
今月はポルドフスキ(Poldowski) をお送りします。本名はイレーヌ・レジヌ・ヴィエニアフスキ(Irene Regine Wieniawski)と言い、ポルドフスキは後年、作曲家として使用したペンネームです。1879年、ベルギーのブリュッセルに生まれ、1932年、ロンドンで亡くなりました。
父親はポーランドを代表するバイオリニストで作曲家のヘンリック・ヴィエニアフスキ、母親のイザベラは多くの音楽家を輩出した家系のイギリス人でした。
ポルドフスキは末っ子で、きょうだいの中で唯一音楽を志しました。本名のレジヌは父親方の祖母の名前を受け継ぎました。この祖母こそが、若い時代にパリでピアノを勉強し、結婚後、ヴィエニアフスキ家の子どもたちに音楽に溢れた環境をもたらしたのです。

父のヘンリック・ヴィエニアフスキ
父ヘンリック・ヴィエニアフスキ(1835-1890)は、溢れる才能で早くから頭角を現し、8歳でパリ音楽院に留学しました。卓越した演奏もさることながら、作品を書けば、ポーランドの民族風にあふれた作品から彼独自の作風まで、世界各地の聴衆を魅了しました。筆者が好んで聴くバイオリン作品はヴィエニアフスキだったことから、彼の娘が作曲家だったという史実に断然興味が湧きました。ヴィエニアフスキの名前を冠した国際バイオリンコンクールは、若手の登竜門として設立され、今年の10月で第16回を迎えます。
1875年、父ヘンリックはブリュッセル音楽院のバイオリン教授に迎えられます。そこで末娘・ポルドフスキは生まれましたが、父親はかねてより体調が優れないまま、演奏旅行中のロシアで客死しました。44歳の若さでした。彼女はまだ1歳にも満たない幼さでした。

生まれ育ったブリュッセルで初めは独学とされていますが、ピアノと作曲を始め、8歳頃にはすでに頭角をあらわし、12歳から王立ブリュッセル音楽院に通いました。ピアノ、作曲、指揮法を学びました。14歳で、La Monnaie--モネ劇場(現在のベルギー王立歌劇場)で自作発表も兼ねたデビューコンサートを開催します。錚々たる音楽家の知遇を得て、才能を開花させていきました。オーストラリア出身で、当時イギリスで一世を風靡していたオペラ歌手の
ネリー・メルバ(Nellie Melba)は、とりわけ親しい間柄でした。
1896年、母イザベラは4人の子供を従えて、生まれ故郷のイギリスはロンドンへ移ります。1900年には、ポルドフスキの2つの歌曲がチェスター社より出版にいたります。この時はまだ本名を使っており、引き続きピアノ、作曲と勉学に勤しみました。
1901年、22歳で結婚をします。お相手は初代マールボロ侯爵の子孫に当たるヘンリー・ディーン・ポール5世(1869--1961)、前述の歌手ネリー・メルバの紹介でした。彼女はレディ・ディーン・ポールとなり、イギリス国籍を取得しました。ちなみに夫の家系図を紐ときますと、イギリス王室故ダイアナ妃の実家スペンサー家に繋がります。夫は歌曲を好む人物で、妻の伴奏で時々コンサートを催していました。

