今月は、作曲活動とイギリスの婦人参政権運動で活動したエセル・スマイス(Ethel Smyth)をお送りします。
ロンドン南東部のシドカップで1858年に生まれ、ロンドン郊外サリーのウォキングで1944年、86歳で亡くなりました。8人きょうだいの6人目、陸軍砲兵隊所属の厳格な父親に育てられました。ちなみにイギリスを代表する作曲家E.エルガーは、1年違いの1857年に生まれています。
音楽教育は7歳から受けました。音楽への傾倒は並々ならぬものがあり、最初の先生が、ワーグナーやベルリオーズの世界へ誘いました。コンサートを聴きに行けば、シューベルトやベートーヴェンに感銘を受け、音楽が絶えず心の中心にありました。音楽を専門にしたいと父親に掛け合いますが聞く耳を持ってもらえず、それでも周りの理解や助言に恵まれ、ドイツの名門ライプチッヒ音楽院作曲科へ留学の道が開けました。ライプチッヒはゲバントハウ
ス管弦楽団の本拠地で、初代指揮者は、連載の始めに取り上げたファニーの弟メンデルスゾーンでした。
在学中はH.ライネッケに師事します。ライネッケは高名な作曲家であり看板教授でしたが、スマイスは満足できず1年で彼の下を去り、個人の先生で学び続けました。
この時代はいわゆる「ロマン派」という音楽様式、感情豊かな音楽性が主流であり、その中心には作曲家J.ブラームスがいました。個人指導の先生を通して、ドヴォルジャーク、グリーグ、チャイコフスキー、女性作曲家でおなじみのクララ・シューマンと、錚々たる音楽家との親交に恵まれました。とりわけブラームスには個人的に指導を受け、大きな影響を受けました。彼の印象を語ったスマイス自身の音源が残っています(出典を参照)。
1889年にロンドンへ戻り、次々と作品を書きました。クラシック音楽はヨーロッパ大陸が主流だったこと、加えて当時のイギリス社会は保守層が主流であり、男女の性別役割分業は当たり前でした。彼女の作品は男性たちの固定観念による”女性らしさ”や”女性作曲家”のイメージを逸脱し、パワフルで前向きな作品と批判を受ける一方で、その個性や特性を男性作曲家と比べた時は、おおよそ男性作曲家にかなわないと、どちらに転ぼうが辛辣な批評に、女性ゆえに立ちはだかる高い壁を感じたとの記述が散見します。以前に取り上げたポーランドのJ.サルネツカも、同じ経験を強いられています。
ライプチッヒ留学中の作品ピアノソナタ3曲は、ようやく2003年に出版の日の目を見ましたが、モーツァルトやハイドンの古典様式を強く継承しています。21歳でチェロソナタハ長調(未出版)とピアノ三重奏曲、23歳で弦楽四重奏ハ長調、24歳からの2年間には5曲の宗教曲、26歳
のホ長調の弦楽四重奏作品1は、ブラームスの影響が色濃く感じられます。歌曲とバラード、チェロソナタ、バイオリンソナタ、30歳では「Songs Of Love」 -- ソプラノとテナーに合唱付オーケストラの作品(未出版)。33歳でミサ二長調。
生涯で6つのオペラ作品を残し、「Der Wald(The forest)」は1901年、43歳の作品。3部形式の「The Wreckers(船を難破させ略奪する人達、の意味)」 は48歳の大作。聴力に支障が出てもなお、1930年、72歳で合唱付交響曲「The Prison(プリズン)」作曲まで活動しました。「プリズン」は作曲の翌年、1931年にイギリスで初演されました。
オペラ「Der Wald」 は、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場が初めて起用した女性作曲家の作品です。すでにイギリスで上演されていましたが、1903年のアメリカ初演は大好評に終わり、拍手は10~15分鳴り止まず、スマイスが7回もステージに出てアプローズを受けたとニューヨーク・タイムズが書いています。その後、メトロポリタンによる初の女性作曲家作品は、実に100年以上後のこと。2016年にフィンランドのカイヤ・サーリアホ(Kaija Saariaho)に白羽の矢が立ちました。いかにスマイスの評価が高かったかの一端が窺えます。
1910年、52歳でイギリス婦人参政権運動の中心人物、エメリン・パンクハースト(Emmeline Pankhurst)と出会います。パンクハーストはパリで勉強し帰国したイギリス人で、労働運動や婦人参政権に賛同する夫の援護がありました。1903年に英国婦人社会政治連合(WSPU)を設立し、婦人参政権運動はその一環でした。スマイスは直ちに賛同を示し、その後2年間、音楽活動を休止して運動に心血を注ぎました。
同年、協会よりの依頼で「The March of the Women ウィメンズマーチ 」を作曲し、この曲は女性たち(サフラジェット/suffragette) の「賛歌 anthem」という位置付けになりました。(記事の最後に、この曲の英語の歌詞を載せてあります。)
1912年にはパンクハーストもスマイスも、参政権を求める過激な運動の結果、投獄されます。他にも100名余の活動家が投獄されました。ハロウェイ女子刑務所で2ヶ月を過ごし、歯ブラシを指揮棒に見立て女性たちをリードし、ウィメンズマーチを大合唱したことが話題となり、スマイスの名前が世間の大きな注目を浴びました。一連の運動のパワフルで勇敢な女性たちの映像が数々残っています(出典を参照)。2005年には、彼女たちを描いたイギリス映画「Suffragette、邦題--未来を花束にして」も公開されました。
1912年、次第に耳が聞こえにくくなり、パリでの治療の成果も芳しくなく、その足でエジプトを訪れます。そこで書いた作品、コミックオペラ「Boatswain's Mate 甲板長の仲間」は全作品の中で一番革新的と評され、フェミニスト・オペラとも呼ばれています。全1幕、歌詞もスマイス自身によるもの。序曲は前述のウィメンズマーチのメロディがところどころに
使われ、明るくパワフルな作品です。初演は1916年ロンドン。当時はスマイス手書きの譜面を使っており、出版社が見つからないのは女性ゆえの処遇ではないかと感じていました。近年では、各レーベルよりCD録音が出ています。
