」のための「みんなの食堂」でいいではありませんか。
話が飛躍すると思われるかもしれませんが、わたしは、日本のジェンダーギャップ指数が121位に低迷しているのはなぜだろうと、いつも考えています。
国会中継を見ていても、コロナ対策の委員会を見ていても、黒っぽい色や鼠色のスーツばかり目に入ります。アメリカの大統領就任式で、紫や美しい水色のコートが目立ったのと比べて本当にそのギャップを実感します。がっかりします。やはりやはり、日本は男社会だーとため息が出ます。
「おふくろの味」と同じように「お母さん食堂」の名称は、温かさ、ほのぼの感をかもしだし、一種のノスタルジアを呼び起こすのかもしれません。だから、その名称に変更を求めるのを大げさに魔女狩りなどというのかもしれません。ノスタルジアも、文学や個人の心の中はおおいにけっこうです。しかし、だれかを縛ることになったら困ります。
日本の女性たちにも、アメリカの大統領就任式のように、寒風の中をサッソウとコートを翻して議事堂前を歩いてほしいです。そう願う者からすれば、家事・料理は女性の仕事という縛りは断ち切りたい。「お母さん食堂」の名称は、家族のために温かい安全な食事を提供するのは母親であり女性であるという、従来の分業観を再生産します。料理の好きな母親がいてもいいし、家事に生きがいをもつ女性がいてもかまいませんが、「料理=お母さん」観が、母親や女性の生き方を縛ることを忘れてはいけない。さまざまな方向に進みたい人に、ある固定した枠をはめたり、押しつけたり、また、それとは違う道を行きたい人のブレーキになっては困るのです。「お母さん食堂」の名称が広まることで、従来の「料理=お母さん」観が固定し、再生産されていくのはやはり困るのです。
そういうおそれを高校生たちは感じて声を挙げたのでしょう。わたしも「お母さん食堂」には反対です。
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