
「女性の課題」は今までも
田中優子氏のエッセー「女性の課題はこれから」 についての一感想
法政大学前総長の田中優子氏が「女性の課題はこれから」と題するエッセーを書いておられます。( 週刊金曜日 2021.4.23(1326号)掲載(p.3))田中氏の総長としてのご活躍に強く感銘を受けてきた者の一人として、ご発言の影響力の大きさを思うと、少し意見を述べたくなりました。
田中氏は女性の低賃金で不安定な非正規雇用が蔓延している現状について、朝日新聞4月16日の記事における菊地夏野氏の「一部のエリート女性にスポットが当たる一方で、待遇の悪い仕事をあてがわれる非正規雇用などの女性たちの状況は見えなくなったまま、放置されてしまった」という発言を引き、ご自身のように女性が大学総長にもなる時代に多くの女性が職を失うことについて、この二つの事柄にはつながりがあるのか、と問いかけておられます。そして「つながりがないと思っている」と述べておられます。そして菊地氏の「差別が現存していることを認識することからやり直す必要がある」「雇用の差別や非正規雇用のあり方を変えることが重要である」との発言を紹介し、女性政治家や女性管理職を増やすことより、そちらの方が喫緊の課題だ、と述べておられます。「つながりがあるかないか」とは何を意味するのかは、紙幅の限られたこのエッセーでは不明瞭ではありますが、指導的立場に女性が増えても多くの女性が置かれている劣悪な労働環境は改善しない、ということを意味しているのではないかと思います。したがって女性の課題としては指導的立場の女性を増やすより、多くの女性の劣悪な境遇を改善する方が喫緊の課題であり、「女性の問題解決はこれから」、つまり「女性の問題」は何ら解決されていない、という現状認識を示しておられると思います。
この主張にはいくつかの問題点を感じています。まず第1に、「課題はこれから」と今さら言われても、という思いが募ります。女性の非正規雇用問題は遅くとも1980年代以前からの課題であり、この問題が解決どころか90年代後半ごろから男性に及ぶに至ってようやく社会問題化し、コロナによって追い詰められる女性たちが続出する中でやっとの事でメディアの認識が女性の労働問題に追いついたように見受けられます。コロナは今までの見えにくかった問題を顕在化させたのであり、この問題と長い年月男性中心の労働運動や政治、そしてメディアに無視されながら懸命に闘って、少しずつ成果を挙げてきた女性たちの運動を思うと、確かに課題解決しているなどとはいえない現状であるとはいえ、少し脱力感もあります。
第2に「女性政治家や女性管理職を増やすことより」という優先順位に違和感があります。田中氏が対立的に優先順位をつける二つの課題は、「つながりがない」どころか連続しており、同じ課題の両面です。非正規労働を始め、女の課題を大した問題ではないとして無視してきた男性基準の社会構造は、女性のリーダーシップが例外である限りにおいて「女性初の」などと有徴化して持ち上げてきました。したがってリーダー的立場に女性が少ないことと劣悪な労働条件に置かれる女性が多いことは同じ問題です。リーダーに女性が珍しくない国々が増えている中で日本が特殊な状況にとどまっている理由については機会を改めて論じたいですが、とりわけ政治家の大半を男性に占められていることは放置できない異様な状況です。今日の民主主義には制度的限界や課題が様々にあるとはいえ、政治的決定権が男性に握られている状況は非正規雇用をはじめとする女性の深刻な課題がスルーされてきた重要な一因です。これは女性たちの努力によってようやく改善の機運が高まってきた喫緊の課題です。
第3に女性非正規問題は大学に勤務する立場にとって、極めて身近な課題です。これは70年代から総定員法によって正職員数が限られていた国立大学では定員外の臨時職員として多くの女性が極めて劣悪な条件で勤務していた頃からの問題であり、とりわけ大学も金を稼ぐことを要求される時代になると、有期雇用により数年ごとに雇い止めされ、それからしばらくは同じ人を雇用できない、といった雇い方や、派遣労働者の導入などにより人件費の抑制が図られてきました。教育機関として肝心の授業も時間単位で支払われる非常勤講師に多くの授業を依頼しなければ大学の経営は成り立たないといった状況です。大学院重点化により増加した大学院修了者は少子化の煽りによって定職に就くことが極めて難しくなり、研究費の「重点配分」だとか「競争的研究費」だとかによる有期雇用のプロジェクト型研究職や、一時的に多少の保障を得られる特別研究員など、短期的競争を煽られる環境の中で落ち着いて研究教育に取り組む余裕もありません。大学に籍を置く人たちはこの足元の問題を放置して非正規問題を語れるのでしょうか?専任職の労働組合はこの問題には概してリラクタントです。
法政大学総長としての田中氏はこの足元の問題の改善に向けて多少なりとも方策を検討されてこられたかもしれません。私自身任期付助手として雇い止めを喰らったり、長い非常勤講師および大学非常勤講師組合の活動、専任職になってからの大学非常勤職員の待遇の改善に向けた多少の努力などの経験を振り返り、大学の現状において、これがどんなに解決の困難な課題であるかは熟知しています。それだけに、この課題の解決には政治経済を含めて社会のあり方が根本的に変わっていく必要があり、ジェンダー平等はその基本的な課題の一つであると思います。日本の大学において「女性分断」を懸念するほどには女性は「出世」できておらず、田中氏も今の所相変わらずの例外的な「元女性総長」である、そのことこそが女性の長年の課題を象徴的に表しているのではないでしょうか。
医大入試差別問題、性暴力を告発する女性たちの発信、最近の森発言への批判など、日本においてようやく女性の声が無視されなくなってきつつあります。「女性分断」と言えるには程遠いほど女性が「出世」できていない日本の異様な現状がようやく注目されつつある現時点において、それでも「女性分断」を論じることに意義があると思われるのであれば、単なる印象ではなくしっかりしたエビデンスの裏付けも必要であると考えます。世界経済フォーラムのジェンダーギャップ指数ランキングにおける日本の順位のあまり低さが近年注目を集めていますが、2006年に始まったこの報告の当初より、一貫して日本の順位は低迷しており、近年話題になっているのはメデイアの注目がやっと追いついたにすぎません。なおジェンダーギャップ指数については国連の指数などと比較しながら慎重に検討する必要があると考えており、これについても別の機会に論じたいと思います。しかし現時点での私の考えを付け加えるなら、男女間格差のみを指標とするジェンダーギャップ指数が階級格差を隠蔽しているのではないかという疑念もあるのですが、他国はともかく日本に限ってはどうやら男女間格差が社会全体の格差を拡大しており、ジェンダー平等こそが格差縮小のために不可欠であると現時点では判断していることを付け加えます。
最後にもう1点。女性差別に反対する意見の中にもさまざまな違いがあります。私自身田中氏が述べている性風俗業についての見解には同意できないところがあります。「常に暴力や病気の危険にさらされ、何の保護もなく、心身においても長くは続けられない仕事」は性風俗業だけの特徴ではありません。さらに「好む仕事」で生活できる人は本当に限られています。私たちは様々な偶然の押し寄せる波の中で、その限界において少しでも「マシ」と思える選択をし続けながら生きているのであり、そのそれぞれの選択を尊重し、よりマシな環境を求める当事者たちの運動に敬意を払いたいと考えています。言うまでもなく私自身も自分の置かれた環境により限られた条件の中での選択の連続によって生きている当事者の一人です。
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