この後は、オックスフォード大学名誉音楽博士号など、名誉ある称号を数々贈られ、イギリス女性作曲家初のデイム(Dame)も授与されました。聴力の問題のため、作曲活動から次第に執筆活動へシフトし、膨大な量の自叙伝その他の著作を書きました。性指向にオープンでレズビアンを自認しており、同じくサフラジェットの作家ヴァージニア・ウルフとも関係があったと語っています。
1944年、86歳で亡くなりました。長年住み慣れたサリーの墓地に眠っています。本人の希望に従い、遺灰の一部は兄弟がサリーの大地に撒きました。
なお、合唱付交響曲「プリズン」は、昨年2020年に初録音が世に出ました。実際に投獄された経験を持つ作曲家で、アメリカで婦人参政権が認められて100年を機の録音に、作品は高い評価を得ました。没して76年後とは言え、スマイスの微笑む姿が目に浮かぶようです。
出典 References
Oxford music dictionary
https://www.oxfordmusiconline.com
Brooklyn Museum , Elizabeth Sacker, Center of Feminist Art
https://www.brooklynmuseum.org/eascfa/dinner_party/place_settings/ethel_smyth
Exploring Surrey's Past, The Suffragette Movement and the Music of Ethel Smyth
The Suffragette Movement and the Music of Ethel Smyth: The String Quartet and The
Boatswain's Mate
NewYorker, Challenging the white-male Canon with Ethel Smyth
https://www.newyorker.com/magazine/2018/05/14/challenging-the-white-male-canon-with-ethel-smyth?fbclid=IwAR0HbAMOlKYPy8xx1NF1XCg1uz2tFhieeCN5OfEizXFZAAs5FTX2OifDwok
The Kapralova society Journal: Dame Ethel Smyth: Pioneer of English Opera
http://www.kapralova.org/journal20.pdf
NYTimes, " Der Wald " at the opera.
https://timesmachine.nytimes.com/timesmachine/1903/03/12/101980755.pdf
Dame Ethel Smyth Recollections of J. Brahms ブラームスを語るエセル・スマイス Dame
Ethel Smyth (1858-1944) -- Recollections of Johannes Brahms
March of the Women 貴重な映像
https://www.youtube.com/watch?v=LCtGkCg7trY&t=7s
March of the Women グラスゴー大学聖歌隊の合唱
https://www.youtube.com/watch?v=PnMjOAxktS0&t=31s
この度のピアノ作品演奏は、ウィメンズマーチ、スマイスによる ピアノ版です。
エセル・スマイス 合唱曲「女たちのマーチ」の歌詞は以下のとおりです。
Verse 1
Shout, shout, up with your song!
Cry with the wind, for the dawn is breaking;
March, march, swing you along,
Wide blows our banner, and hope is waking.
Song with its story, dreams with their glory
Lo! they call, and glad is their word!
Loud and louder it swells,
Thunder of freedom, the voice of the Lord!
Verse 2
Long, long—we in the past
Cowered in dread from the light of heaven,
Strong, strong—stand we at last,
Fearless in faith and with sight new given.
Strength with its beauty, Life with its duty,
(Hear the voice, oh hear and obey!)
These, these—beckon us on!
Open your eyes to the blaze of day.
Verse 3
Comrades—ye who have dared
First in the battle to strive and sorrow!
Scorned, spurned—nought have ye cared,
Raising your eyes to a wider morrow,
Ways that are weary, days that are dreary,
Toil and pain by faith ye have borne;
Hail, hail—victors ye stand,
Wearing the wreath that the brave have worn!
Verse 4
Life, strife—those two are one,
Naught can ye win but by faith and daring.
On, on—that ye have done
But for the work of today preparing.
Firm in reliance, laugh a defiance,
(Laugh in hope, for sure is the end)
March, march—many as one,
Shoulder to shoulder and friend to friend.