結婚後まもなく、1902年に長男のドナルドが生まれます。しかしながら1904年に幼くして亡くなるという悲劇が襲い、その悲しみたるや筆舌に尽くしがたいものでした。同じ年には次男のブライアン、1907年には娘ブレンダにも恵まれました。
彼女はこの間も絶え間なくパリに出向き、勉強や活動の場を広げて行きます。長男を亡くしてすぐには、亡き子を偲ぶ作品を3曲、歌曲「Soir」「Berceuse 'Armorique」、バイオリンとピアノの為の「Berceuse pour l'enfant mourant」を書きました。歌詞は詩人A・ブラーズ(A.Braz)によるものです。こ
の頃からペンネームのポルドフスキを使うようになりました。
1911年以降は、フランスのデゥラン(Durand )社やイギリスのチェスター(Chester)社が彼女の歌曲集を出版し始めました。2社ともに現在も広く知られた楽譜出版社です。作品にはフランスの詩人ポール・ヴェルレーヌを歌詞に好んで使い、「20の歌曲集」を残しています。ヴェルレーヌの詩は、ドビュッシー、ラベル、フォーレ等、多くの作曲家が歌曲に起用しています。主だった歌曲は1900年から1910年に出版され、これらの歌曲集は「出典」に
IMSLP のリンクを記していますのでご参照ください。
1920年代にはチェスター社が、ピアノソロ作品、歌曲、室内楽ーーバイオリン、クラリネット、ピアノのための三重奏曲を出版しました。しかしながら作品の多くは出版されておらず、中には紛失したものもあり、とりわけ大作は全く見つからず、一部は長いことポーランド国立図書館に眠っていました。2003年にバイオリンとピアノのソナタニ長調がアメリカで出版の日の目を浴び、歌曲同様、現在は少しずつ認知が広がっています。
存命中の1900年から亡くなる1932年まで、ポルドフスキの認知度は高く、作品も人気を博していました。イギリスの人気テノール歌手G・エルベス(G. Elwes)は、1912年、彼女のヴェルレーヌの詩による歌曲をロンドンのクイーンズホールで歌い、瞬く間に評判はパリに届き、評判が評判を呼び、ポルドフスキを知らない人がいないほど一世を風靡しました。もっとも彼はブリュッセル時代の1893年頃、すでに彼女の作品に非常に高いオリジナリティを見出し、高く買っていました。1903年に再会し、彼女が2曲の新曲を彼に献呈して、親交は途切れないまま、ロンドンやパリの成功に繋がりました。指揮者のサー・ヘンリー・ウッドはポルドフスキを2回、クイーンズホールのプロムナードコンサート(現在のBBCプロムス)に招き、彼女の自作演奏が披露されました。プロムスは世界的に有名な夏の音楽祭です。同じく指揮者のトーマス・ビーカムは彼女の小オペラ上演に意欲を持っており、やはり高名な指揮者のマルコム・サージェントも親しい間柄でした。
本来は1921年、エルベス氏とアメリカでコンサートの予定でしたが、エルベス氏がボストンで不慮の鉄道事故で亡くなったため叶わなかったことも、彼女の行く手を阻む残念な出来事として記述されています。同年にベルギー王室のエリザベス皇后が彼女の作品を聴きたいと、彼女をブリュッセルに呼びました。新作のバイオリンとピアノのソナタを御前演奏し、この曲はパリでは友人のピアニスト、ラザール・レヴィ(Lazare Levy ,1882-1964)がバイオリンと競演し、レヴィは彼女のピアノソロ作品「カレドニアンマーケット」の初演もしました。錚々たる人脈に恵まれ、「ラプソディー・イン・ブルー」で有名なG.ガーシュインも、自宅を気楽に訪ねてくる仲間の一人でした。

その後はアメリカに引越して交響曲の買手を探しますが、あいにく出版社が見つからず、また体調不良のためロンドンに戻ったりと、様々に不運が続きました。子供を亡くした悲しみは、その後生涯にわたって彼女を打ちのめし、夫との関係も修復がむつかしく、最終的に1921年に離婚が成立しました。
また、娘のブレンダは、サイレント映画で名前が出た女優でしたが、20~30年代はヘロイン中毒でたびたび不祥事を起こし、女子刑務所に収監されタブロイド紙を賑わせました。ポルドフスキも薬物中毒に陥った時期があったと記録があります。
その後、ロンドンのハイドパークホテルで定期的なお昼のコンサートを主催し、ピアニストのアーサー・ルービンシュタイン、バイオリニストのジャック・.ティボー等、垂涎の的の演奏家を聴くサロンは評判となりました。写真通りの美貌に加えてファッションにも造詣が深く、ブティックを開業し、英王室ファミリーも顧客に連なりました。音楽のみならず彼女の多才さが窺えます。
長きにわたり肺病を患い、1932年には突然の心臓発作から、あっけなく亡くなりました。ロンドンはサリーの墓地でお母様とともに眠っています。死亡にあたりタイム誌は、歌曲がとりわけ絶品だったこと、ピアノパートはデリケートな音楽性を余すことなく発揮していると追悼記事を残しました。ポルドフスキの研究者、デイビッド・ムーニー氏によれば、彼女の最期のことばは、「Do look after my music! 私の作品をしっかり気にかけて!」だったそうです。
出典)References
David Moony, Poldowski Rediscovered
https://arrow.tudublin.ie/cgi/viewcontent.cgi?article=1004&context=aaconmusart
Poldowski, Wiki in English and in Polish
Poldowski in concert by Peter Rennie:
https://www.wieniawski.com/poldowski_in_concert.html
ポルドフスキの楽譜
https://imslp.org/wiki/Category:Poldowski
この度の演奏は、組曲「カレドアニンマーケット」より抜粋でお聴きいただきます。当時ロンドンにあった巨大野外市場にインスパイアされた曲集です。なおヴァイオリン作品「タンゴ」が、ヤッシャ・ハイフェッツの演奏でお聴きになれます。この作品はお父様の作品と類似する音楽性を感じます。
https://www.youtube.com/watch?v=h7pK2usCtiU
美しい歌曲は「L’heure exquise」、歌詞はヴェルレーヌの詩です。
https://www.youtube.com/watch?v=ulgfFywCnk8
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